『無法松の一生』への出演とは? わかりやすく解説

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『無法松の一生』への出演

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 11:22 UTC 版)

園井恵子」の記事における「『無法松の一生』への出演」の解説

1943年園井当時最大級スターであった阪東妻三郎相手役・「吉岡夫人役として、映画無法松の一生』に出演する吉岡夫人役には当初水谷八重子次いで入江たか子候補として挙がっていたが、両名所属会社はこれを断り、代わって候となった小夜福子妊娠中で出演不可との返事であった制作側は「あまり動かない役だから、ともかく一度会いしたい」と食い下がり後日設けられ両者面会の場で、小夜はすでに大きくなった腹を見せた上で「私よりぴったりだと思う」と園井紹介。このとき園井アスピリン中毒で口周り湿疹生じたためマスク姿で、監督稲垣浩別室に連れだしてマスクを取るよう促したが、園井は「この顔を見られるぐらいなら、もうお断りします」と涙ながらに拒否し、完全な顔合わせのないまま、小夜言葉信じて起用決まった撮影に入ると園井顔合わせ頼りなさからは打って変わって真摯に役作り取り組み、「松五郎」役の阪東ともども撮影中以外にも役に入りきっていたという。逸話だが、この時の子役沢村アキオ(のちの 長門裕之 )だったが、結婚するならば園井のような女性がいいと言っていた。稲垣は、その後新作出演園井打診しているが、後年当時振り返る際には「彼女は芸達者ではなく、芸熱心だった。役の人になりきるという基本をしっかり身につけた人だった」等と評している。 完成した無法松の一生』は検閲により約10分間相当するフィルムに鋏が入れられてしまったが、稲垣が「こんなにほめられていいのかしらと思うぐらい」の好評博し園井の名も映画スターとして一躍全国区のものとなった当年興行収入ランキングでは黒澤明の初監督作品姿三四郎』を上回り、『伊那勘太郎』に次ぐ第2位成績挙げた稲垣試写の手紙で「何か貴女適当な役があった場合は、また飛んでいくかも知れません。映画にはこりごりでも、せめて僕のモノには出てほしい」と綴っている。園井自身はのちに「『無法松』のときは初めてで、お相手の方もずいぶん歯がゆくお思いになったでしょうと、恥ずかしくてたまらない」と自省し、稲垣監督宮川一夫撮影再度映画出演することを願っていたという。なお、後に稲垣映画乞食大将』の主演園井推薦し、また『無法松-』の演技感心した山本嘉次郎脚本用意の上起用図ったが、いずれも出演実現しなかった(#逸話)。 『無法松-』のあと大映園井専属契約持ちかけたが、園井は「当分、苦学座の人たちと舞台修行をしたい」としてこれを断った。なお、1943年4月のもので、東宝との契約交渉についての手紙も残されており、東宝からは給与出演範囲提示苦楽座映画への出演は自由、といった具体的な条件示されていたが、園井後援者である中井志づへの手紙で給与出演範囲についての不満を漏らしており、その後どのように交渉した不明であるが、締結に至らなかった。

※この「『無法松の一生』への出演」の解説は、「園井恵子」の解説の一部です。
「『無法松の一生』への出演」を含む「園井恵子」の記事については、「園井恵子」の概要を参照ください。

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