「味鋺古墳群」との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:20 UTC 版)
「味美古墳群」の記事における「「味鋺古墳群」との関わり」の解説
現存する味美古墳群の南方(名古屋市北区味鋺)の味鋺神社周辺には味鋺古墳群(あじまこふんぐん)とも呼ばれた古墳群があった。周辺は「百塚」と呼ばれるほど古塚が多かったが、開墾が進んだため1935年(昭和10年)の小栗鐵次郎『愛知県史跡名勝天然記念物調査報告・第十三』に記録されているものは23基(墳丘残存は5基)とその数を急速に減じ、1950年(昭和25年)9月に南山大学人類学研究所によって発掘された白山薮古墳以外は調査されることもないまま全て滅失した。 味美古墳群を造った集団の一支群によるもの、あるいは白山薮に始まる集団が北に勢力を伸ばした結果造られたのが味美古墳群とする説があり、現在では味美古墳群に含めることが多い。
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