ワールドミュージック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 04:10 UTC 版)
定義
ワールド・ミュージックの定義としては、以下のような例を挙げることができる。
- 1.世界中の音楽文化を総称する意味
- 西洋の自文化中心主義を内包する「民族音楽」という語に代わって、民族音楽学の研究対象(全世界のすべての音楽)を指す語として、1970年代後半にアメリカの民族音楽学者を中心に広まった[1]。最初はウェズリアン大学の民族音楽学者のロバート・エドワード・ブラウンが1960年代前半に造語した[2][3]。
- 2.非西欧諸国のポピュラー音楽という意味
- 19世紀前後から始まった世界のグローバル化と音楽メディアの発達の影響から、ヨーロッパ音楽の要素を取り入れて非ヨーロッパ地域で作られた新しい音楽群を、民族音楽学者のブルーノ・ネトルは1985年の自著において「ワールドミュージック」と呼んだ[4]。
- この意味のワールドミュージックは世界の音楽を聴き手に届けるためのジャンル名として用いられるようになり、やがて意味を広げて伝統的な宗教音楽や民謡、ヨーロッパ周縁部や少数派の民俗音楽なども含まれるようになった。80年代後半から90年代前半にかけてこうした音楽がブームとなり、この意味が定着した。「ワールドビート」などとも言う[5]。
概要:アカデミックな使用
この用語は民族音楽学者のロバート・エドワード・ブラウンが1960年代前半に造語したものである。当時彼はウェズリアン大学で学部生の教育・訓練を行っており、効果的に学習させるために、アフリカやアジアの演奏家たちを10人以上招いて一連のワールドミュージックコンサートを開催したのである[2][3]。また、民族音楽学者のブルーノ・ネトルは、1985年の自著において、19世紀前後から始まった世界のグローバル化と音楽メディアの発達の影響から、ヨーロッパ音楽の要素を取り入れて非ヨーロッパ地域で作られた新しい音楽群を「ワールドミュージック」と呼んだ[4]。
詳細:レコード業界での使用
「ワールド・ミュージック」は最初、学術の世界で非・西洋の音楽を指すために用いられた側面がある。もうひとつは、ピーター・バラカンや北中正和が共通して紹介している、イギリスのレコード店から分類が困難なレコードがあると意見が寄せられ、1987年に同国で始まったという説[6]である。また輸入盤通販店「タムボリン」の店主で、元・音楽雑誌「包(Pao)」の編集長の船津潔は「ワールドミュージックという音楽用語は1987年のイギリスの音楽雑誌『フォーク・ルーツ』(のちに『エフルーツ』と名称を変更)に見ることができる。『フォーク・ルーツ』は11社11枚のCDを ”World Music” の名の下に広告を打った。これを機にワールドミュージックというジャンルが世界規模で始動した」と指摘する[7]。ワールド・ミュージックは80年代後半には音楽界やレコード業界での流行語になっていた[8]。
フランスでは、毎年、夏至の6月21日、フランスのさまざまな地域で "Fête de la Musique"[9](音楽祭)が開かれており、ここでは特定の地域の音楽に限定することなく、世界中の音楽の演奏家たちが参加しフランス全土で演奏する音楽祭である。また、この Fête de la Musique の日以外でも、世界各地の演奏家を招いて、フランスの音楽家と世界の音楽家の共演が見られる。
- ヨーロッパでは、夏場のバカンスシーズンに、各地(多くの場合、リゾート地)で、ワールドミュージックのフェスティバルが開催されている。ヨーロッパ各国だけでなく、中国など他の地域でも「World Music Day」という名のワールドミュージックの祭典が開かれている[10]。インド、ドイツ、イタリア、ギリシア、ロシア、オーストラリア、ペルー、ブラジル、エクアドル、メキシコ、カナダ、アメリカ、イギリスなどでの祭典がこれに当たる[11][12]。
- 1982年にピーター・ガブリエル がイギリスでウォーマッド (WOMAD, World of Music, Arts and Dance) [13]という音楽祭を主宰し、やがてこの音楽祭は、ヨーロッパ各地、アジア、アフリカのカナリア諸島などに広がった。
歴史
第二次世界大戦後には、マンボ[14]やチャチャチャ、ルンバ[注 1]、タンゴといったラテン音楽も流行した。1960年代、1970年代には、ミリアム・マケバの「パタパタ」、ヒュー・マセケラ[15]の「グレイジング・イン・ザ・グラス」[注 2]がヒットした。マヌ・ディバンゴやオシビサ[注 3][16]も活躍した。また、ミリー・スモールの「マイ・ボーイ・ロリポップ」[17]やデスモンド・デッカーの「イズラエライツ」(「イスラエルちゃん」1969年)がイギリス発信でヒットした。さらにラテンでは、ホセ・アルベルト、ピート・ロドリゲス、ジョー・バターン、ジョー・クーバ、レイ・セプルベダ、ファニア・オールスターズ[18]らが活躍した。アメリカ白人のサイモン・アンド・ガーファンクル[注 4]の「コンドルは飛んでゆく」が70年にヒットしている。この曲でフォルクローレの存在を知らしめたポール・サイモンは、1972年に「母と子の絆」でレゲエのリズムを紹介し、ワールド・ミュージックと関わったミュージシャンの先駆けとなった。ポール・サイモンは、1980年代に入ってからもワールド・ミュージックに関心を持ち続け、1986年にアルバム「グレイスランド」をヒットさせた。1960年代のヒッピー・ムーブメントやヒンズー教、瞑想、禅、ブッディズムなどの影響を受けたビートルズやローリング・ストーンズなどのロック・ミュージシャンたちは、インド音楽に傾倒した。インドのシタール奏者、ラヴィ・シャンカルは、ウッドストック・フェスティバルにも出演したことは、こういった時代背景があった。1973年には、マヌ・ディバンゴ(カメルーン)の「ソウル・マコッサ」[19]がアメリカでヒットしている。
2000年代以降には、マヌ・チャオやフェルミン・ムルグサ、バルカン半島のタラフ・ドゥ・ハイドゥークス、ファンファーレ・チョカルリア、ノー・スモーキング・オーケストラらも紹介された。
「ワールド・ミュージック」が含みうる要素としては、音階組成や旋律のパターン、伝統的なリズム、和声など作曲技法に関わるものと、楽器の種類や発声などシステムの要素の融合によって形成される。また、ギターから変形したチャランゴのように、楽器自体が変質した音楽も含められる。
注釈
出典
- ^ 平凡社『世界大百科事典』の「民族音楽」の項および音楽之友社『新編 音楽中辞典』の「ワールド・ミュージック」の項。
- ^ a b Williams, Jack. “Robert E. Brown brought world music to San Diego schools | The San Diego Union-Tribune”. Signonsandiego.com. 2010年4月24日閲覧。
- ^ a b “World Music and Ethnomusicology”. Ethnomusic.ucla.edu (1991年9月23日). 2013年4月22日閲覧。
- ^ a b 高田 1991, pp. 309–318.
- ^ Microsoft『Encarta2005』の「ワールド・ミュージック」の項。
- ^ 「毎日ワールドミュージック1998-2004」北中正和著、p.8、晶文社
- ^ 『ミュージック・マガジン』2020年1月号。コラム"Points Of View"「ワールドミュージック・ブームの立役者、英国の音楽雑誌『エフルーツ』廃刊に寄せて」
- ^ “What Is World Music?”. people.iup.edu (1994年12月). 2019年12月11日閲覧。
- ^ http://jp.france.fr/ja/events/87081
- ^ http://beijingmusicday.com/
- ^ http://makemusicla.org/
- ^ “Around The World”. Make Music – 21 June. 2015年4月26日閲覧。
- ^ http://womad.org/
- ^ http://www.allmusic.com/style/mambo-ma0000002709
- ^ http://www.allmusic.com/artist/hugh-masekela-mn0000830319
- ^ http://www.allmusic.com/artist/osibisa-mn0000492611
- ^ http://www.billboard.com/music/millie-small
- ^ http://www.allmusic.com/artist/fania-all-stars-mn0000795130
- ^ http://www.allmusic.com/album/soul-makossa-mw0000234058
- 1 ワールドミュージックとは
- 2 ワールドミュージックの概要
- 3 日本とワールドミュージック
- 4 参考文献
- 5 関連項目
ワールドミュージックと同じ種類の言葉
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