翻訳 歴史

翻訳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 06:25 UTC 版)

歴史

ロゼッタ・ストーンは紀元前196年に作られた
ターヘル・アナトミアはドイツ語原本のオランダ語訳本である

翻訳はある言語圏から別の言語圏へと知識を移転することを意味する。このため、かつては先進文化圏からの翻訳によって別の文化圏へと重要な知識が伝達され、移転先の文化レベルを上昇させることが多くあった。

翻訳が文化的に大きな影響を与えた例としては、古代ギリシア語が挙げられる。古代ギリシアで花開いた文化はローマ帝国へと継承され、ローマの上流階級のほとんどはギリシア語も解したため、ラテン語の科学に関する著作は多くが通俗的なものにとどまっていた。しかしギリシア語使用者が西ローマ帝国の衰退と運命を共にし、ラテン語圏西ヨーロッパでギリシア語を理解するものが減ったため、西ヨーロッパが中世に入るころにはギリシアの知識の多くが失われてしまっていた[3]。しかしその文献はローマの継承国家でありギリシア語圏である東ローマ帝国において保持され、ギリシア語の文献として残っていた。また、5世紀から6世紀にかけてはネストリウス派によってこうしたギリシャ語文献のシリア語翻訳も行われていた[4]。これらの文献のうちいくらかのものは8世紀以降アッバース朝統治下においてアラビア語に翻訳された。この翻訳事業によって、医学ヒポクラテスガレノス哲学アリストテレスプラトンの知識がイスラム世界にもたらされ、イスラム科学の隆盛をもたらした[5]。さらにこれらのアラビア語文献は、12世紀に入るとシチリア王国の首都パレルモカスティーリャ王国トレドといった、イスラム文化圏と接するキリスト教都市においてラテン語へと翻訳されるようになる[6]。これは古いギリシア科学だけでなく、フワーリズミーイブン・スィーナーといったイスラムの大学者の文献も含まれており、また15世紀に入るとアラビア語だけでなく東ローマなどから入手したギリシア語の文献の直接翻訳も行われた[7]。大翻訳時代とも呼ばれるこの翻訳活動を通じて、一度は失われていた古代世界の知識が西ヨーロッパに再び流入し、12世紀ルネサンス、さらにはルネサンスを引き起こすきっかけとなった。

言語自体に影響を与えることもある。この例としては、マルティン・ルターによる聖書ドイツ語訳が挙げられる。それまでもドイツ語訳聖書は存在したものの、ルターは日常言語を元にした理解しやすい表現を心がけ、出版されたルター聖書はドイツ人に広く読まれてドイツ語そのものにも大きな影響を与えた[8]

日本でも翻訳は重要な役割を果たした。日本は古代以降、隣接する大国である中国の文献を翻訳して摂取し文明レベルを向上させてきた。一部ではサンスクリット語(梵語)も研究された。1774年解体新書の翻訳出版を一つのきっかけとして、18世紀後半以降、盛んにヨーロッパの科学文献が翻訳されるようになった[9]。この翻訳はヨーロッパ諸国のうちで唯一日本との通商関係のあったオランダ語からおこなわれており、そのためこうした翻訳者、さらに転じて西洋科学を身につけた学者たちは蘭学オランダ学、らんがく)者と呼ばれるようになった。この動きは江戸幕府が崩壊し明治維新が起きるとより加速され、オランダ語のみならず英語フランス語ドイツ語など西洋の諸言語から膨大な翻訳が行われるようになった。この翻訳においてはさまざまな訳語が漢語の形で考案され、いわゆる和製漢語として盛んに流通するようになった[9]。この新漢語は新しい概念を表すのに好都合であったため、一部は中国に逆輸入もされた。


注釈

  1. ^ コンピュータプログラミング言語におけるコンパイルなど、形式言語における変換を指して(特に、以前は多かったカタカナ語の言い換え語として)「翻訳」という語を使うことも多いが、自然言語の翻訳と形式言語の変換は質的に全く異なるものであり、わかった気がする(実際には誤解しているだけの)言い換え語として以上の意味は無い。

出典

  1. ^ a b 「よくわかる翻訳通訳学」(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)p2 鳥飼玖美子編著 ミネルヴァ書房 2013年12月10日初版第1刷発行
  2. ^ 「よくわかる翻訳通訳学」(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)p110 鳥飼玖美子編著 ミネルヴァ書房 2013年12月10日初版第1刷発行
  3. ^ 「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p158 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
  4. ^ 「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p175-177 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
  5. ^ 「近代科学の源をたどる 先史時代から中世まで」(科学史ライブラリー)p182-184 デイビッド・C・リンドバーグ著 高橋憲一訳 朝倉書店 2011年3月25日初版第1刷
  6. ^ 「医学の歴史」pp150 梶田昭 講談社 2003年9月10日第1刷
  7. ^ 「図説 本の歴史」p57 樺山紘一編 河出書房新社 2011年7月30日初版発行
  8. ^ 「よくわかる翻訳通訳学」(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)p38 鳥飼玖美子編著 ミネルヴァ書房 2013年12月10日初版第1刷発行
  9. ^ a b 「よくわかる翻訳通訳学」(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)p18-19 鳥飼玖美子編著 ミネルヴァ書房 2013年12月10日初版第1刷発行
  10. ^ 現代の事例では、サダム・フセインの小説を和訳する際に、戦争のため版権所有者と連絡がとれず、仏語版から仏文学者が翻訳したものがある。『王様と愛人』p4 ブックマン社 2004年8月5日初版第1刷発行
  11. ^ 「よくわかる翻訳通訳学」(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)p69 鳥飼玖美子編著 ミネルヴァ書房 2013年12月10日初版第1刷発行
  12. ^ 「よくわかる翻訳通訳学」(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)p8-9 鳥飼玖美子編著 ミネルヴァ書房 2013年12月10日初版第1刷発行
  13. ^ 「よくわかる翻訳通訳学」(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)p74-78 鳥飼玖美子編著 ミネルヴァ書房 2013年12月10日初版第1刷発行
  14. ^ 「よくわかる翻訳通訳学」(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)p74-75 鳥飼玖美子編著 ミネルヴァ書房 2013年12月10日初版第1刷発行
  15. ^ 「よくわかる翻訳通訳学」(やわらかアカデミズム・わかるシリーズ)p76-77 鳥飼玖美子編著 ミネルヴァ書房 2013年12月10日初版第1刷発行
  16. ^ 登録ボランティア制度について名古屋国際センター、2012年9月11日閲覧)
  17. ^ Japan earthquake how to protect yourself (地震発生時緊急マニュアル)、日本語・英語・その他の言語、東京外国語大学の学生たち、2012.3.3開始、2012年9月11日閲覧






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