「南京事件」関連
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1984年8月4日、西部本社版夕刊で、「日記と写真もあった 南京大虐殺 悲惨さ写した三枚 宮崎の元兵士 後悔の念をつづる」という見出しで、都城歩兵第23連隊の元上等兵が虐殺に直接携わり、苦しむ心情をつづった日記と、惨殺された中国人と見られる男性や女性の生首が転がっているシーンなどの写真3枚が見つかったと報じた。これに対して都城23連隊会は、同連隊は南京虐殺とは無関係だと主張し、朝日新聞社宮崎支局長中村大別に対して抗議したが、朝日側は訂正・謝罪を拒否した。しかし1985年12月28日、世界日報が生首を写した写真は偽物であることを報じ、さらに同紙は1986年1月13日に、朝日新聞が報じた写真と同じ写真の持ち主が現れ、偽写真であることが確定したと報じた。これを受けて朝日新聞は同年1月21日、「写真三枚については南京事件当時のものではないことがわかりました。記事のうち、写真に関する記述は、おわびして取り消します」としたが、「日記は現存します」とした。同月25日、都城23連隊会側と朝日新聞西部本社側の話し合いが持たれたが、朝日側は「写真についてのお詫びで終止符を打っていただきたい」とし、日記の公表は「守秘義務」として拒否した。 1984年10月31日、朝刊1面において、「これが毒ガス作戦」の見出しと共に、煙が濛々と立ち上る写真を、日本軍による毒ガス戦の証拠だとして掲載した。一橋大学教授(当時)藤原彰が「日中戦争での化学戦の実証的研究を進めている元陸軍士官の歴史学者」として紹介され、当該写真は日本軍による中国での毒ガス戦を写したものだと断定した。しかし、程なくして産経新聞から煙幕ではないかと疑問を呈され、同月11月13日には毎日新聞社発行の『決定版昭和史』第9巻から同じ写真が確認され、毒ガス戦を写した写真ではない事が確定した。翌11月14日、朝日新聞は「日本軍の『化学戦』の写真、贛湘作戦とわかる」との見出しを付け、毒ガス作戦を報じた写真が間違いであったことは認めたが、謝罪はしなかった。
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