白山薮古墳とは? わかりやすく解説

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白山薮古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 06:02 UTC 版)

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白山薮古墳
名古屋市味鋺保育園(2013年12月)
所在地 愛知県名古屋市北区大字味鋺字堂ノ前32
位置 北緯35度13分08.39秒 東経136度55分46.57秒 / 北緯35.2189972度 東経136.9296028度 / 35.2189972; 136.9296028
形状 円墳あるいは前方後円墳
埋葬施設 粘土槨割竹形木棺
出土品 三角縁神獣鏡、鉄製品など
築造時期 5世紀前半
被葬者 不明
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白山薮古墳(はくさんやぶこふん)は、愛知県名古屋市北区にあった古墳である。

概要

味鋺古墳群のひとつで「オハクサヤブ」と呼ばれた薮の中にあった。1950年昭和25年)に開発に伴う土取りが行なわれた際に主体部が見つかり、同年9月に南山大学人類学研究所による発掘調査が行なわれた[1]。調査後、宅地化のために滅失したが位置的には名古屋市立味鋺保育園がある付近となる。

規模と構造

発掘時には墳径20メートル・墳高4メートルの円墳とされたが[1]、調査当時には道路をはさんだ西側にも塚状の土が残っており、これを前方部とする墳長40メートル以上の前方後円墳であったとの説もあって、墳長45メートル・後円部径20メートル[2]のほか、墳長48メートル・後円部径29メートル・前方部幅24メートルを想定している説[3]もある。

主軸を西方向に置いた主体部は割竹形木棺を粘土で包んだ粘土槨で、槨の上面はベンガラを含んだ赤色の粘土層で覆われていた。木棺の両端は粘土を煉瓦状に焼いた「セン」(、土偏に専)と呼ばれるものを積み重ねて塞いでおり、同様の例は無いと言う。また、木棺の北側に「セン」を使った副葬品室を設けるなど特徴的なもので、多数の鉄製品が出土した。

出土品[1]

木棺

副葬品室

※ また、粘土槨の下の礫床から須恵器片が検出されている。

その他

味鋺神社は白山薮古墳から出土したと伝わる銅鏡を神宝として所有している[4]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 名古屋の史跡と文化財、P.95
  2. ^ 愛知県埋蔵文化財センター:埋蔵文化財愛知 No.43、1996年
  3. ^ 『味美二子山古墳の時代』第一分冊、P.68
  4. ^ 楠の里散策コース

参考文献

  • 名古屋市教育委員会、『名古屋の史跡と文化財(新訂版)』、1997年
  • 春日井市教育委員会民俗考古調査室 編、『味美二子山古墳の時代』、第一分冊、春日井市、1997年

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