広岡家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:15 UTC 版)
夫 - 広岡信五郎(1841年 - 1904年) - 第8代広岡久右衛門正饒の次男。早くに分家の嫡男として養子に出る。尼崎紡績(後のユニチカ)初代社長。大阪運河取締役。福王流の謡曲が趣味。妻によく従う夫として知られていた。浅子との間に一女、女中ムメ(小藤とも)との間に三女一男。長男の松三郎(1888年 - 1971年)は大同生命保険4代目社長に就任。 長女 - 広岡亀子(1876年 - 1973年) - 浅子の一人娘。明治9年(1876)10月生まれ。 女婿 - 広岡恵三(1876年 - 1952年) - 子爵・一柳末徳の次男。東京帝大卒業後三井銀行を経て、加島屋経営に加わる。加島銀行頭取、大同生命2代目社長。大阪電気軌道初代社長にも就任したが、浅子がリスクを察知して辞任させた。父親と不仲だった実妹の一柳満喜子も留学前の若いころ広岡家で暮らしていた。恵三の神戸市東灘区の私邸は、現在甲南女子大学になっている。 義弟 - 第9代広岡久右衛門正秋(1844年 - 1909年) - 夫の弟。加島銀行初代頭取、大同生命初代社長。 養女 - 貴登(きと)、寿天子(すてこ) - 貴登は三井北家(惣領家)の三井高棟の妻。寿天子は浅子の義理の甥の三井高景の妻。ともに広岡信五郎・浅子夫妻の養女として嫁いだ。
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