「と」号部隊
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後に「と」号部隊の名称が使われるようになり、1944年末に陸軍航空総監部は『航空高級指揮官「と」号部隊運用の参考』の作成に着手、これは1945年4月ごろ関係部隊に配布された。 1945年1月29日、陸軍中央は『「と」号部隊仮編成要領』を発令。第18から第47までの編成が決定。2月6日参謀本部は特攻要員の教育を『「と」号要員学術科教育課程』の通り示達。2月23日、中央はと号部隊の第二次編成準備を指示。第48から第116までの編成が決定。3月20日実行発令。 昭和20年2月陸軍航空総監部にて作成された「と部隊戦闘要領」には、「と号部隊ノ本領ハ生死ヲ超越シ真ニ捨身必殺ノ精神ト卓抜ナル戦技トヲ以テ独特ノ戦闘威力ヲ遺憾ナク発揮シ航行又ハ泊地ニ於ケル敵艦船艇ニ驀進衝突シ之ヲ必沈シテ敵ノ企図ヲ覆滅シ全軍戦勝ノ途ヲ拓クニ在リ而シテ本攻撃成功ノ根基ハ実ニ空中勤務者ノ精神力ニ存ス」とあった。 本土決戦(決号作戦)では「全軍特攻」の戦法で敵輸送船団を洋上で沈めることになっており、「と」号のための飛行場として秘匿飛行場が全国に整備された。
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