「あさが来た」ブーム火付け役
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「石野伸子」の記事における「「あさが来た」ブーム火付け役」の解説
2003年の編集局次長(編集局長に次ぐ責任者)時、初の女性編集長として、夕刊編集の指揮を執った。生活や家族、女性に関する「生活面」記者として取材・執筆が長く、大阪の衣食住をはじめ、「生活実感にもとづき自分の足と感性で発見したホンネコラムをつづるのを信条」としている 2012年(平成24年)11月、自ら夕刊で連載「浪花女を読み直す」を始める。大阪ゆかりの小説家、谷崎潤一郎や田辺聖子、山崎豊子らの文学作品に登場の“浪花女”を紐解きながら、ヒロインの魅力を味わい直す手法。その一環で2015年(平成27年)に取り上げたのが、明治を代表する女性実業家広岡浅子。浅子に関する大型連載ノンフィクション『九転十起の女――広岡浅子伝』は大きな反響を呼び、浅子をモデルとしたNHK連続テレビ小説「あさが来た」のブームとなる。後に石野は浅子“復活”の火付け役として、浅子の創設した日本女子大学で、浅子の創設した大同生命保険の寄付講座で、浅子について講演することになる 連載で広岡浅子を選んだ、もう一つのテーマについて石野は女子教育と関西創生を挙げ、「女子大建設は当初、大阪で構想された(現大阪府立清水谷高等学校)。寄付金一覧に広岡家をはじめ住友、芝川、鴻池といった関西の財閥と並び、司馬遼太郎の小説『俄』に登場する長州出身の相場師、磯野小右衛門の名前がみえる」と説明。三井家出身とはいえ“男尊女卑”色の濃い明治時代、女性である浅子が大阪経済界だけでなく長州人脈とも異例の人脈を築いた点を踏まえ、「単に元気な女性の足跡を掘り起こす作業ではない。浅子の人生を通し、遠い過去として埋もれたままの大阪の近代経済史をリアルに浮かび上がらせる。そこから学びとれることは、きっと多いはずだ」と結んでいる。
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