じんの姓からかみの姓への改称について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:02 UTC 版)
「神野金之助 (初代)」の記事における「じんの姓からかみの姓への改称について」の解説
改称時期は大正12年説と、年代が特定できないが大正11年以前説との2つ説がある。 (じんの)姓から(かみの)姓への改称について、明確にしているのは神野新田資料館のパネルにある、大正12年で初代金之助の没後の翌年です。 しかし初代金之助は危篤に際し特旨をもて従五位に陞叙せられたが、これは大正11年2月19日に明治銀行の頭取であった大三輪奈良太郎と明治銀行と名古屋電気鉄道で役員をした上遠野富之助の連名で、特旨を電報で願い出て認められたためである。電文には「カミノキンノスケ」とあり、初代金之助が側近として信頼を置いていた二人が、電報で初代金之助の姓を間違える訳もなく、初代金之助が亡くなる前に「カミノ」に改姓していたことになる。 なお改称の年は不明だが、初代金之助の甥であり娘婿でもある豊橋神野家初代当主の神野三郎の談話として「最初は確かにジンノだった。新田もジンノ新田であったが、大正の初め頃本家が、カミノと改めたので、わしのほうも、自然と、カミノになったのだ。」と、神野三郎伝に記載されている。 明治42年8月に渋沢栄一を団長とした「渡米実業団」が3ヶ月の米国視察を行ったが、団員51名の内、名古屋からは初代神野金之助を含む3名が参加した。 「渡米実業団」は日米両国政府の公式行事としての「民間経済活動」であり、8月16日は桂太郎総理主催の送別会、8月17日は明治天皇より午餐を賜り、8月19日に横浜港から米国に向けて出港している。 実業団の活動は通信担当として同行した作家の巖谷小波が同行紀「新洋行土産. 上巻・下巻」を残している。「新洋行土産. 上巻」には氏名に振り仮名が振られており、神野金之助には「かみのきんのすけ」とある。政府の公式行事であることと、明治天皇より午餐を賜る状況下で団員全員の氏素性は完璧に調査されているはずで、苗字を間違えることはあり得ない。したがって明治42年8月の時点では「カミノ」姓であったことは明らかである。 現時点の調査では、改姓の時期は明治39年から40年と考えられるが、今だ明確な証拠は発見できていない。
※この「じんの姓からかみの姓への改称について」の解説は、「神野金之助 (初代)」の解説の一部です。
「じんの姓からかみの姓への改称について」を含む「神野金之助 (初代)」の記事については、「神野金之助 (初代)」の概要を参照ください。
- じんの姓からかみの姓への改称についてのページへのリンク