『新唐書』新羅伝『三国史記』列伝における評価とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『新唐書』新羅伝『三国史記』列伝における評価の意味・解説 

『新唐書』新羅伝・『三国史記』列伝における評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/21 10:18 UTC 版)

張保皐」の記事における「『新唐書』新羅伝・『三国史記』列伝における評価」の解説

『新唐書』220新羅伝では、張保皐と鄭年とが元々知己であったこと、ともに唐で武寧少将となったことを伝える。張保皐先に新羅帰って高い官位清海鎮大使)を得た後に、職を去って餓え凍えていた鄭年が張保皐頼っていったときに暖かくこれを迎えたこと、歓迎の宴の最中閔哀王殺され国都混乱していることを聞くや、張保皐が鄭年に兵5千を与えて「あなた(鄭年)でなくては、この禍難収めることはできないだろう」といい、反乱者を討たせて新王を立てたこと、新王によって張保皐宰相取り立てられたこと、代わりに鄭年が清海鎮大使継いだこと、を記している。さらに続けて杜牧張保皐・鄭年の交わり安禄山の乱における郭汾陽郭子儀)・臨淮(李光弼)の交わり見立てて仁義の人であると賞賛したことを伝え『新唐書』列伝編纂した宋祁の評として、国難時期に義の心を持って国家憂患第一に考えた人として晋国の祁奚、唐代の郭汾陽張保皐挙げ、「どうして東方蛮国優れた人物がいないということがあろうか」と称えている(原文嗟乎、不以怨毒相槊、而先国家之憂、晋有祁奚、唐有汾陽・保皐、孰謂夷無人哉。)。 『三国史記』の編者金富軾は、新羅伝記新羅本紀に基づく記事上記)とは食い違っていることを明記したうえで、『新唐書』新羅伝の記述をほぼ引用した形で巻44張保皐伝を記しており、張保皐評価支持している。また、43金庾信伝下においても、新羅三国統一果たした金庾信功績図抜けたものとしながらも、乙支文徳知略張保皐武勇とをともに顕彰している。

※この「『新唐書』新羅伝・『三国史記』列伝における評価」の解説は、「張保皐」の解説の一部です。
「『新唐書』新羅伝・『三国史記』列伝における評価」を含む「張保皐」の記事については、「張保皐」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『新唐書』新羅伝『三国史記』列伝における評価」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「『新唐書』新羅伝『三国史記』列伝における評価」の関連用語

『新唐書』新羅伝『三国史記』列伝における評価のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『新唐書』新羅伝『三国史記』列伝における評価のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの張保皐 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS