「次」の建艦計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 16:26 UTC 版)
「ダニエルズ・プラン」の記事における「「次」の建艦計画」の解説
本計画成立の翌1917年、アメリカは世界大戦に参戦した。このため、各種小型艦艇の急造が必要となり、臨時軍事費によって駆逐艦229隻、潜水艦26隻他の戦時計画を成立させた。一方で大型艦の建造にはブレーキがかかり、起工済の艦を除いて建造は繰り延べとなった。 さらに1918年、将官会議はダニエルズ・プランに続く建艦計画として下記の内容を6カ年計画で提出した。 戦艦 12隻 巡洋戦艦 16隻 軽巡洋艦 30隻 駆逐艦 108隻 潜水艦 167隻 航空母艦 6隻 他 当計画はさすがに膨大に過ぎ、政府内査定で戦艦10隻、巡洋戦艦6隻、巡洋艦10隻、駆逐艦・潜水艦以下130隻の3カ年計画に修正されたが、これとても先のダニエルズ・プランとほぼ同規模の大計画であることには変わりなかった。 1919年度議会に提出された計画は難航し、下院において戦艦・巡洋艦各10隻のみに削られた(上述の通り、駆逐艦以下については戦時計画で大量建造が決定していた)。しかし上院では審議が満了せず不成立となる。他方、同年1月にはダニエルズ長官が第二次三年計画を発表した。この計画は国際連盟加盟条約を批准しなかった場合という前提条件つきではあるが、三カ年で戦艦6隻、巡洋戦艦6隻以下を6億5千万ドルにて整備するという大計画であった。本計画は国際連盟成立に伴う世界情勢が想像以上に融和的となったことを受けて撤回されることになる。 1920年、最後の建艦計画が策定された。本計画は3カ年にて戦艦3隻、巡洋戦艦1隻、巡洋艦30隻、大型駆逐艦18隻、大型潜水艦6隻、機雷潜水艦12隻、その他合計88隻というもので、大戦終結により建造再開した戦艦・巡洋戦艦の工事量が膨大であったためと、上記第二次三年計画が世界情勢を受けて縮小された結果、大型艦は少なく中・小型艦の整備に重点を置かれたものだった。本計画は政府内にて審議中にワシントン会議開催を迎え、議会提出に至らずそのまま立ち消えとなった。ちなみに同計画中の戦艦についてはサウスダコタ級の改良型で、主砲を16インチ三連装砲から18インチ連装砲に強化する、副砲を連装砲塔に収める等の改正が盛り込まれている。
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