「草履」の出どころとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「草履」の出どころの意味・解説 

「草履」の出どころ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 00:05 UTC 版)

鏡山物」の記事における「「草履」の出どころ」の解説

上で触れた月堂見聞集』による実説には、鏡山物にとって重要なものが欠けている。それはいうまでもなく草履」である。 『月堂見聞集』には、沢野滝野に対してしたことについて「草履」は出てこない。ただ「御前」すなわち周防守の奥方の前で沢野滝野を、「不調法不届者などと殊の外叱り候」とあるだけである。では「草履」はどこから出てきたのか。 この事件起きた享保8年1723年)から数十年たつと、これについての「実録本」が多く書かれるようになった実録本とは当時起こった事件等について虚実交え記した小説である。現在知られる中で古いものと見られる実録本女敵討実録』(京都大学所蔵)のなかに、中老お道(『月堂見聞集』のものとは名が違っている)が奥方急なお召し慌て、局沢野草履間違えて履いてしまい、それを怒った沢野に「草履蹴り付けられる」というくだりがある。この『女敵討実録』には「松平周防守」すなわち松平康豊のことを「老中」と称しているが、康豊は老中についた事は無く老中についたのはその次の藩主松平康福である。康福が老中にあったのは宝暦13年から天明8年1763年1788年)のことであり、本書成立宝暦13年以降と見られる。ほかにも江戸期書かれ鏡山物実録本としては、記述増減し色々な内容のものが写本として伝わるが、いずれもやはり「草履蹴り付けられる記述となっている。 『月堂見聞集』には見えなかった「草履」が、それより後に成立したと見られる実録本には出てくる。当時実録本というのは加賀騒動見てもわかるように、事実ではないことを面白おかしく書き綴る場合が多いので、実録本として仕立てる際に本来は無かった草履」の話を潤色した可能性は高いといえる天明2年1782年初演浄瑠璃加々見山旧錦絵』にはもちろん「草履」が出てくるが、この浄瑠璃もその以前からあった実録本をもとにしたと見られまた上述べた実録本内容が、この浄瑠璃よりさきに既に巷間流布してたらしいことが指摘されている。宝暦2年1752年刊行青本猿塚物語』にも「草履打ち」の趣向見られる。つまり「草履」は、『加々見山旧錦絵以前実録本にもすでにあったということである。 しかしそもそも草履以って人を殴るという「草履打ち」は、『加々見山旧錦絵以前から歌舞伎芝居見られるのである歌舞伎十八番のひとつにもなっている「不破名古屋」の芝居において、名古屋山三不破左衛門から草履殴られるという場面元禄ころからあり、これが「不破名古屋」の芝居における見せ場ひとつになっていた。いずれにせよ実録本の「草履」の出どころについては何なのか明らかではないが、浄瑠璃加々見山旧錦絵』は歌舞伎従来からある「草履打ち」の趣向と、「草履」に結び付けられ巷説をうまく繋げて脚色したものといえよう。

※この「「草履」の出どころ」の解説は、「鏡山物」の解説の一部です。
「「草履」の出どころ」を含む「鏡山物」の記事については、「鏡山物」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「草履」の出どころ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「草履」の出どころ」の関連用語

1
12% |||||

「草履」の出どころのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「草履」の出どころのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの鏡山物 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS