『東方見聞録』における記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 08:07 UTC 版)
「ミンガン (カンクリ部)」の記事における「『東方見聞録』における記述」の解説
ヴェネチア出身で大元ウルスまで旅行したマルコ・ポーロもミンガンの存在について言及している。 宿衛の諸士の中に、バヤンとミンガンという兄弟がいる。この両兄弟はクイウチ(=グユクチ)、すなわち『猛犬の世話係』という職務を帯びている。両人は各々一万人の配下を有しているが、この両部隊はそれぞれ一方は朱色の、他方は黄色の衣装をそろえて身につける。彼らがカアンに昼従して狩猟に赴く際には、いつもこのそろいの制服を着用する。この一万人部隊の中で、それぞれ二千人が一人当たり一匹か二匹、 ないしはそれ以上の猛犬を預って世話しているのだから、猛犬の総数は莫大な数に上ろうというものである。カアンが出猟する時には、この両兄弟は各自に一万人の部下と五千頭の猟犬を引き具してカアンの両側に随行する。最初の間、彼らは互いにさほど遠くもない間隔を保ちつつ並行するが、その占める範囲は約一日行程ばかりに相当する地域である。次いで次第に寄り集まってこの範囲を狭めてくる。この包囲にかかった野獣どもは、それこそ一匹も逃れ去ることはできない。この狩猟のありさま、猟犬と猟人たちの働き振りときたら、全く驚嘆に値する光景である……。 — マルコ・ポーロ、『東方見聞録』 この記述によると、グユクチは単なる軍事集団であるだけでなく、猟犬の飼育管理を行う集団であったという。実際に、ミンガン同様カンクリ部出身のアシャ・ブカはシバウチ(鷹匠)軍団を率いて武功を挙げ、後にはこのシバウチ軍団を基盤とする広武康里侍衛親軍の指揮官(都指揮使)に任ぜられている。アシャ・ブカのシバウチ軍団(後の康里衛)、ミンガンのグユクチ軍団(後の貴赤衛)はともに平時は大元ウルス皇帝への狩猟奉仕を行い、戦時には特技を活かした特殊訓練部隊を組織する、類似した軍団であったと考えられている。 なお、ミンガンの兄弟バヤンについては『元史』などの漢文史料に全く記述がないが、ポール・ペリオは『集史』「クビライ・カアン紀」に西北方面の武将として記録される人物(綴字が判読困難であるが、ペリオはBayan Güyügčiと読む)と同一人物であろう、と指摘する。
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