奥平康弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 21:23 UTC 版)
人物
北海道函館市生まれ。鵜飼信成と宮澤俊義の弟子。法学界・法曹界に止まらず、広く影響力を有する法学者だった。九条の会の呼びかけ人の一人で、エッセイも多数執筆。日本ビデオ倫理協会評議員、自由人権協会評議員も務めた。
「学者」という呼称を敬遠し、大学を離れて以降、「憲法研究者」という肩書きを名乗ることが多かった。
奈良県医師宅放火殺人の供述調書漏洩事件をうけて講談社が2007年[2]に設置した第三者委員会である『僕はパパを殺すことに決めた』調査委員会の委員長を務めた[3]。
ヘイトスピーチ問題について、「処罰ではなく文化力の形成を」と処罰規定に反対姿勢を示していた[4]。
2015年1月26日、急性心筋梗塞のため東京都内の自宅で死去した[5]。85歳没。
学歴
- 北海道庁立函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)卒業
- 1950年 - 旧制弘前高等学校(現・弘前大学)卒業
- 1953年 - 東京大学法学部法律学科卒業
- 1962年 - ペンシルベニア大学ロースクール修了、比較法学修士
職歴
- 1953年 - 東京大学社会科学研究所助手
- 1957年 - 専修大学法学部講師( - 1959年)
- 1961年 - 名古屋大学法学部助教授
- 1966年 - 東京大学社会科学研究所助教授
- 1970年 - オーストラリア国立大学国際関係部門客員研究員
- 1973年 - 東京大学社会科学研究所教授(1986年 - 1988年 所長)
- 1980年 - コロンビア大学・ロー・スクール客員教授
- 1990年 - 国際基督教大学教授( - 1997年)
- 1999年 - 神奈川大学短期大学部特任教授( - 2002年)
- 2006年 - 立命館大学客員教授( - 2007年)
親族
- ^ “奥平康弘氏が死去 東大名誉教授、「九条の会」立ち上げ”. 日本経済新聞. (2015年1月30日) 2020年1月26日閲覧。
- ^ 『僕はパパを殺すことに決めた』について - 講談社
- ^ 講談社から皆様へ 『僕はパパを殺すことに決めた』調査委員会の設立について
- ^ 奥平康弘「法規制はできるだけ慎重に むしろ市民の文化力で対抗すべきだろう」『ジャーナリズム』(282号2013年)
- ^ 奥平康弘・東大名誉教授が死去 「九条の会」呼びかけ人 朝日新聞 2015年1月30日
固有名詞の分類
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