石鎚山 山岳信仰

石鎚山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 04:44 UTC 版)

山岳信仰

当山を松山側から(川内IC付近より)

石鎚山はまだ山岳が仏教の影響を受けない古くから石鎚神のいます山としてあがめられた名山で、石鎚の古名はイワツチであって、そのツチは南洋系語のチュチで長老を意味し、岩山の頭目という意味でイワツチと呼ばれ、頂上付近の露岩からきたものである[6]山岳信仰の山とされ奈良時代には修行道場として知れ渡り、役小角空海も修行したとされ山岳仏教修験道が発達し、信仰の拠点として石鎚神社前神寺極楽寺横峰寺がある。(石鎚神社中宮成就社のある成就は明治初期の神仏分離以前は常住と呼ばれていた。)

古代の石鎚山は笹ヶ峰瓶ヶ森および子持権現山が石鈇信仰の中心であったとする説、あるいは現在の石鎚山と笹ヶ峰の東西2つの霊域を想定する説がある[1][7]新居浜市の正法寺では奈良時代の石鎚山が笹ヶ峰を指していたことに基づき、現在でも石鎚権現の別当として毎年7月に笹ヶ峰お山開き登拝が行われている。)。

開山の伝承として、657年に役の行者とその供をした法仙が龍王山(瓶ヶ森の中腹標高840 m辺り)で修行のすえ石土蔵王権現を感得して天河寺を開創する。法安寺(愛媛県西条市小松、飛鳥時代創建)の住職である石仙により横峰寺が開かれ当山中腹の常住に前神寺の前身となる堂が造られた。その後、石仙(灼然)の弟子でもあり笹ヶ峰開山や後に天皇家より菩薩号を賜る事となる上仙(伊予国神野郡出身)が石鎚蔵王大権現を称え開山へと導く。737年に石土蔵王権現はさらに高い瓶ヶ森の絶頂に祀られ宮とこと呼ばれ、753年には芳元が熊野権現を勧請した。その山は石土山と云われていて、天河寺はその別当として栄えた。そして、828年には、瓶ヶ森より石土山を現在の石鎚山へ光定(伊予国風早郡出身)により移され、石鈇山と呼ばれるようになる[8]

平安時代前半には神仏習合が行われたとされ、山岳信仰特有の金剛蔵王権現および子持権現が祀られた。そして、桓武天皇(782年〜805年)が自身の病気平癒祈願と平安京奉謝などの成就をしたことにより、国司に命じ常住に七堂伽藍を建て勅願寺とし「金色院前神寺」の称号を下賜された。天正年間には河野通直、村上通聴が社領、1610年慶長15年)には豊臣秀頼が社殿を前神寺に寄進した。寛文年間には小松藩一柳氏西条藩松平氏の帰依により社殿が整備された[9][10]

弥山の石鎚神社山頂社

江戸時代初期には信者の増加に伴い、前神寺は麓に出張所を設置してからは常住の本寺を奥前神寺、麓の出張所を里前神寺と呼ぶようになった。その後、本寺機能は里に移っていった。そして、別当職や奥前神寺の地所をめぐって西条藩領の前神寺と小松藩領の横峰寺との間に紛争が起こった。古来、石鈇山蔵王権現別当は前神寺が専称していたのに対し、1729年享保14年)に横峰寺が「石鈇山蔵王権現別當横峰寺」の印形を使用したのが発端であるとされ、双方が京都御所に出訴するに至った。そこで、地所は小松藩領の千足山村、管理権と「石鈇山蔵王権現別當」の専称は前神寺とし、奥前神寺は常住社と名称変更され、横峰寺は「佛光山石鈇社[注釈 1]別當」と称するとの裁決が下された[1]

女人禁制の看板

1871年明治4年)の神仏分離により、石鈇蔵王権現は石土毘古命となり前神寺の寺地は全て石鉄神社に、前神寺は廃寺に、横峰寺は横峰社となった。両寺はその後すぐに復興し真言宗に所属することとなった。1902年(明治35年)に石鉄神社から石鎚神社に変更が決定され[11]、石鎚毘古命(石鎚大神)、石鎚山となる。そして明治時代中期以降は石鎚神社、前神寺、横峰寺はさらに多くの信者を集めるに至った。

毎年、7月1日から10日までの間に「お山開き」の神事が執り行われ、多くの信者が参拝登山に訪れる。古くからお山開きの期間中は女人禁制とされてきたが、現在では7月1日だけが女人禁制となった。当日は女性は成就社まで、また土小屋遥拝殿までで山頂まで登る事が出来ない[12]


注釈

  1. ^ 同寺境内にある蔵王権現社のこと
  2. ^ 久万高原町、久万高原町教育委員会、久万高原町商工会、久万高原町観光協会、面河ふるさと市実行委員会、石鎚神社、株式会社石鎚観光、株式会社テレビ愛媛、面河地区公民館、久万高原町スポーツ推進委員会の各団体。

出典

  1. ^ a b c 『日本歴史地名大系39 愛媛県の地名』 平凡社、1980年
  2. ^ 国土地理院 基準点成果等閲覧サービス
  3. ^ 谷川 2015, p. 205.
  4. ^ a b c 田代博、藤本一美、清水長正、高田将志 『山の地図と地形』 山と渓谷社、1996年
  5. ^
    石鎚連山の解説
  6. ^ 深田久弥『日本百名山』94石鎚山の項より
  7. ^ 角川日本地名大辞典』 角川書店、1981年
  8. ^ 西條史談第63号平成17年1月 23ページ前後より
  9. ^ 石原保 『国史大辞典』2巻「石鎚山」、吉川弘文館、1985年
  10. ^ 『石鎚山系の自然と人文』 石鎚山系総合学術調査報告、1960年
  11. ^ 石鎚神社本殿前の休憩所内の年表による
  12. ^ お山開き大祭”. 石鎚神社. 2020年3月3日閲覧。
  13. ^ 『アルペンガイド 中国・四国の山』 山と渓谷社、1998年
  14. ^ a b 大会開催要領”. 石鎚山ヒルクライム実行委員会. 2015年2月26日閲覧。
  15. ^ 山名の表示
    石鎚山の山名表示






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