だっ‐そ【脱×疽】
読み方:だっそ
⇒壊疽(えそ)
だっそ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 06:00 UTC 版)
電気を用いて鉄鉱石を精錬する試みは18世紀から行われ、1810年にハンフリー・デービーが実験に成功している。商業的に電気炉製鋼法が確立するのは20世紀に入ってからで、1907年にアメリカ合衆国で最初の電気炉製鋼プラントが稼動した。 日本では明治末期頃から研究が始まり、いち早く近代化をすすめるため1911年(明治44年7月)に長野県の土橋製鋼所がエール式小型電気炉を東京帝国大学教授で鉄鋼材料学の権威俵国一博士(のちに日本鉄鋼協会設立の立役者の一人)の指導のもとで設置している。 1912年(大正元年)に島根県の松江電灯株式会社(中国電力の前身の一つ)が斐伊川上流に水力発電所を建設した。これに伴い電気炉実験のための電力使用の許可を安来鉄鋼合資会社(安来製鋼所、国産工業、日立製作所を経て現在の日立金属安来製作所・冶金研究所に至る)が得ている。当時の送電環境では、安来でこの水力発電による電力を用いることができないため、発電所に近い奥出雲へ足を運ばねばならなかった。この地は砂鉄鉄山やたたら場に近いので実験に使用する試料には恵まれていたが、地理的に大変不便であり実験に必要な電極の入手が容易ではないというハンディがあったようだ。そこで松江電灯株式会社に助力を求め石油入手が容易な松江市内の火力発電所構内に電気溶解実験の場を設けて送電してもらい、電気利用のほかガス利用の実験も行っており熱処理等の具体的生産活動の礎を作ったとされる。 その後、1915年(大正4年)に安来鉄鋼合資会社で改質装置が比較的整っていた松江第2工場(現・松江市南田町)で日本初の電気炉(伊・スタッサノ式1t)が稼動を始めた。翌年、松江では電気炉による高速度鋼(高級特殊鋼、工具鋼の一種)を溶解を開始し日本初の電気製鋼量産化がスタートし本格的な流通販売が始まった。
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