『おしん』のモデル説
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1983年(昭和58年)のNHK連続テレビ小説『おしん』の、主人公のモデルの内の1人とも言われる。しかし実際には、原作者の橋田壽賀子自身が日本経済新聞の連載記事上で、「ヒントはいただいたが、モデルはいない」「いるとすれば、苦難の時代を生き抜いてきた『日本の女たち』」と語っていた。また長男の一夫も「ドラマにスーパーのチェーンが登場するので、人が勝手にそう思っただけ」「東南アジアなど、日本国外の人がそう言い始めた」「モデルではない」と、モデル説を否定していた。 カツがモデルと考えられた理由は、野菜行商から身を興して昼夜を問わず働き続けたこと、奮闘努力の生きざま、子育てをしながら商売に打ち込む姿、などがドラマに通じるためと見られている。また橋田の住居がカツと近所同士であり、交流があったことから、カツの昔話を参考にしたとの説もある。 カツ自身はこのモデル説を「恐れ多い話」「橋田さんに申し訳がない」と否定していたが、「橋田さんの作品の素材にお役にたったとしたら、おしんの後半生の部分でしょうか」とも語っていた。 ブルネイで『おしん』が放映された際には、ヤオハンがスポンサーとなった。マレーシアやシンガポールでも、貧しい日本女性の物語として『おしん』の人気が高かったことが、ヤオハンが庶民に人気を得る要因の一つとなっていた。 同じくNHK連続テレビ小説で、2015年(平成27年)に『あさが来た』が放映された際には、同作のモデルである広岡浅子と同様に、明治以降に活躍した女性実業家の1人として、『おしん』のモデルとして和田カツの生涯が、雑誌記事などで取り上げられた。
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