宝永四ツ宝丁銀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/14 00:43 UTC 版)
四ツ宝銀の品位
『旧貨幣表』に依れば、規定品位は銀20%(七割八分引ケ)、銅80%である。
明治時代、造幣局により江戸時代の貨幣の分析が行われた。古賀による四ツ宝銀の分析値は以下の通りである[23]。
雑分はほとんどが銅であるが、少量の鉛などを含む。この極めて低い銀品位に対し新井白石は「名こそ銀にてあるなれ、実には銅の銀気あるにも及ばず」と酷評した[24]。
四ツ宝銀の鋳造量
『吹塵録』および『月堂見聞集』によれば丁銀および豆板銀の合計で401,240貫余(約1,497トン)である[25]。
公儀灰吹銀および回収された旧銀から丁銀を吹きたてる場合の銀座の収入である分一銀(ぶいちぎん)は四ツ宝銀では13%と引き揚げられ[8]、また吹替えにより幕府が得た出目(改鋳利益)は94,597貫余であった[26][8][27]。
脚注
参考文献
- 青山礼志『新訂 貨幣手帳・日本コインの歴史と収集ガイド』ボナンザ、1982年。
- 郡司勇夫・渡部敦『図説 日本の古銭』日本文芸社、1972年。
- 久光重平『日本貨幣物語』毎日新聞社、1976年、初版。ASIN B000J9VAPQ。
- 石原幸一郎『日本貨幣収集事典』原点社、2003年。
- 小葉田淳『日本の貨幣』至文堂、1958年。
- 草間直方『三貨図彙』、1815年。
- 三上隆三『江戸の貨幣物語』東洋経済新報社、1996年。ISBN 978-4-492-37082-7。
- 滝沢武雄『日本の貨幣の歴史』吉川弘文館、1996年。ISBN 978-4-642-06652-5。
- 瀧澤武雄,西脇康『日本史小百科「貨幣」』東京堂出版、1999年。ISBN 978-4-490-20353-0。
- 田谷博吉『近世銀座の研究』吉川弘文館、1963年。ISBN 978-4-6420-3029-8。
- 『新稿 両替年代記関鍵 巻二考証篇』三井高維編、岩波書店、1933年。
- 『日本の貨幣-収集の手引き-』日本貨幣商協同組合、日本貨幣商協同組合、1998年。
関連項目
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注釈
- ^ 元禄銀による分一銀を加えた元禄・宝永期の合計では125,495貫となる。
出典
- ^ 滝沢(1996), p203.
- ^ 三上(1996), p182-183.
- ^ 田谷(1963), p185-186.
- ^ 青山(1982), p116-118, p120.
- ^ 滝沢(1996), p206-207.
- ^ a b c d 田谷(1963), p186-190.
- ^ 滝沢(1996), p206-207.
- ^ a b c 田谷(1963), p190-191.
- ^ 久光(1976), p111-112.
- ^ a b 田谷(1963), p189.
- ^ a b c 田谷(1963), p193-197.
- ^ 両替年代記(1933), p285-302.
- ^ 草間(1815), p817.
- ^ 瀧澤・西脇(1999), p270.
- ^ 貨幣商組合(1998), p80-81.
- ^ 田谷(1963), p275-277.
- ^ 滝沢(1996), p207-208.
- ^ 田谷(1963), p277-281.
- ^ 郡司(1972), p71-72.
- ^ 郡司(1972), p77.
- ^ 貨幣商組合(1998), p78-79.
- ^ 青山(1982), p120-121.
- ^ 甲賀宜政 『古金銀調査明細録』 1930年
- ^ 三上(1996), p183.
- ^ 小葉田(1958), p163-165.
- ^ 瀧澤・西脇(1999), p269-271.
- ^ 滝沢(1996), p205.
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