「秘密の小箱」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/31 04:22 UTC 版)
「ヘンリー・ステュアート (ダーンリー卿)」の記事における「「秘密の小箱」について」の解説
また、メアリーとボスウェルのダーンリー暗殺に関する証拠として有名な「小箱の手紙」についても偽造説が出ている。まず、このメアリーの手紙の中のソネットの出来が、メアリーが作ったものとしては平凡な感じがするというのである。メアリーはフランス宮廷にいた頃、メアリーに対して多くの詩を捧げ、かつての彼女の詩の教師でもあり、当時詩聖と呼ばれたピエール・ド・ロンサールからも賞賛されるほど、詩の才能に恵まれていた。また、このソネットの中のすがりつくような調子が、女王らしからぬ調子で腑に落ちないとも言われる。 この小箱は1567年6月20日、ボスウェルからマリ伯側が押収したとされているが、この中の手紙は英語とラテン語で書かれている。原本はフランス語で書かれたらしいが、肝心のフランス語で書かれた手紙は4通だけである。そもそも小箱の中に何通の文章が入っていたのか、それさえもはっきりとはわかっていない。しかもどの書類にも日付がなく、適当と思われる順番に並べ替える事も可能になる。最も疑問を感じるのが「長い手紙」と呼ばれる書簡で、病気のダーンリーを迎えに行ったメアリーがグラスゴーで書いたと言われている。手紙を読むと、目前に迫ったダーンリーの暗殺について、メアリーが密かに連絡を受け、承知していた事がわかる。しかし大きな疑問点として、メアリーが手紙のなかで、そのような危険極まりない暗殺計画について、とうとうと自分の考えを述べている点が残る。数日後には共犯者のボスウェルと再会するはずであった。それに、メアリーが手紙の中で何度も頼んでいるにもかかわらず、なぜボスウェルは文字通り爆発的な危険を孕んだこの手紙を処分しなかったのかという点も、大きな疑問として残っている。そもそもこの小箱の中の書類の原本の存在さえ疑問視する意見もある。 一方で、小西章子のように、メアリを陥れるために長い手紙や詩を書く必要はなく(一片の手紙で事が足りる)、フランス語で詩を書ける人間がスコットランドには限られていたことから、やはりメアリーが書いたものではないかと主張する歴史家もいる。もっとも、その小西でさえも、全てがメアリーの書いたものではなく、偽造が含まれていただろうと書いている。また、小西はメアリーの息子のジェームズ1世が手紙を破棄していることから、ジェームズは本物であることを知っていたのだとしている。
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