つま恋ガス爆発事故
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つま恋ガス爆発事故(つまごいガスばくはつじこ)は、1983年(昭和58年)11月22日12時48分に静岡県掛川市のレクリエーション施設で発生したガス爆発事故である。
- ^ a b c d 福地知行「「つま恋」のLIPガス爆発」『安全工学』第26巻第6号、安全工学会、1987年、403-408頁、doi:10.18943/safety.26.6_403、ISSN 05704480、NAID 130006188650。
- ^ a b “プロパン爆発14人死ぬ”. 朝日新聞 朝刊: p. 1. (1983年11月23日)
- ^ a b 小池和彌 1990, pp. 140–143.
- ^ “開栓十数個を確認”. 朝日新聞 朝刊: p. 23. (1983年11月26日)
- ^ “2日分の大量ガス漏れ”. 朝日新聞 朝刊: p. 23. (1983年11月24日)
- ^ “「ガス臭い」直後の惨事 避難誘導なし”. 朝日新聞 朝刊: p. 23. (1983年11月26日)
- ^ “「つま恋」ずさん配管工事”. 朝日新聞 朝刊: p. 22. (1983年11月24日)
- ^ 静岡県掛川市でLPガス爆発事故(「つま恋」事故)発生、史上最悪の惨事に 日本LPガス協会
- 1 つま恋ガス爆発事故とは
- 2 つま恋ガス爆発事故の概要
- 3 店舗の問題
つま恋ガス爆発事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 14:57 UTC 版)
1983年11月22日、マツダの人材開発担当としてヤマハ・つま恋研修所で800人の就職内定者のための研修会準備を行っていた際、会場の料理店で起きたガス爆発事故に巻き込まれた(死者14名、重軽傷者28名)。自身も「四肢の複雑骨折と全身40パーセントの熱傷」という瀕死の重傷を負いながら、自力で脱出。著書の中で松本は、息を止めて動く現役時代の練習のおかげで爆発の熱風を吸い込まず、気道や内臓各器官の熱傷が避けられたことが自分の生還につながり、救急車の中では「サッカーを続けたいので足だけは切らないでくれ」と懇願したと述懐している。左手の指を4本失い、1週間の危篤状態が続きながらも奇跡的に回復し、当初24ヶ月はかかると言われた厳しいリハビリを自身の「人の3倍を自らに課す」とのモットーの下、8ヶ月で回復し現場に復帰した。現在、人前では必ず手袋をしているのはこの事故のためである。
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