都営バス新宿支所 廃止路線

都営バス新宿支所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 20:43 UTC 版)

廃止路線

田70系統

  • (70→)田70甲:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 五丁目 - 三ノ橋 -(←鳥居坂下 / 飯倉片町→)- 六本木 - 青山一丁目駅 - 信濃町駅 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70乙:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 三ノ橋 - 飯倉片町 - 六本木 - 青山一丁目駅 - 信濃町駅 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70丙:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 赤羽橋 -(←鳥居坂下 / 飯倉片町→)- 六本木 - 青山一丁目駅 - 信濃町駅 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70丁:港区スポーツセンター - 田町駅東口 - 芝五丁目 - 赤羽橋 - 飯倉片町 - 六本木 - 青山一丁目駅 - 信濃町駅 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅東口 - 新宿駅西口
  • 田70出入:新宿車庫 - 新宿車庫前(初台交差点) - 西参道 - (←角筈二丁目/新宿郵便局→) - 新宿駅西口

1957年(昭和32年)3月1日に70系統として赤羽橋経由で開通、その1年後に三ノ橋経由便が設定される。当初は目黒営業所(現・港南支所)の担当だったが、1982年(昭和57年)の第3次再建計画による路線再編成で橋78系統を失った新宿営業所が参入して共管化、1992年(平成4年)4月1日付で全便が新宿営業所の担当となる。

新宿方面と田町方面で経由が異なっていた。六本木の芋洗坂が20時以降の車両通行を禁止してからは、両方向とも飯倉片町経由となった。

都営地下鉄大江戸線環状部が開業し路線の大半が重複することから、2000年(平成12年)12月11日限りで廃止。新宿駅西口側は四97系統を経路変更のうえ品97系統として新宿 - 品川間の運行とし、引き続き新宿支所が担当(品川営業所との共管)したが、のちにはとバス委託で杉並支所や港南支所に移管される。田町と六本木の間には、港区コミュニティバス「ちぃばす」田町ルートが設定された。

新宿駅西口以西の田70出入系統と秋76系統は廃止後も出入01系統として残り、現在も宿75出入系統として運行されている。

PS用ゲームソフト「東京バス案内」で、中ノ橋 → 新宿駅が収録されている。

東72系統

  • 東72:新宿駅西口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 代々木一丁目 - 代々木駅 - 北参道 - 千駄ヶ谷駅 - 球場前 - 北青山一丁目 - 赤坂八丁目 - 山王下 - 溜池 - 虎の門 - 新橋 - 数寄屋橋 - 有楽橋 - 東京駅八重洲口
  • 東72:新宿駅西口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 代々木一丁目 - 代々木駅 - 北参道 - 千駄ヶ谷駅 - 球場前 - 北青山一丁目 - 赤坂八丁目 - 山王下 - 溜池 - 虎の門 - 新橋

1952年に40系統(新宿駅 - 東京駅南口)として開業した。現在はバス空白地帯となっている青山・神宮球場日本青年館を経由していた。開業から僅か2ヶ月後には東中野駅 - 新宿駅西口を延長、その1年後には赤坂経由・東京駅八重洲口発着に変更するなど、短期間で大幅な路線改編を見せる。改編はさらに続き、東京方面を千駄ヶ谷八幡から千駄ヶ谷駅前経由に(1962年5月10日)、新宿駅西口 - 代々木駅前を西参道経由に変更(1970年10月15日)した。

1971年には東中野駅 - 新宿駅西口を短縮と同時に新橋折返便を新設、直後に東72と名乗った。12月には新宿駅西口方面も千駄ヶ谷駅前経由となるが、第2次再建計画による路線再編成に伴い1977年(昭和52年)12月15日限りで全線が廃止された。路線廃止まで、経由地変更や短縮などが相次いだ路線だった。

赤坂青山周辺で廃止された路線の一部では、港区コミュニティバス「ちぃばす」、渋谷区コミュニティバス『ハチ公バス』が運行している。

秋76系統

  • (都電13→513→)秋76:新宿車庫 - 新宿車庫前(初台交差点) - 西参道 -(←角筈二丁目/新宿郵便局→)- 新宿駅西口 -(←新田裏 / 新宿区役所→)- 抜弁天 - 若松町 - 牛込柳町 - 牛込北町 - 津久戸町 - 飯田橋 - 小石川橋 - 水道橋 - 御茶ノ水駅 - 万世橋 -(←秋葉原駅西口/岩本町駅→)- 秋葉原駅東口
  • 秋76:新宿車庫 - 新宿車庫前(初台交差点) - 西参道 -(←角筈二丁目/新宿郵便局→)- 新宿駅西口 -(←新田裏 / 新宿区役所→)- 抜弁天前 - 若松町 - 牛込柳町 - 牛込北町 - 津久戸町 - 飯田橋 - 飯田橋終点(現・都営飯田橋駅前)

1970年(昭和45年)3月27日の都電第5次撤去で廃止された13系統(新宿追分 - 岩本町)の代替として、新宿駅西口発着で開通。その後終点が秋葉原駅東口に延長。その後、都営地下鉄大江戸線環状部と完全並行となり、大江戸線全線開業に伴う路線再編成により2000年12月11日限りで廃止された[1]

しかし、住民の要望などから牛込地区の一部区間を復活する形で現;飯62系統小滝橋車庫 - 大久保駅 - 牛込柳町駅 - 牛込神楽坂駅 - 飯田橋 - 都営飯田橋駅(小滝橋営業所管轄)が新設された。要望の文章は、新宿区報に掲載されていた。[要出典]

新宿車庫 - 新宿駅西口間は宿75出入(出入01)系統として現在も存続している。

111→橋78系統

  • 111:新橋駅 - 西新橋一丁目 - 虎の門 - 溜池 - 赤坂見附 - 四谷駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅南口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 新宿車庫前(初台交差点) - 初台 - 幡ヶ谷 - 笹塚 - 明治大学 - 下高井戸京王帝都電鉄笹塚営業所→世田谷営業所→永福町営業所と共同運行)
  • (111→37→)橋78:新橋駅 - 西新橋一丁目 - 虎の門 - 溜池 - 赤坂見附 - 四谷駅前 - 四谷三丁目 - 新宿一丁目 - 新宿追分 - 新宿駅南口 - 角筈二丁目 - 西参道 - 新宿車庫前(初台交差点) - 新宿車庫

もとは1948年10月3日に京王との相互乗り入れで開通した路線である。1971年(昭和46年)10月31日限りで京王が撤退、都営も新宿車庫以西を短縮して事実上山手線内のみの運行となる。しかし営団地下鉄[注 2]銀座線丸ノ内線と完全並行だったため、第3次再建計画に伴う路線再編成により1982年(昭和57年)12月25日限りで廃止。

草79系統

開通は1953年(昭和28年)4月24日で、当初は49系統を名乗った。1970年代までは10分程度の間隔で頻繁運行されていたが、都営地下鉄新宿線新宿 - 岩本町間の開業に伴い新宿と市ヶ谷の間が並行となること、および新宿 - 浅草の通し客も馬喰横山駅都営地下鉄浅草線に乗り換えできるようになったことから、全区間並行になる杉並営業所の秋72系統と共に第2次再建計画による追加の路線再編成で整理対象となり、1979年(昭和54年)11月22日限りで廃止された。これにより、新宿営業所は台東区から撤退した。

台東区内の鳥越一丁目と厩橋の間はバス路線自体がなくなったが、1991年(平成3年)に南千住営業所の東42乙系統を秋葉原駅まで延長して復活。しかし当時の都知事・猪瀬直樹の下で断行された路線再編成により2013年(平成25年)3月31日限りで再び都営バス路線が消滅。現在は一部の区間で台東区循環バス南めぐりんが運行されている。

四80系統

  • 四80:四谷駅前 - 赤坂見附 - 溜池 - (←赤坂アークヒルズ前) - 赤坂アークヒルズ

現在でこそ、港区には六本木ヒルズ東京ミッドタウンなど大規模再開発により誕生した商業施設が点在するが、最初に開業したのが赤坂アークヒルズである。

この系統の開業時は東京メトロ南北線がなく、アークヒルズへは国会議事堂前駅赤坂駅、神谷町駅のみで不便だった(溜池山王駅は開業前)。そんな中、アークヒルズの目の前を通る都01(渋谷駅 - 新橋駅)は唯一のアクセス手段として利用客が増えた。そのような状況を受けて新しいアクセス路線を新設することになり、1986年(昭和61年)4月17日付で誕生した。

当初は中型車[注 3] で運行されたが、運行開始よりすぐに利用客が定着、混雑も激しくなったため増回し、車両も大型車に変更した。さらに不足する需要の応対には、品川営業所から応援(当時運行されていた四92系統の区間便を間引きし、四80系統で運行)に当たっていた。中型車は小滝橋営業所へ転属させ、同所の東71系統(東京駅 - 九段下 - 大久保駅/高田馬場駅。現在の高71系統)や早81系統(早大正門 - 渋谷駅)等の閑散路線用に運用交換した。

しかし、南北線の溜池山王駅までの延伸開業によって全線が並行区間になり、1997年(平成9年)9月30日から平日のみの運行とされ[2]、2000年(平成12年)9月の南北線目黒延伸により六本木一丁目駅が開業した時点で事実上役割を終えた。最終的には、大江戸線全線開通に伴う路線再編成により2000年12月11日限りで廃止され、四92系統も同じ品川営業所の反96系統と短縮統合された。現在、四80系統が使用していたアークヒルズ構内は、都01系統の折返し便が使用している。

四80系統はアークヒルズを出ると道路の構造上で溜池方面へ右折で曲がれないため、一旦逆の渋谷方向に走り、首都高谷町JCT下でUターンし、六本木通り東行きの「赤坂アークヒルズ前」に停車して四谷駅前へ向かっていった。

早81出入系統

  • 早81:早大正門 - 高田馬場駅 - 小滝橋車庫

小滝橋営業所所管時代から新宿支所移管後にかけて長らく運転をしていたが、並行して走る学02系統の方が運賃が安く本数が多いなど、利用者はあまりいなかったこともあり、2018年(平成30年)3月31日をもって運行を終了した。

池86系統

  • 池86:新宿車庫 → 西参道→ 新宿四丁目 → 表参道 → 渋谷駅西口(西参道 - 新宿四丁目間は無停車)
  • 池86:渋谷駅東口 → 表参道 → 新宿四丁目 → 新宿伊勢丹前(新宿伊勢丹前 - 新宿車庫間は回送)

1968年(昭和43年)のトロリーバス102系統廃止に伴う代替として新設されたが、2004年(平成16年)4月1日付で渋谷営業所本所所管だった都01系統に新宿支所が新規参入した際、まだ東京メトロ副都心線が開通していなかったため、渋谷と新宿車庫の間の出入庫を明治通り経由で営業運行することにし、その部分のみ新宿支所が受け持った。はとバス委託と同時に都01系統の共管から撤退し、代わりに渋88系統を引き受けたのに合わせて、系統番号を渋88出入に変更した。

63系統

目黒営業所の62系統と同じく、国際自動車(現・ケイエム観光バス)が運行していた「官衙バス」(かんがバス)の路線を引き継いだ。霞が関に移転する前の旧郵政省本省へのアクセスを担ったが、営団地下鉄日比谷線開業の煽りを受けて1966年(昭和41年)6月30日限りで廃止。その後郵政本省も1969年(昭和44年)、霞が関へ移転して分館となった。

119系統

1949年(昭和24年)12月、小田急バスの前身の武蔵野乗合自動車、京王帝都電鉄との3社局共同運行で開通。国鉄中央線武蔵境駅から現在の小田急バス宿44系統と都営バス品97・都03系統を合わせたルートで東京駅に至る、実に25kmを超える長距離路線だった。

都電第5次撤去と同時の1970年(昭和45年)3月20日限りで都営と京王帝都電鉄が撤退して廃止、小田急バスも新宿駅西口打ち切りの宿44系統に変更された。同時に新宿営業所は武蔵野市三鷹市から撤退した。

126系統

  • 126:永福町 - 代田橋駅 - 大原町 - 上原駅上 - 富ヶ谷 -(←渋谷駅/神山町→)- 南青山五丁目 - 外苑前 - 南青山一丁目 - 六本木 -溜池 - 新橋駅 (京王帝都電鉄永福町営業所と共同運行)

1950年(昭和25年)10月に京王帝都電鉄(当時)との共同運行で開通した路線。富ヶ谷から渋谷二丁目にかけての渋谷地区では、永福町行は渋谷駅東口、宮下公園、宇田川町を、新橋駅行は神山町、渋谷栄通(現在の渋谷センター街入口辺り)を経由していた。

京王帝都電鉄のバス事業合理化により、1969年(昭和44年)3月31日限りで廃止され、大原町から富ヶ谷にかけての井ノ頭通りからはバス路線が消滅、30年以上にわたりバス空白地帯となっていた。

2003年(平成15年)1月、京王バス東・永福町営業所により渋67~69系統「笹塚循環線」が開業、井ノ頭通りにバス路線が復活した。2010年(平成22年)10月11日の路線再編により、渋67系統は廃止され、笹塚駅周辺の循環経路が変更されて渋60系統となった。その後、渋60・渋68~69系統は「笹塚線」として、2013年(平成25年)5月13日中野営業所へ移管され現在に至る。


注釈

  1. ^ 営業所記号はCだったが、分駐所時代には渋谷のBに変わった。ナンバープレートは品川ではなく練馬のまま。
  2. ^ 現・東京地下鉄(東京メトロ)
  3. ^ 当系統運行前、廃止された八王子支所に新製配置されたN代中型車が新宿営業所に転属されていた。

出典

  1. ^ “大江戸線が走る⑤ 「身近な足」バス奪う”. 読売新聞 (読売新聞東京本社): p. 32(地域ニュース). (2000年12月9日) 
  2. ^ “営団南北線延伸開業で都バスの路線変更へ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1997年9月25日) 





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