日野・レンジャー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 03:09 UTC 版)
デーキャブレンジャー(1984年〜1999年)
- 1984年6月、レンジャー3M(KM・初代レンジャー)を20年振りにフルモデルチェンジして登場したショートキャブ仕様。3.5t積のFB(3B)と4t積のFC(4C)がある。ライバル車[21]が小型トラックのキャブを流用したのに対し、日野は当時小型トラックの自社生産を行っておらず、ダイハツ工業からのOEMだったため(トヨタ・ダイナ、ダイハツ・デルタ)キャブは中型ショートキャブ専用設計になっているのが特徴である。キャッチコピーは「でっかい、いち日」。
通常のレンジャーとは異なる外観であり、簡単に区別できるよう縦型のアウタードアハンドル、角目4灯ヘッドライトを採用し差別化を図っていた。エンジンはW04D型、W06D型、H07C型の3種類。
- 1987年4月、マイナーチェンジ。フロントグリルや内装のデザインを変更。
- 1988年11月、マイナーチェンジ。フロントグリルを変更。
- 1989年2月、4Cダンプに特別仕様車「イエローバージョン」発売。
- 1990年5月、ビッグマイナーチェンジ。フロントグリル、キャブドアのデザインを変更。平成元年排出ガス規制適合。キャッチコピーは「アクティブ・スリム」「人と空間の最先端に」。
- 1991年、デーキャブレンジャーをベースにディーゼルハイブリッドのHIMR塵芥車を開発。
- 1995年2月、ライジングレンジャーに統合される形で生産終了。但し、HIMR仕様は、その後も1999年まで生産が継続された。
ダカール・ラリー
特記事項としてラリーレイド、特にダカール・ラリーへの参戦が挙げられる。
日野自動車創立50周年記念の社内提案[22]がきっかけで1991年の第13回大会に参戦、以降日本車で唯一カミオン(トラック)部門に連続して参戦しており、1997年にはこれも日本車で唯一のカミオン部門総合優勝、および表彰台独占を成し遂げている。部門総合では排気量20Lにも及ぶカマズ(ロシア)やタトラ(チェコ)、DAFとGINAF(ともにオランダ)、同じ10L未満クラスではイヴェコ(イタリア)やメルセデスやMAN(ともにドイツ)等の欧州勢を相手にトップ争いを繰り広げた。小排気量でトラックとしては小柄な車体ながらも大排気量車に伍する戦いぶりを見せることから、『リトルモンスター』の異名を取っていた。
技術仕様
消防車仕様の四輪駆動車「FT」をベースとしている。スペックは2013年バージョンで長さ6.15m×幅2.4m×高さ3.05m、ホイールベース3.75m。排気系や動弁系は菅原義正も若い頃縁のあったヨシムラが2013年から供給に関わっている[23]。チューニングを施された排気量8LのJ08Cエンジンの最高出力は485PSで、600〜1000馬力のライバルには劣る。しかし小柄なボディゆえの取り回しの良さと総重量6-7tの軽さを武器に、大排気量・高出力エンジンを搭載するライバルを脅かすことは多かった。2000年代からシャシー・サスペンション面の大幅な進化に伴い部門全体の高速化が進み[24]、2010年代は総合優勝を争うのが難しくなったが、それでも高頻度でトップ10入りを果たしている。
ライバルたちが公認取得条件の最低生産台数15台以上をクリアして、事実上プロトタイプのマシンでミッドシップ車を繰り出してくるのに対し、日野は量産ベースのフロントエンジン車で戦い続けた。2009年にプロトタイプ規定が施行された際はフロントミッドシップに切り替えたが、冷却の問題から一旦市販車に戻し、2012年から再びプロトタイプで参戦している[25]。
2014年バージョンでは1号車のエンジンがプロフィアに搭載されているA09Cに換装され、こちらは600PSを発揮する[26]。2015年バージョンからは2号車のエンジンもA09Cに換装された。四輪駆動は参戦当初から2016年までパートタイム式だったが、2017年からセンターデフを用いた(前後50:50)のフルタイム式へ変更されている[27]。
参戦体制
参戦当初の1991〜1992年は『エキップ・カミオン・ヒノ』というチーム名で日野自動車本体が菅原義正の日本レーシングマネージメント(JRM)の協力の元にワークス・チームを編成して参戦しており、マグナ・シュタイア社も車体開発協力に就いた。1991、1992年のドライバーはフランスF3選手権王者でル・マン24時間レース優勝者のフランス人ジャン=ピエール・ジョッソー、シュタイア社のチーフエンジニアで工学博士のオーストリア人JP-ライフ(ヨハン=ピーター・ライフ)、エアメカニック出身のベルギー人ジョセフ・プティの3人が務めた。ライフはプティは日本人に近い職人気質でチームに愛され、1992年にはチームメイトの壊れたギアボックスを引き取り、自分は1速と6速しか使えない状況で後半戦を走り切る器用さを見せた。またライフも3本足のマシンで走り切るなど、ダカールに慣れていないスタッフたちの想定を大きく上回る走りでチームに刺激を与えた[28]。ライフとペティは1997年にも日野で参戦し、菅原と併せて1-2-3フィニッシュを達成した。
1992年のパリ-モスクワ-北京ラリー以降はJRMが母体となって参戦している。日野のワークス体制は1991〜1992年、1996〜1997年[29]、2006〜2022年であり、それ以外はJRMの『チームスガワラ』(1993~1995年は『チーム子連れ狼』)によるプライベーター体制での参戦となっている。JRMは90年代半ばからル・マンの7km南に位置するテロッシェ村にガレージを持っており、村では英雄のような扱いを受けることもある[30]。なお義正によるとこのガレージは元々はポルシェがル・マン24時間参戦の拠点としていたもので、スティーブ・マックィーンの917Kや生沢徹の904も整備していた工場であるという[31]。
1995年の第17回大会からは、全国の日野自動車販売会社からチームのメカニックを選抜してダカール・ラリーに参戦する体制を採っている。
2019年4月に、1992年大会から出場してきた菅原義正が、2019年大会をもってダカール・ラリーからの引退を発表。チームスガワラと日野自動車は、2020年大会以降における菅原義正の後任ドライバーの選定を行い[32]、2019年6月3日に2020年大会の体制を発表。車両はレンジャー2台体制から、レンジャー・600各1台体制に変更する他、1号車となるレンジャーのドライバーは義正の息子菅原照仁が、2号車となる600のドライバーはサミットレーシングプロモーションズ所属のオフロードレーサーの塙郁夫がそれぞれ務める[33]。2021年大会は新型コロナウイルス感染症の影響で菅原1台体制に縮小されたと同時に、レンジャーとしては最後のダカール・ラリー参戦となった。
2022年大会は車両をレンジャーから600ハイブリッドへ変更し、2021年大会同様に菅原1台体制で参戦することとなって、レンジャーはその役割を終えた[34]。しかし現在の600はレンジャーをベースにボンネット型にしたような構造となっており、その遺伝子は現在も生き続けている。
成績表
ダカール・ラリーにおけるレンジャーの総合成績。順位の()内はクラス成績(2000〜2002年のみフロントエンジン四輪駆動車クラス、他は10リッター未満クラスの順位)。2010年、2011年は市販車クラスでも1位を獲得。[35][36][37]。
年 | 大会 | ドライバー | 順位 |
---|---|---|---|
1991年 | 13 | J-P.ジョッソー(フランス) J-P.ライフ(オーストリア) J.プティ(ベルギー) J-C.シュマラン(フランス) |
7 10 14 リタイヤ(負傷) |
1992年 | 14 | J-P.ライフ(オーストリア) J-P.ジョッソー(フランス) 菅原義正 J.プティ(ベルギー) |
4 5 6 10 |
1993年 | 15 | 菅原義正 | 6 |
1994年 | 16 | 菅原義正 | 2 |
1995年 | 17 | 菅原義正 | 2 |
1996年 | 18 | 菅原義正 柴田英樹 |
6(1) 11(2) |
1997年 | 19 | J-P.ライフ(オーストリア) 菅原義正 J.プティ(ベルギー) |
1(1) 2(2) 3(3) |
1998年 | 20 | 菅原義正 | 2(1) |
1999年 | 21 | 菅原義正 | 4(1) |
2000年 | 22 | 菅原義正 | 5(1) |
2001年 | 23 | 菅原義正 | 2(1) |
2002年 | 24 | 菅原義正 | 3(1) |
2003年 | 25 | 菅原義正 | 5 |
2004年 | 26 | 菅原義正 | 5 |
2005年 | 27 | 菅原義正 菅原照仁 |
2(1) 6(3) |
2006年 | 28 | 菅原義正 菅原照仁 |
5(1) 7(3) |
2007年 | 29 | 菅原照仁 菅原義正 |
9(1) 13(2) |
2008年 | 30 | 菅原照仁 菅原義正 |
レース中止 |
2009年 | 31 | 菅原照仁 菅原義正 |
14(2) 25(6) |
2010年 | 32 | 菅原照仁 菅原義正 |
7(1) 失格でリタイヤ |
2011年 | 33 | 菅原照仁 菅原義正 |
9(1) 13(2) |
2012年 | 34 | 菅原照仁 菅原義正 |
9(1) 24(3) |
2013年 | 35 | 菅原照仁 菅原義正 |
19(1) 31(4) |
2014年 | 36 | 菅原照仁 菅原義正 |
12(1) 32(2) |
2015年 | 37 | 菅原照仁 菅原義正 |
16(1) 32(2) |
2016年 | 38 | 菅原照仁 菅原義正 |
13(1) 31(2) |
2017年 | 39 | 菅原照仁 菅原義正 |
8(1) 29(2) |
2018年 | 40 | 菅原照仁 菅原義正 |
6(1) スタックでリタイヤ |
2019年 | 41 | 菅原照仁 菅原義正 |
9(1) マシントラブルでリタイヤ |
2020年 | 42 | 菅原照仁 | 10(1) |
2021年 | 43 | 菅原照仁 | 12(1) |
車名の由来
- RANGER(レンジャー)
常に進化し、お客様の期待に応え利益をお約束するプロフェッショナルのためのトラックの意である。1964年のレンジャー発売時に、一般公募にて選考された。
- SPACE RANGER(スペースレンジャー)
SPACE(スペース)には、安全・快適空間、積載効率の高い。宇宙-先進的。仕事の領域を拡大する。これらを意味することから名が付けられた。
- RANGER-PRO(レンジャープロ)
PRO(プロ)には、PROceed、PROgress(常に進化し)、PROspect(お客様の期待に応える)、PROmise(お客様の利益をお約束する)、PROfessional(プロフェッショナルのためのトラック)という思いが込められている。
- ^ キャブに規格型の角型2灯式ハロゲンライトを装備する「アッパーヘッドライト外観」も、標準キャブ車・ハイグレード仕様以外で選択可能であった。アッパーライト車は従前のスペースレンジャー用バンパー・フォグランプを装着するものの、バンパー装着ウインカーは省かれる。
- ^ “日野自、次世代中型トラックを世界初投入[車両]”. エヌ・エヌ・エー (2015年1月16日). 2015年1月16日閲覧。
- ^ Yongki Sanjaya (2015年1月15日). “Hino Luncurkan Truk Hino 500 Series New Generation Ranger” (インドネシア語). Liputan6. 2015年1月16日閲覧。
- ^ デュトロ標準キャブ車と同一のハロゲンヘッドライトが用いられる。但し、デュトロに設定されているHID仕様はレンジャーのキャブライト車には設定されない。
- ^ オプションでプロフィアと同型のLEDテールランプも選択可能。
- ^ 260psエンジン搭載車と240psエンジン搭載車はDPR+尿素SCRを採用。
- ^ 日野自動車、大型トラック「日野プロフィア」、 中型トラック「日野レンジャー」をモデルチェンジして新発売日野自動車 2017年4月5日(同年4月9日閲覧)
- ^ 日野自動車、中型トラック「日野レンジャー」に車型を追加して発売日野自動車 2017年9月6日(2017年9月16日閲覧)
- ^ 大型トラック「日野プロフィア」と中型トラック「日野レンジャー」が 2017年度グッドデザイン賞を受賞日野自動車 2017年10月4日
- ^ 日野自動車 (2018年1月9日). “日野自動車、東京オートサロン2018および大阪オートメッセ2018に新型「日野プロフィア」、新型「日野レンジャー」を出展”. 2018年1月13日閲覧。
- ^ 日野自動車、中型トラック「日野レンジャー」を改良して新発売日野自動車 2019年4月10日
- ^ 日野自動車、中型トラック「日野レンジャー」を改良して新発売日野自動車 2021年8月2日
- ^ a b お客様に最適商品をより早く提供するため、中型トラックのメーカー完成車「VQ」のラインアップを拡充して発売、古河工場でシャシから架装まで一貫生産日野自動車 2021年12月20日
- ^ 日野自動車が架装工場の新設で狙う効果ニュースイッチ 2021年12月29日
- ^ エンジン認証に関する当社の不正行為について日野自動車 2022年3月4日
- ^ 自動車製作者に対する行政処分を行いました国土交通省 2022年3月29日
- ^ 特別調査委員会による調査結果および今後の対応について日野自動車 2022年8月2日
- ^ 日野自動車(株)の排出ガス・燃費性能試験における不正行為について国土交通省 2022年8月2日
- ^ 今後の生産活動について「信頼される製品づくり」のための「人づくり」を再徹底 日野自動車 2022年9月16日
- ^ 日野自動車に対する対応について国土交通省 2022年9月9日
- ^ 三菱ふそう ファイターミニヨン、いすゞ フォワードジャストン、日産ディーゼル コンドルSなど
- ^ 『砂塵を駆ける夢―HINO』JAF出版社、1997年、72頁。ISBN 4788680424。
- ^ ダカール・ラリー2021に参戦する日野レンジャーのボディにヨシムラの文字!
- ^ ダカールラリーとカミオン
- ^ 日野、「ダカールラリー2012」に新レーシングトラックで参戦 「レンジャー」をミッドシップ化して戦闘力向上 Car Watch 2023年11月3日閲覧
- ^ 日野自動車. “ダカールラリー > HINO Team SUGAWARA > レーシングトラック”. 2014年1月19日閲覧。
- ^ 冒険から競技へと進化したダカール・ラリー 「常勝軍団・日野チームスガワラ」が魅せた底力!
- ^ 『HINO THE DAKAR RAKKY Great Run RALLY MAKES SERIES 砂塵を駆ける夢』
- ^ ダカールラリーの歴史と日野レーシングカミオンの挑戦
- ^ フランスレポート
- ^ No.243 「久し振りにル・マンのガレージに来ております。」 – 菅原さんからの手紙
- ^ "ダカールの鉄人"菅原義正のダカール・ラリー引退について日本レーシングマネージメント・日野自動車 2019年4月23日
- ^ "日野チームスガワラ"、さらなる高みを目指した新チーム体制を発表日野自動車 2019年6月3日
- ^ ダカール・ラリー2022参戦車両が完成日野自動車 2021年10月25日
- ^ 菅原義正 モータースポーツ経歴
- ^ 菅原照仁 モータースポーツ経歴
- ^ ヒストリー&レースレポート
固有名詞の分類
- 日野・レンジャーのページへのリンク