「呪い」は続いた
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 03:22 UTC 版)
「ビリー・サイアニス」の記事における「「呪い」は続いた」の解説
「呪い」は、いくつかの機会で公の場で明らかにされた。まず、ビリー自身が晩年の1969年にヤギの入場を試みて拒否される。この年のカブスは出だしから8月中旬まで好調であったが、ビリーによるヤギの再入場の試みが失敗に終わり、また優勝を争っていたニューヨーク・メッツとの大事な試合で不吉の象徴たる黒猫がカブスのナインにつきまとうように出現したことにより優勝を逃し、「不吉な」カブスは「ミラクル・メッツ」と称されたメッツと対照的な存在として描かれた。 ビリーの没後に「ビリー・ゴート・タヴァーン」を引き継いだ甥のサム・サイアニスも1973年以降数回にわたって入場を試みた。1984年、カブスのオーナーでトリビューン・カンパニーの総帥であるダラス・グリーンは、「呪い」の打破のためにサムにヤギを連れての入場を許可する。この許可を祝うかのようにこの1984年のカブスは勝ち続け、地区優勝を果たしてリーグチャンピオンシップシリーズに進出。しかし、最初の2戦をものにするもサンディエゴ・パドレスにタイに持ち込まれ、さらに第5戦でのレオン・ダーラムの手痛いエラーもあってリーグ優勝を逃した(当時のリーグチャンピオンシップシリーズは5戦3勝制)。1989年にも入場が許可されたが、地区優勝をしたにもかかわらずリーグ優勝はサンフランシスコ・ジャイアンツにさらわれた。1998年はワイルドカードを獲得するもディビジョンシリーズで敗退し、2003年はスティーブ・バートマン事件でリーグチャンピオンシップシリーズで敗退した。 多くのカブスのファンは「呪い」はいまだ解けないと確信し、「呪い」を解くための精進を日々重ねてきた。2011年以降、慈善団体を中心に貧者へのヤギの寄付を行ったり、「リグレー」と命名したヤギの飼育を行うなどの活動を行っている。2015年には地区3位ながらワイルドカードゲームからディビジョンシリーズを勝ち上がり、リーグチャンピオンシップシリーズに進出するが、ニューヨーク・メッツに4連敗。山羊の名前「マーフィー」と同じダニエル・マーフィーにディビジョンシリーズから続く6試合連続本塁打のプレイオフ新記録を許し、4連敗を喫した。精進の成果が実を結ぶまでには、ビリーの没後46年になる2016年10月22日のリーグ優勝まで待たねばならなかった。 そしてカブスは2016年11月2日、プログレッシブ・フィールドで行われたワールドシリーズ第7戦(クリーブランド・インディアンス戦)、延長10回にもつれ込む大接戦を制して、チームを108年ぶりの大リーグワールドチャンピオンに導くことに成功し、ここにめでたく「呪い」の歴史は完全にピリオドが打たれることになった。
※この「「呪い」は続いた」の解説は、「ビリー・サイアニス」の解説の一部です。
「「呪い」は続いた」を含む「ビリー・サイアニス」の記事については、「ビリー・サイアニス」の概要を参照ください。
- 「呪い」は続いたのページへのリンク