歩兵第4連隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 02:34 UTC 版)
歩兵第4連隊 | |
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歩兵第4連隊旧兵舎。現在は仙台市歴史民俗資料館となっている。 | |
創設 | 1875年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 仙台 |
編成地 | 仙台 |
通称号/略称 | 勇1301 |
補充担任 | 仙台連隊区 |
上級単位 | 仙台鎮台 - 第2師団 |
最終位置 | 仏印 サイゴン |
主な戦歴 | 西南戦争 - 日清戦争 - 日露戦争 - 満洲事変 - 日中戦争 - 第二次世界大戦 |
歴史
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連隊の発足
仙台城には1871年(明治4年)から東北鎮台が置かれていた。これが1873年(明治6年)に全国6鎮台の一つとしての仙台鎮台に改組したとき、従来の2番大隊(8個小隊)にかえて、歩兵連隊を置くことになった。1874年(明治7年)に榴ヶ岡に歩兵営が建てられ、仙台城から2番大隊が移転した。続いて1875年(明治8年)に歩兵第4連隊が発足した[1]。鎮台司令部が仙台城、連隊が榴ヶ岡、と場所を分けたのは、仙台城の地形に理由がある。仙台城は前を広瀬川、背後を山に拠る要害だが、川の氾濫時に交通途絶し、部隊が出動できなくなるおそれがあった。そのため、川を隔てて街道に近い榴ヶ岡に連隊を置いたのである[2]。
復員とその後
第2次世界大戦の後、陸軍の解体にともなって復員(解散)した。兵舎は終戦後に進駐軍が利用し、その後東北管区警察学校となっていたが、榴岡公園の整備計画に合わせ1棟を外観を復元して現在の場所に移築した。建物は仙台市歴史民俗資料館として公開されている。また宮城県内に現存する最古の擬洋風建築であり、仙台市の指定文化財となっている。
年表
- 1875年(明治8年)9月9日 - 二番大隊から改組。軍旗拝受
- 1877年(明治10年) - 西南戦争に従軍
- 1894年(明治27年) - 日清戦争に従軍
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
- 1922年(大正11年)6月 - 南樺太守備
- 1931年(昭和6年)4月 - 満洲駐剳、満洲事変にともない長春、寛城子、南嶺、吉林、チチハル、ハルビン、敦化などに転戦
- 1933年(昭和8年)1月 - 帰還
- 1937年(昭和12年)4月 - 満洲駐剳
- 1938年(昭和13年) - 徐州会戦
- 1939年(昭和14年) - ノモンハン事件
- 1940年(昭和15年) - 帰還
- 1941年(昭和16年)3月1日 - ジャワ島メラク湾から上陸、同月13日バンドン入城
- 1942年(昭和17年) - ガダルカナル島の戦い
- 1944年(昭和18年)5月7日 - マニラ到着
- 9月 - ジャワ島東部およびバリ島の守備
- 1 歩兵第4連隊とは
- 2 歩兵第4連隊の概要
- 3 歴代連隊長
- 4 参考文献
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