『ケブレ・ネガストkebre-negast』の記述
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「シバの女王」の記事における「『ケブレ・ネガストkebre-negast』の記述」の解説
エチオピアの古代の伝説を記した『ケブレ・ネガストkebre-negast』(王たちの栄光)にはソロモン王とシバの女王の逸話が、エチオピアの国祖誕生の伝説と関係して記されている。『ケブレ・ネガスト』には「シバ」の単語は出ないが、『新約聖書』の「南の国の女王」とはエチオピアの女王マケダであったと紹介される。陸路と海路でさかんに交易を行っていた女王はあるとき、タームリーンという豪商からソロモンの噂を聞き、エルサレムへ旅立つ。王との会見で彼の聡明さを知った女王は、太陽崇拝を捨てイスラエルの神に回心するのだった。6ヶ月の滞在の後、女王が帰国を望むようになると、彼女との間に子を欲した王は送別の宴会に一計を講じ、料理に香辛料の効いたものや酢を用いたものを多く出した。そして、女王に一夜を共にするよう誘うと、女王は「無理やり襲わないなら」という条件を出し、王は「寝室の物を奪わない限り」約束すると誓った。やがて二人は寝室で横になったが夜半に女王は喉の渇きを覚えて、思わず脇においてあった水差しの水を飲んでしまう。そこを見計らった王は先の条件を口実に、女王との間に一子をもうけることを果たした。帰国して出産した女王は息子の名をバイナ・レフケム(イブン・アルハキームのゲエズ語音訳、賢者の子の意)と名付け、これが転訛してメネリクと呼ばれるようになったと言われる。バイナ・レフケムは22歳になるとエルサレムに向い父と対面する。喜んだソロモンは彼に王位継承を求めるが、それが断られると国内の貴顕を集めエチオピアに第2のエルサレム建国の計画を語る。バイナ・レフケムは新イスラエルの王に即位し、祖父の名を取ってダビデと命名され律法の知識を授けられた。しかし、新王に随行することになった最高神官の息子アザールヤースは突然の事態に不満を持ち、密かに十戒を納めた「聖櫃」を偽装してエチオピアに持っていってしまう。聖櫃は神の御座所でもあったため、この事件は神がエルサレムから離れてエチオピアへ移ることを意味した。ソロモンはその後、神に見放されたことから知恵を失い、女色に溺れ、ついには偶像崇拝に陥りエルサレムは衰退していったという。一方、帰国した新王ダビデはエチオピア首都・ダブラ・マケダ(マケダ山の意)に到着すると女王から改めて王位を譲られ、これによりイスラエル王家の血を引く新王朝が誕生した。
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