河内礼蔵とは? わかりやすく解説

河内礼蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 14:17 UTC 版)

河内 礼蔵(かわち れいぞう、1862年文久2年10月) - 1927年2月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

鹿児島県種子島出身。1885年(明治18年)6月、陸軍士官学校(旧7期)を卒業し歩兵少尉に任官。

日露戦争に出征。遼陽会戦前の1904年(明治37年)8月、前任の吉田貞中佐の戦死により歩兵第4連隊長に就任。1905年(明治38年)3月、戦傷を受け解任。1906年(明治39年)2月、歩兵第4連隊長に復帰し、1907年(明治40年)11月、歩兵大佐に昇進。1911年(明治44年)9月、陸軍少将に進級し歩兵第15旅団長に就任。

1915年(大正4年)2月、歩兵第35旅団長に転じた。1916年(大正5年)8月、陸軍中将に進み第2師団長に親補された。1919年(大正8年)7月に待命となる。翌年2月2日、予備役に編入された[1]

河内の人となりについては、河内が歩兵第4連隊長時代に、彼の部下であった今村均が記した『私記・一軍人六十年の哀歓』において触れられている。墓所は青山霊園(1イ10-10)。

河内礼蔵 師団長時代 (大正6年の65連隊のアルバムから)

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ 『官報』第2248号、大正9年2月3日。
  2. ^ 『官報』第710号「叙任」1885年11月11日。
  3. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  4. ^ 『官報』第8502号「叙任及辞令」1911年10月21日。
  5. ^ 『官報』第1236号「叙任及辞令」1916年9月12日。
  6. ^ 『官報』第1858号「叙任及辞令」1918年10月11日。
  7. ^ 『官報』第2270号「叙任及辞令」1920年3月1日。
  8. ^ 『官報』第221号・付録「辞令」1913年4月28日。
  9. ^ 『官報』第700号「叙任及辞令」1914年12月1日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 今村均『私記・一軍人六十年の哀歓』芙蓉書房出版、1970年。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「河内礼蔵」の関連用語

河内礼蔵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



河内礼蔵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの河内礼蔵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS