昭憲皇太后 業績

昭憲皇太后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 16:18 UTC 版)

業績

それまでの皇后は公の場に出ることも公務を担うこともなかったが、明治政府の意向で、美子皇后は欧州の皇后に倣って医療や教育の奨励活動を手掛けた[3]宮中顧問官として政府が雇ったドイツ貴族オットマール・フォン・モールによると、元宮廷女官だった自身の妻を皇后のもとに週一回通わせ、プロイセン王国王妃兼ドイツ皇后アウグステの活動を皇后に紹介し助言したという[3]。美子は明治維新期の皇后として、社会事業振興の先頭に立ち、華族女学校(現:学習院女子中・高等科)や、お茶の水の東京女子師範学校(現・お茶の水女子大学)の設立、日本赤十字社の発展などに大きく寄与した。慈善事業の発展に熱心で、東京慈恵医院博愛社(現在の日本赤十字社)の発展に貢献した。[4]

1902年(明治35年)発行、バッスルスタイルローブ・モンタントを召して。(ロシアの日本紹介文献にて)

赤十字の日本国内における正式紋章「赤十字桐竹鳳凰章」は、紋章制定の相談を受けた際、皇后が大日本帝国憲法発布式で戴冠したパリの高級宝飾店ショーメ制作のフランス製の宝冠のデザインが、の組み合わせで構成されていた事から、日本近代化の象徴として「これがよかろう」という自身の示唆で、さらに皇后を象徴する瑞獣である鳳凰を戴く形に決定されたという。

1912年(明治45年)、アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.にて第9回赤十字国際会議が開催された際、国際赤十字に対して皇后は10万円(現在の貨幣価値に換算すれば3億5000万円ともいわれる。[要出典] 資金としては現在(2021年時点)のおよそ1億1400万円に相当[注釈 5]。)を下賜した。赤十字国際委員会はこの資金を基にして昭憲皇太后基金を創設した。この基金は現在も運用されており、皇后の命日に利子を配分している。

皇后として欧化政策の先頭に立たなければならない立場を強く自覚し、1886年(明治19年)以降は、着用の衣服を寝間着を除いて全て洋服に切り替えた。洋服を率先着用した理由としてもう一つ、「上半身と下半身の分かれていない着物は、女子の行動を制限して不自由である」という皇后自身の言葉も伝えられている。

能楽美術工芸の発展にも心を配り、日清日露戦争に際しては、出征軍人や傷病兵に下賜品を与え、慰問使を送った。和歌や古典文学にも造詣が深く、創作した短歌(作歌)は3万6000首に上るが、その一部は『昭憲皇太后御歌集』に見ることができる。


注釈

  1. ^ 一条忠香の正室は伏見宮順子女王である。なお、民子は一条家の典医・新畑大膳種成の娘であった
  2. ^ 実父は醍醐忠順。輝姫。忠香は養父。
  3. ^ 実父は今出川公久。忠香は養父。
  4. ^ 同告示によると、追号の「昭憲(しょうけん)」は諡法に則り、「明憲昭徳」を意味する。昭は「著(アキラカニアラワス)」であり、「君子以明徳」(『易経』)、「於昭于天」(『詩経』)、「百姓明」(『尚書』)などの例がある。憲は諡法に「博聞多記曰」、また『礼記・内則』に「、法其徳行也」とある。
  5. ^ 企業物価指数(戦前基準指数)で試算した場合、1912年(明治45年)の1万円は2021年(令和3年)の1,138万5,448円になる。計算式は次のとおり(なお、日銀ウェブサイトを参照[5])。
    735.5(令和3年企業物価指数)÷0.646(明治45年企業物価指数)=1,138.5448(倍)
    したがって
    100,000(円)×1,138.5448(倍)=113,854,480(円)

出典

  1. ^ 中宮職廃止により、皇后宮職設置
  2. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』吉川弘文館、2010年、154頁。 
  3. ^ a b 外国人のみた明治日本の近代化と欧化一お雇い式部官オットマール・フォン・モールの場合SZIPPL Richard、 南山大学 ヨーロッパ研修センター報. 2002. (8), 89-106
  4. ^ 『ビジュアル日本史ヒロイン1000人』の228頁
  5. ^ 昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?”. 教えて!にちぎん. 日本銀行. 2022年2月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月14日閲覧。
  6. ^ 杉山淳一 (2017年2月4日). “鉄道トリビア 第391回 山手線に2日間だけ開設された旅客駅があった”. マイナビニュース. 2023年11月8日閲覧。
  7. ^ 山口幸洋『大正女官、宮中語り』河西秀哉監修、創元社、2022年、88頁。ISBN 978-4-422-20167-2 
  8. ^ NHK BSプレミアム「時空超越ドラマ&ドキュメント美子伝説」
  9. ^ 福島民報』1966年1月17日付朝刊テレビ欄。






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