いのちのとりで裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/30 19:04 UTC 版)
いのちのとりで裁判(いのちのとりでさいばん)とは、2013年(平成25年)8月から順次開始された生活保護生活扶助基準引下げに対して、国は取り消すよう被保護者が全国各地で起こした裁判群の通称である。
概要
元・朝日新聞記者でフリー記者の阿久沢悦子によると、2011年(平成23年)に生活保護の被保護者が過去最多になったとの報道が引き金になったという[1]。
2012年(平成24年)3月、当時野党だった自由民主党に「生活保護に関するプロジェクトチーム」(座長:世耕弘成)が設置され、生活保護基準の引き下げや不正受給対策の厳格化を提言した。同時期に芸能人の母が生活保護制度を利用していて、適正な利用だったが、あたかも不正受給であるかのようなバッシングが巻き起こった[2]。
同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自由民主党が「生活保護基準の10%引き下げ」などを選挙公約に掲げて選挙戦を戦った結果、政権復帰を果たした[2]。
その後、2013年(平成25年)1月にとりまとめられた「社会保障審議会生活保護基準部会における検証結果や物価の動向を勘案する」という考え方に基づき、必要な適正化を図るため見直しが行われた。生活保護費のうち、主に生活扶助の食費・被服費等、光熱費・家具什器等に充てる生活扶助基準を減額することを決定した。2013年(平成25年)8月から順次開始され、約3年かけて、2012年度ベースに対して基準生活費の平均6.5%、最大10%を減額、削減を実施した[3][4]。
厚生労働省は与党・自由民主党の要求「10%」に対して「平均6.5%」と、引き下げ割合を縮小させることに成功した。しかし、フリーランスライターの、みわよしこは「低所得層にとっての『平均6.5%』は、まさしく生存を削る重みがある。厚労省に感謝はできない」と語る[4]。
生活保護法制定以来、生活扶助が引き下げられたのは、2003年度及び2004年度で、その率もそれぞれ0.9%、0.2%。今回は前例のない大幅引下げだった。2014年(平成26年)以降、全国各地の1,000名を超える被保護者が、日本国憲法第25条が保障する生存権の侵害ではないかと裁判を起こした[5][6][7]。
引き下げの原因は2012年(平成24年)12月26日に成立した第2次安倍内閣による同年の第46回衆議院議員総選挙における「生活保護費の1割カット」の公約の強行である。その引き下げの主な根拠とされたのは、2008年(平成20年)から2011年(平成23年)にかけて4.78%も物価が下落しているとする「デフレ調整」であったが、この「デフレ調整」は専門家部会の審議を経ずに、部会の報告書が発表された後に厚生労働省の事務方が独自に開発した物価指標を用いて実施したものだった[8]。
訴訟
受給者は経済的に余裕がなく、弁護士の多くは持ち出しで請け負っている。原告側が、複雑で巧妙な統計操作のカラクリを解明し、裁判所に対し説得力を持って説明できるようになるまでには、膨大な時間と労力を要した[7]。
- 被保護者等に対するバッシング
世間のではこの裁判の報道がなされるたびに、一部で「(被保護者は)裁判する暇があるなら働け」といった批判の声が起こった。行政書士の三木ひとみは「憲法はすべての人に『裁判を受ける権利』を保障している(日本国憲法第23条)」と語る[7]。
- 判決文のコピペ疑惑
2021年(令和3年)12月に信濃毎日新聞が、原告側敗訴とした3件の判決文が酷似しているとして、コピー・アンド・ペースト(コピペ)の疑いがあると指摘した。福岡地方裁判所の判決文を京都地方裁判所と金沢地方裁判所が使い回した疑惑があるという。いずれも「NHK受信料」を「NHK受診料」と誤記しており、誤記を含む文章もほぼ同じだったことからである[9]。
判決
2025年(令和7年)6月27日、最高裁判所で「生活保護費の減額は違法」との判決が出された[10]。
- 要点
-
厚生労働省が「デフレ調整」と称して価格下落の激しい電化製品などを極端に重視し、生活保護受給世帯の物価下落率を4.78%と異常に高く算出した手法について
- 物価変動率のみを直接の指標として用いたことは従来なかった
- 専門的知見との整合性を欠く
- 基準生活費を一律4・78%も減ずるものであり、受給者の生活に大きな影響を及ぼす
- とし、厚生労働大臣の判断に裁量権の範囲の逸脱又は濫用があり、生活保護法第3条、同第8条2項に違反しているとした[11]。
判決は出たものの1,027人だった原告うち、およそ2割の232人が他界していた[12]。
判決後
東京新聞によると、最高裁判所の判決から10日が過ぎても、政府は依然として生活保護の被保護者に謝罪せず、違法減額された分の保護費をどう支払うか明らかにしなかった。厚生労働大臣の福岡資麿は判決後に謝罪せず、専門家審議会を設置して今後の方針を検討すると表明した。本訴訟の原告たちは2025年(令和7年)7月7日、厚生労働省に「謝罪と専門家審議会の設置方針の撤回、違法と指摘された保護費の差額分をさかのぼって支払うこと」を求めたものの、対応したのは大臣や副大臣、政務官を務めている国会議員でなく省職員だった[13]。
同年7月20日に第27回参議院議員通常選挙が行われたが歴史的な判決が出た直後だというのに、7月8日時点の状況だが、自民、立憲、公明、維新、国民民主、共産、れいわ、社民、参政、保守各党は沈黙していた[14]。
脚注
- ^ 阿久沢悦子 "生活保護は「いのちのとりで」「土台下がればみな下がる」 5月の最高裁弁論に向け、590人が決起集会" 生活ニュースコモンズ 2025年4月23日9:09更新 2025年8月16日閲覧
- ^ a b 荻上チキ・Session "「生活保護バッシング」が呼び起こしたもの「いのちのとりで裁判」の意義とは" TBSラジオ 2025年7月23日15:00更新 2025年8月4日閲覧
- ^ 厚生労働省社会・援護局保護課 生活保護関係全国係長会議資料 2013年5月20日
- ^ a b みわよしこ "生活保護費引き下げ訴訟「大詰め」、司法は最後の意地を見せるか" ダイヤモンド・オンライン 2020年1月31日4:40更新 2025年8月5日閲覧
- ^ 西山貞義 "生活保護基準引下げ違憲訴訟(いのちのとりで裁判)・富山地裁勝訴!" 富山中央法律事務所 2024年2月5日更新 2024年12月23日閲覧
- ^ 白井康彦"生活保護減額をめぐる訴訟が国の「統計不正隠蔽」の実態暴く" 週刊金曜日 2024年2月19日16:21更新
- ^ a b c 三木ひとみ"「生活保護受給者は裁判する暇があるなら働け」が“的外れ”な指摘である理由…提訴から10年超なお未解決「いのちのとりで裁判」が問いかけるもの【行政書士解説】" 弁護士JPニュース 2025年4月13日8:56更新 2025年4月22日閲覧
- ^ "断罪された「物価偽装」「生活保護基準引き下げは違法」の衝撃" 稲葉剛 毎日新聞 2022年6月20日更新 2024年12月23日閲覧
- ^ 時事通信 社会部 "「コピペ判決」指摘が反響 弁護団「流れ変わるきっかけに」―地方紙の報道が後押し・生活保護訴訟" 時事ドットコムニュース 時事通信 2025年06月28日16時43分更新 2025年8月16日閲覧
- ^ "「いのちのとりで」守られた 生活保護費減額から12年、勝訴に安堵" 毎日新聞 2025年6月27日21:31更新
- ^ 三宅勝久 "「生活保護費」減額めぐる裁判で最高裁が統一判断示す 「引き下げは違法」" 週刊金曜日オンライン 2025年8月7日17:55更新 2025年8月31日閲覧
- ^ 中村真暁 "すでに原告の2割が死去…「早期解決を」 生活保護引き下げ訴訟で勝訴した原告側が厚生労働省に要請" 東京新聞 2025年6月30日19時38分更新 2025年8月16日閲覧
- ^ 鈴木里奈 中村真暁 "「生活保護利用者の声を聞け」 霞が関に響いた怒り 基準引き下げは「違法」…でも厚生労働省はだんまり" 2025年7月8日6時00分更新 2025年8月16日閲覧
- ^ 阿久沢悦子 "「司法は生きていた。でも行政は腐っていた」厚労省「謝罪しない」可能性 専門家会議の設置は強行 生活保護引き下げ違法の最高裁判決受け" 生活ニュースコモンズ 2025年7月8日15:23更新 2025年8月17日閲覧
関連項目
外部リンク
- いのちのとりで裁判のページへのリンク