「とがなくてしす」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:22 UTC 版)
いろは歌は『金光明最勝王経音義』などの古文献において、七五調の区切りではなく七文字ごとに区切って書かれることがあるが、七字区切りで以下のように各行の最後の文字を拾って読むと、「とかなくてしす」即ち「咎無くて死す」と読める。 いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす 『和訓栞』(谷川士清著)の「大綱」には、「いろはは、涅槃経諸行無常の四句の偈を訳して同字なしの長歌によみなし、七字づゝ句ぎりして陀羅尼になずらへぬ。韻字にとがなくてしすと置けるも偈の意成べし」とあり、「咎無くて死す」とは「罪を犯すことなく生を終える」という意味であり、七字区切りにすると「咎無くて死す」と読まれるようにいろは歌は作られたとしている。 この「咎無くて死す」を「罪無くして(無実の罪で)自分は死ぬのだ」と解釈し、源高明がいろは歌の作者であるとするのを大矢透は「付会」としている。また作者は高明ではなく柿本人麻呂とする話もある。江戸時代には「とがなくてしす」とあるいろは歌は縁起が悪いから、手習いに用いるべきではないという意見もあった。 なお『黒甜瑣語』にはこの「とがなくてしす」について、赤穂浪士にまつわる以下の話を伝えている(以下要約)。 高野山に光台院了覚道人という老僧がおり、博識で占いに詳しい人物として知られていた。赤穂浪士の吉田、原、小野寺の三人は用があって紀州に来た途中、了覚に面談しようと高野山を登りその庵を訪ねた。庵では五、六人の子供が手習いをしていた。吉田たち三人は了覚に会い、心中に秘した大事(仇討の事)について占ってくれるよう頼んだ。了覚はそれを辞したが、吉田たちの懇願により次の四句を書いて示した。 南邨北落悉痴童 塗抹何時終作工 字母有神看所脚 一生前定在其中 吉田たちはこの四句の意味がわからず了覚に尋ねたが、了覚はもはや何も話そうとはしなかったので、仕方なく山を下りた。その後、この四句の事を大石良雄に話すと、大石はしばらく考えて次のように言った。「これは吉田たちを庵にいた子供たちになぞらえ、仇討の事について示したものだろう。塗抹何時終作工というのは、最後には仇討は成功するということ。字母有神看所脚の字母とはいろは歌のことで、いろは歌は七字区切りにすると、脚(行の末尾)がとがなくてしすと読める。すなわち、我々がいずれ仇討を果たし、罪無くして死ぬ運命であるという意味なのだ」と言って大石は涙し、その場にいた者はこの了覚の四句に感じ入ったという。 いろは歌の先頭行と最終行の最初の文字と最終文字の3文字で「いゑす」、各行の最初の文字を順に読むと「いちよらやあゑ」であり、「やあゑ」はユダヤ教の神の名、「いちよらやあゑ」はヘブル・アラム語で「神ヤハウェの人」を意味する「イーシ・エル・ヤハウェ」と読め、まとめると「神ヤハウェの人イエス、咎無くて死す」となる。 い*ろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑ*ひもせす* そして、いろは歌は次の聖書の言葉を想起するという見方もある。 「すべての人は草、その栄光はみな野の花のようだ」(イザヤ書40-6) 「むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かして下さい」(詩篇119-37)
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