心霊主義 心霊主義の展開

心霊主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/28 01:32 UTC 版)

心霊主義の展開

心霊現象研究と心理学

心霊主義は、心霊現象研究協会を通して心理学という学問へ向かった。心霊主義の科学的調査は1860年代から行われていたが、ヴィクトリア時代の体制側の科学者の多くは、懐疑的な姿勢を取っていた[10]

ヘンリー・シジウィック
フレデリック・マイヤーズ

1858年にダーウィンの『種の起源』が発表され、後に心霊現象研究協会の初代会長となる哲学者・倫理学者のヘンリー・シジウィックらは衝撃を受けていた。シジウィックは宗教と科学の調和という問題の鍵を心霊主義に求め、牧師の子であった詩人・古典研究者フレデリック・マイヤーズもまた、ヴィクトリア時代の懐疑論のもとで、信仰と理性を和解させることができず信仰の根拠を失い、死によって霊魂が消滅するかどうかという不安に苛まれていた。1871年、マイヤーズはシジウィックに「伝説直観形而上学が宇宙の謎を解きえないのに、幽霊や心霊などのように実際に観察することのできる事象を通して、『見えざる世界』について何か確実な知識は得られるのでしょうか」と尋ねた。シジウィックはその可能性があると応え、マイヤーズの30年におよぶ心霊研究が始まることとなった[10]。イギリスの伝統である経験論の手法によって、心霊主義という超常現象を解明し、霊魂の死後存続を証明し、新しい信仰のあり方を見出そうとしたのである。

1880年代に、心霊現象研究を行う最初の学術団体として心霊現象研究協会が設立され、心霊主義は初めて「科学」的方法論に基づく調査の対象になった。物理学者ウィリアム・フレッチャー・バレットの提案で設立され、ヴィクトリア時代を代表する学者で、ケンブリッジ大学の教授であったヘンリー・シジウィックが初代会長に選ばれ、彼と二人の弟子フレデリック・マイヤーズとエドマンド・ガーニーが中心に活動した[10]。シジウィックが中心となったことで協会の社会的信用が得られ、各界から名士が参加した。アーサー・バルフォアなど名門バルフォア家の人々、ウィリアム・ベイトソン(生物学者)、ルイス・キャロル(数学者)、ジョン・ラスキン(作家)、オリバー・ロッジ(物理学者)、アーサー・コナン・ドイル(作家)、タリウムを発見したことで知られるウィリアム・クルックス、世界的物理学者オリバー・ロッジ、ノーベル生理学・物理学賞を受賞したシャルル・ロベール・リシェ (エクトプラズムの命名者)などの学者・作家たち、ウィリアム・ステイントン・モーゼス(霊媒)、エドモンド・ロジャーズ英語版(「ライト」編集者)、フランク・ポドモアフェビアン協会の創設者)なども加わり、19世紀末イギリスで代表的な知識人・文化人が集まる学会のひとつになったのである[10]

カール・グスタフ・ユング

心霊現象研究協会では、テレパシー、ヒプノティズム(メスメリズムによるトランス現象であり、透視を含む)、ライヘンバッハのオドの力、幽霊現象、物理的心霊現象などであり、特に識閾下の部分(潜在意識無意識)でのコミュニケーションと関係があると考えられたテレパシーが中心的課題であった。マイヤーズは、潜在意識とテレパシーによって心霊現象を説明しようとし、宗教や芸術に関しても同様のアプローチを行った[10]

心理学者カール・グスタフ・ユングの研究も、出発点には心霊主義があり、1902年に『心霊現象の心理と病理』を出版した。ユングはマイヤーズと同じように、プライベートでは交霊会に出席して死者との交流を試み、仕事の上ではその体験と分析を心理学的に行った[10]。ユングの研究は深層心理学へと結実したが、彼の思想の核心部分には近代神智学との共通点も多い[10]

カルデックの心霊主義

アラン・カルデック

心霊主義から派生したものに、フランス人イポリット=レオン=ドゥニザール・リヴァイユ(1804年 - 1869年)、筆名アラン・カルデックの名で知られる人物によるスピリティスム(仏:Spiritisme、スピリティズム(英:Spiritism)[32]カルデシズムカルデシズモ(葡:Kardecismo)、エスピリティズモ(葡:Espiritismo)。以下カルデシズムとする)がある。カルデックは私塾で教育学、哲学、医学を教えていたといわれる[31]。彼は社会主義思想家フーリエに影響を受けたが、彼からは当時流行していたテーブル・ターニングも学んだという[31]。これが心霊主義と接するきっかけになった。当時のフランス社会では社会主義者らが影響力をもつようになっていたが、その一部は社会的不平等を理解するための説明として輪廻転生を受け入れていた[31]。またカルデックは、動物磁気療法を提唱したフランツ・アントン・メスメルからも大きな影響を受けている。

カルデックは1856年に交霊会で霊媒から「今、真実であり、偉大で美しく、創造主に相応しい宗教が必要とされている。基礎的な教えは既に与えられている。リヴァイユ、汝に(その宗教を伝える)任務がある。」という啓示を受けた[31]。カルデックは、『新約聖書』では、イエスは別の慰安者である「真理の霊」の出現を約束しており、それがカルデックだとし、イエスの隠されたメッセージを理解するために、心霊主義と科学を取り入れた新しいキリスト教を構築しようとした[31]。従来のキリスト教は不完全だと考え、「人びとが真理を理解することができるレベルに到達したので、キリストの教えを補完するために心霊主義が現れた。」と述べている[31]

カルデックは、進化の原理が救済の本当の意味を復権する鍵になると考えた[33]。「復活」とは死者が肉体を持って生き返ることだが、科学は物質が再生することが不可能であると証明している。輪廻転生とは、霊が肉体をもつようになることであるであり、「復活」とは輪廻転生であり、イエスの教えを完全なものにするのが輪廻転生の教えだとした[33]。輪廻転生は、罪の償いと進歩のためにある。進化によって霊が最終的に救済されると、「天界あるいは神聖な世界」に到達するとされた[33]。肉体は霊の監獄か檻のようなもので、肉体から解放された霊は本来の自由を獲得できると考えた[33]。カルデシズムの教えでは、霊は進化しても信仰がある限り退化することはなく、現在より劣位の世界に落ちることはないされたため、カトリックの地獄や煉獄への恐怖心から解放されるという利点があった。信者たちは、カルデシズムはキリスト教であり、モーセ、キリストに継ぐ「第三の啓示」だと考えているが、カトリックはカルデックの教えを非難していた。現在のブラジルでも同様の傾向がある[31]

スピリティズムの聖典『霊の書』(聖霊の書)は 1857 年に著された[31]。これはカルデックの質問に数人の霊が答えるという形式で書かれている。カルデシズムは、過去の数々の教えの集大成で、人間ではなく、天の声を伝える諸霊によって明らかにされたものであり[31]、彼が信頼できると判断した複数の霊媒による交信を比較検討してまとめたものであるという。カルデックの著作は主にラテン諸国で読まれベストセラーとなった。カルデシズムは、とくにブラジルにおいて、カルデシズモの名で広く支持されている。その信望者はブラジルにおいて150万人以上にもなる[34]

シコ・シャビエールの銅像

カルデシズムは、世界は超越的な神によって統御されるいくつかの小世界からなっており、進化と因果律に支配されているという[33]。従来の欧米系の心霊主義と異なり、「輪廻転生」の教義を持つ点に大きな特徴がある。人間の霊魂は輪廻転生を繰り返しながら霊界を進化するとされ、霊も同じ法則に従い、与えられた自由意志によって輪廻転生しながら高等な霊へと進化していく。カルデシズムではこれを「霊の進化」と呼ぶ。霊の進化と霊媒による霊との交流を根本的な宗教的実践とする[35]。また、霊には下級から上級までのヒエラルキーがあり、そのレベルを上げる「霊の進化」が信じられている[35]。神から自由意思を与えられた霊は、過ちという「負債」を作り、これが苦しみの原因であると考えられている[17][36]。霊のレベルは過去世と今世での善行で決定され[35]、慈善活動は善行の根本的なものである。慈善活動は、自らの霊としてのレベルを上げ、過去あるいは過去世の負債を支払い、また神から徳分(メレシメント)が与えられる救済に至る方法のひとつである[37]

ブラジルのカルデシズムは中間層と低所得者層に広まっているが、前者は教会での活動に熱心であり、後者が教会の慈善活動を受益する形となっている[37]。自然と超自然、科学と宗教を分けず、信者は自らの行いを科学的・哲学的実践と考えている[35]。また、カルデシズムの宗教施設では、霊媒に自身の苦難について相談するコンスウタ(診察)を受けることができる[37]。相談者は必ずしも信者であるとは限らず、相談料は無料である[37]。診断で苦難の原因が明らかにされ、霊が関わっている場合とそうでない場合とに分けられるが、たいていの苦難は霊の障りによると考えられている[37]。霊が原因の場合、相談者は霊媒の手かざしによる霊的治療(パッセ)を受け、教理の勉強会に参加し、慈善活動をすることで苦難が除かれるとされる[37]。こうしたプロセスを経て、その中から信者が生まれる[37]。カルデシズムでは個人の意志は尊重されるべきものだとされ、救済されるか否かは当人の努力次第と考えられているため、コンスウタ(診察)で指示された活動への参加は自由である[37]。なお、霊の障りでない場合は、病院で標準治療を受けることになる[37]。教理の勉強会で読まれる本は、アラン・カルデックの『霊の書』、『霊媒師の書』、『エスピリティズモによる福音』であるが、ブラジルのカルデシズムの「法王」と呼ばれる霊媒シコ・シャビエールポルトガル語版(1910年 - 2002年)の著作も好んで読まれている[37]。カルデシズムでは、人は潜在的に霊媒であり、訓練で霊能力を意識的にコントロールすることができるようになるとされるため、霊能力開発の勉強会も開催されている[37]

ブラジルの宗教は、カトリック、カルデシズムの他に、アフリカのヨルバ族の信仰とカトリックが結びついたカンドンブレがある[34]。ラテンアメリカやカリブでは、心霊主義はエスピリティズモとよばれるが、近代心霊主義にアメリカ大陸の先住民やアフリカ人の祖先崇拝トランスといった伝統が結びついて体系化されたもので、カルデシズムはこれに含まれる。20世紀前半にブラジルで生まれた、カンドンブレにカルデシズム、カトリック等を取り入れたアフリカ色の濃い心霊主義的習合宗教は、ウンバンダと呼ばれ、これも広く信仰されている[34][38]

日本からの移民が多いブラジルは、天理教世界救世教といった日本の新宗教の布教が世界で一番成功している国である。カルデシズムとこれら日本の新宗教は教義の共通点が多く、ブラジルの人々に親しみやすかったが、これは偶然ではなく、共に近代心霊主義の影響を受けているためである[17]

近代神智学

ヘレナ・P・ブラヴァツキー(1877年)

心霊主義の影響を受けたものに近代神智学があり、これは心霊主義の一種であるとされる。フリーメイソン薔薇十字団、インドやエジプトの思想を取り入れ、古代の霊知を復興し真の霊性(オカルト能力)を養うこと、ドグマ化したキリスト教と唯物論化した自然科学の弊害を取り除くことを掲げ、科学の研究に耐えうる新しい宗教として登場した[10]マクロコスモスとミクロコスモス(宇宙と人間)との照応というヨーロッパの伝統思想が理論的基礎にあり、西洋と東洋の智の融合・統一を企図していたといえる[39]。創始者のヘレナ・P・ブラヴァツキー(1831年 – 1891年)、通称ブラヴァツキー夫人は、1877年に『ヴェールを脱いだイシス神』を著した。もともと心霊主義の霊媒であったが、霊媒として活動した経験からか、心霊主義の単純な霊魂論に異議を唱え、心霊主義と交霊会を厳しく非難していた。霊媒が交信する霊は真我ではなく「アストラル体の殻」であり、ブッディ=アートマ(インド哲学の用語)と結びついて霊界に入った真我とは交信できないとした[10]。これにより心霊主義者は神智学協会から離反し、キリスト教を捨てきれない人たちも離れていった。

神智学協会は起死回生を狙ってインドに進出した。イギリスはインドで、土着の文化を尊重しながら先住民を内面から支配するという巧妙な政策をとり、『バガヴァッド・ギーター』の英訳なども行われていた。しかしキリスト教はその特殊性から他の宗教との融和ができないため、現地で軋轢を生んでいた。近代神智学はインド思想を教義の中核に取り込んでいたこともあり、ヴェーダを中心とする宗教改革運動「アーリヤ・サマージ」などから歓迎を受けた。インド人の神智学協会会員などの協力で、ヒンドゥー教仏教の教えが取り入れられたが、理解には限界があり、カバラ新プラトン主義で補うという方法がとられた[10]

近代神智学では、フリーメイソンやイギリス薔薇十字団から、古代から伝えられた霊知を選ばれた人間に伝える「未知の上位者」という発想を借用している。これは、ウィリアム・ステイントン・モーゼスの指導霊インペレーターを除くと、当時の心霊主義ではほとんど見られない発想である[10](ブラヴァツキーはモーゼスを例外的に高く評価していた。)近代神智学では「マハトマ」と呼ばれ、キリストもマハトマのひとりであるとされ、人格神も否定した[10]。この思想はキリスト教に衝撃を与え、近代神智学は宣教師の嫌悪の対象となった。

近代神智学は従来の心霊主義に代わって、新しい心霊学としてインド思想を取り入れ、西洋秘教伝統とインド思想のカルマの法則と再生の原理を取り入れた。高次の自我(真我、霊我)の覚醒を目的とし、人間の自我を高次と低次に分け、心霊主義を低次の自我に関わるものにすぎないとして退けた[10]。マハトマとの交信は霊媒たちによっても別に進められたが、これはのちのチャネリングと共通する発想である[10]

1884年には、マハトマからの手紙(マハトマ書簡)が突然「聖容器」に現われたように見せるトリックが身内によって暴露され、ロンドンの心霊現象研究協会により調査が行われ、1885年にはブラヴァツキーは詐欺師・ペテン師であるとする報告が公表された。心霊現象研究協会の信頼は絶大であり、近代神智学の根幹であるマハトマの存在に疑問を呈したこともあり、衝撃は大きかった。ブラヴァツキーはこれを克服するために、第2の著作を執筆し、ロンドンに上級会員に奥義を教えるための秘教部門を開設した。詩人のW・B・イェイツは詩作の原理を探求するために秘教部門に属したが、目的を達することができず退会し、黄金の夜明け団に所属し魔術の観点から研究を行っている[10]

近代神智学では、ダーウィンの進化論は人間の霊魂には適用できないと考えた(これはダーウィンと並ぶ進化論の最初の提唱者である科学者アルフレッド・ウォレスも同じであり、彼は心霊主義が霊的進化を傍証するものだと考えていた。)[10]ブラヴァツキーは進化論をカルマの法則と再生の原理で解釈し、最終局面として人間の霊的な完成を想定し、自助努力で神に近い存在に近づくことができる、つまり自分で自分を完成させ、救うことができると考えた。これは神が天地創造の際に人間を神の似姿として作ったという神話の逆であり、また人類は肉体を持たない霊的な存在(第一根源人種)であったが、徐々に退化して物質世界に埋没し、猿人になったとした[10]。近代神智学における霊的進化論は、ダーウィンの進化論の逆であるといえる[10]

このように心霊主義は、近代神智学を経由してカルト的な自己宗教に変容していった[10]








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