「フューチュリティステークス」とは
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「フューチュリティステークス (オーストラリア)」の記事における「「フューチュリティステークス」とは」の解説
イギリスで発達した近代競馬では、かつては馬齢と共に馬が成長して一人前になると考えられており、7歳や8歳になってようやく本格的な競走に耐え得るものと考えられていた。やがて競走に使いはじめる年齢は徐々に下がっていき、18世紀の前半には「若馬」である4歳馬による競馬が始まった。3歳馬の競走が世間に認められるようになったのは18世紀の後半で、2歳戦は18世紀の末に普及した。しかしイギリスでは2歳馬の競走はあまり高い価値を与えられることはなかった。 1888年のアメリカのニューヨークで創設された「フューチュリティステークス」は、2歳戦でありながら全米最高額の賞金が提供され、大きな注目を集める競走となった。これを真似てアメリカ各地で同名の競走が創設されたので、いまでは大元の競走を発祥の地の名を冠して「ベルモントフューチュリティ」などと称する。 オーストラリアは19世紀のはじめ頃にイギリス人が競馬を持ち込んだが、大都市で本格化したのは19世紀半ばを過ぎてからである。メルボルン付近では1840年にフレミントン競馬場が作られ、1853年にはビクトリア競馬会(Victoria Racing Club、VRC)が組織され、大レースが行われるようになった。これに遅れて、1858年にアマチュア競馬の場としてコーフィールド競馬場が拓かれ、1898年からフューチュリティステークスが始まった。オーストラリアはもともとギャンブルに対する嗜好が強く、競馬はもっぱらギャンブルとして行われ、種牡馬はもっぱら本場イギリスからの輸入に依存していた。 コーフィールド競馬場は主にビクトリアアマチュア競馬会(Victoria Amateur Turf Club、VATC)が運営してきたが、2002年からはメルボルン競馬会が運営するようになった。
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