『帰ってきたウルトラマン』関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:37 UTC 版)
「きくち英一」の記事における「『帰ってきたウルトラマン』関連」の解説
『帰ってきたウルトラマン』への出演を依頼された際には、『ウルトラセブン』での経験から激務になることが予想されたため、一度は辞退して代わりにJFA所属の中岡慎太郎を推薦した。しかし、後日には主役が団次郎に決まったうえ、「団と中岡では体格が違いすぎる」という理由で再びきくちに依頼が来ることになる。この時も乗り気ではなかったきくちは、体よく断るために「出演料を中岡に提示された額の1.5倍にする」「MAT隊員など顔出しの役でも出演する」という条件を出した。ところが、前者はあっさり承諾され、後者も「隊員役はもう決まっているので無理だが、何か役を考える」と善処する旨の返事をされ、断る理由がなくなってしまったという。結果的に後者は一部のエピソードにゲスト出演するのみに留まったが、これについては、ウルトラマンだけでも大変だったことから、後に「それでよかった」と語っている。 『帰ってきたウルトラマン』への出演当初は「嫌々やっていた時期もあった」というが、やがて「菊池さんのウルトラマンには表情がある」と渡辺高光の夫人から言われたり、1日に何通も子供たちから「東京都世田谷区帰ってきたウルトラマン様」という宛先でファンレターが届くようになり演じるのが楽しくなったという。第2話の撮影では、特撮プールでの待機中に誤ってプールに電気が流れてしまい、危うく感電死しかけた。 『帰ってきたウルトラマン』への出演当時、スタミナをつけるためにニンニクの醤油漬けや、レモンの砂糖漬けを毎日のように摂取していた。その結果、ニンニクの摂り過ぎで胃を荒らしたこともあった。また、ウェットスーツ製の衣装でアクションを演じる関係上、大量の汗をかくため、食事も毎日大量に塩を振りかけた生野菜をバリバリ食べていた。「さすがにこれは身体に悪いのではないか」と思ったが、実際にはそれでも追いつかないほど立ち回りで塩分を消費していたらしく、番組終了後には医者から「塩分不足」と診断されたという。 次作の『ウルトラマンA』も依頼されたが、ウルトラマンのアクションは激務であり、体力的に限界ということで辞退している。円谷プロからは記念品としてウルトラマン関係の小道具をいくつか譲られており、2002年5月7日にテレビ番組『開運!なんでも鑑定団』に出演した際には、それらの品をまとめて披露し、合計211万円の評価を受けた。 1980年代には、紳士服販売の「ROC(流通卸売センター)」のテレビCMでモデルを担当。同時期に「大三紳士服」のCMでは団次郎がモデルを務めており、『帰ってきたウルトラマン』の変身前後の役者が競演していたことになる。
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