ルックルックこんにちは 番組の歩み

ルックルックこんにちは

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 09:32 UTC 版)

番組の歩み

同番組開始前の日本テレビ系列の朝のワイドショー番組は、1969年10月より放送が開始された『奥さまハプニングサロン』を皮切りに『朝のワイドショー ○○と90分(○○には司会者の名前が入る)』、『あなたのワイドショー』、『ミセス&ミセス』と目まぐるしく変遷、朝の時間帯の抜本的な改編は積年の課題となっていた。その中で1979年、それまでは子供向け番組の時間だった午前7時台に、全国の各ネット局と中継回線で繋げていきながら番組を進めてゆくという異色の情報番組として『ズームイン!!朝!』を投入したのに続き、司会にまだ30代になったばかりだった沢田亜矢子を抜擢し、『ミセス&ミセス』で打ち出された「女性による、女性のための番組」という路線をさらに全面に押し出す形でスタートしたのが本番組であった。

曜日別コーナーは特色のあるコーナーが多かった。初期においては評論家の竹村健一による時事解説コーナー「竹村健一の世相講談」(1979年 - 1985年3月)や、レオタード姿のインストラクター・ジェニー中尾がエアロビクスをレクチャーする「アロービックダンシング」(1982年 - 1984年頃)などがあったが、コーナーは岸部シロー(当番組出演中の1990年代半ばに岸部四郎へ改名)が司会に就任した後にまもなく終了した。

また開始当初、元防衛省(当時は防衛庁)事務次官、評論家の海原治も時事解説を担当していたこともある。

名物コーナーは水曜日の「ドキュメント・女ののど自慢」(司会:なべおさみ夏木ゆたか)、木曜日の「突撃・隣の晩ごはん」(リポーター:ヨネスケ、その後も『ザ!情報ツウ』→『NNN Newsリアルタイム』→『おもいッきりDON!1155』→『DON!』及びBS日テレ真麻のドドンパッ!』にて放送された)、『あなたのワイドショー』時代より続く金曜日の「テレビ三面記事」(『ウィークエンダー』を主婦向けの内容にした)、「涙のご対面」(『それは秘密です!!』の企画を受け継いだコーナー)など。

1984年9月に沢田が降板、同年10月からの後任には岸部が起用された[1][2]

1990年代に入り、芸能・社会ニュースを前面に押し出す内容に変更していき、『ジパングあさ6』及び『NNNニュースジパング』の開始に伴い、本番組にもニュースコーナーが設けられた。また、名物コーナーだった「涙のご対面」が終了したほか、番組冒頭から放送していた「女ののど自慢」は、番組後半に移動している。

1995年10月6日からは、金曜10:30の30分再放送枠が廃枠されたのに伴い、金曜日のみ30分拡大して10:55までの放送となったが、1996年秋改編で10:30に『峰竜太のホンの昼メシ前』(月曜日 - 木曜日は10:30 - 11:25、金曜日のみ10:30 - 11:00)を設置するため、1996年10月以降の金曜日放送は元の10:25までに戻された。

年末については、曜日配列によっては大晦日まで放送(且つ11:25までの拡大版)していた。  

1996年の年明けにスポーツ新聞に岸部の勇退説が出るも、プロデューサーの仲築間卓蔵がインタビューで否定すると同時に岸部がワイドショー司会最長記録であった小川宏の記録を更新することを目指していることを明かした[3]

しかし1998年4月6日、岸部は長年の事業や趣味への過剰な投資の付けが回り不渡り手形が発生。自己破産を申し立て、番組降板を日本テレビに申し出た。この事態を受けて日テレは慎重に検討した結果、「本人の全くの個人的な経済行為とはいえ、不渡り手形が発生した事態を極めて遺憾と考えるとともに、情報番組の性質に鑑みて司会者としての適格性を欠く」と判断して申出を受理。13年半司会を務めた本番組を降板することとなった[4]。翌7日、スタジオに本人不在のままサブ司会だった笛吹雅子がこの降板理由と局からのコメントを説明する事態となった。この日から急遽3代目司会者として松永二三男(当時日本テレビアナウンサー、現在フリー)が就任した。岸部によると日本テレビから『ルックルック』の出演料(1998年3月23日 - 1998年4月6日放送分)の支払いと視聴者への挨拶を拒否されたことを明かしている[5]

2001年3月30日、新番組『レッツ!』に引き継ぐ形で22年の歴史に幕を閉じた。なお、岸部は歴代司会者として沢田・サブ司会だった米森麻美とともに最終回にゲスト出演した。

末期においても視聴率1位を守っていたが、終了直前の2001年2月にフジテレビ情報プレゼンター とくダネ!』にその座を譲った[6]

ネット局について

開始時間が8:30開始となったことで、本番組の放送時間に関しても1978年3月までの『ミセス&ミセス』以来となる同時ネットでの放送、9:30飛び乗りネットかつ55分の短縮版での放送となり、放送時間が振り分けられた。

本番組開始3か月後の1979年7月には静岡第一テレビ開局に伴い、静岡県民放送(現:静岡朝日テレビ、1979年6月までは日本テレビ系列とのクロスネット局)から放映権移行を受ける形で静岡県における放送が静岡県民放送での飛び乗りネットから静岡第一テレビでのフルネットに変更された。

本番組開始9か月後の1980年1月には、当時テレビ朝日系列とのクロスネット局だったテレビ岩手が、それまで放送していた『モーニングショー』を打ち切って、本番組の放送時間を飛び乗りネットから同時ネットに変更した。テレビ岩手にとっては1979年10月の『アフタヌーンショー』(テレビ朝日)打ち切り並びに『お昼のワイドショー』ネット開始に次ぐテレビ朝日系ワイドショーから日本テレビ系ワイドショーへのネット切り替えとなった[7]。このケースはテレビ朝日制作平日朝のワイドショーをネットしていた系列局(日本テレビ系がメインのクロスネット局も含む)はもちろんのこと、テレビ朝日制作平日朝のワイドショーをネットしていたTBS系列局を含めてテレビ朝日系新局開局に伴わずにテレビ朝日制作平日朝のワイドショー自体を打ち切って本来の系列(クロスネット局に関してはメイン系列)の番組の同時ネットに切り替えた初のケースとなった。

1981年4月にはテレビ新潟開局に伴い新潟県における放送を開始し、同年10月には福島放送の開局に伴いフルネット局となった福島中央テレビが飛び乗りネットからフルネットへ変更され、1982年4月にはくまもと県民テレビ開局に伴い、熊本県における放送がそれまでの熊本放送(TBS系列)での飛び乗りネットからくまもと県民テレビでのフルネットへ変更され、1983年4月にはそれまで香川県のみをエリアとしていた西日本放送岡山・香川の第二次電波相互乗り入れに伴い岡山県における放送を開始し、この時点で本番組のフルネット局は13局と増加していった。

1986年4月からはフルネット局13局中、『朝の連続ドラマ』(読売テレビ製作)開始に伴い、西日本の一部系列局とそれ以外の系列局との放送時間が振り分けられた(後述)。それと同時に9:30飛び乗りネット局はフルネット局の8:30~9:25(読売テレビ等は8:55~9:50)部分の時差ネットに変更された。

1989年10月には『モーニングショー』を山陰放送(TBS系列)と2局同時放送していた日本海テレビが『モーニングショー』を打ち切って、本番組の放送時間を時差ネットから読売テレビとの同時ネットに変更した。

日本海テレビは、1972年9月の鳥取・島根の電波相互乗り入れ以降、『モーニングショー』の同時ネット並びにテレビ朝日系平日正午枠時差ネットを山陰放送と2局同時放送していたため、当該時間帯の日本海テレビの実質的な裏番組は『小川宏ショー』→『おはよう!ナイスデイ』などの山陰中央テレビフジテレビ系列)の番組のみであるなど、長年問題となっていた。

1989年4月に鳥取県の地元紙日本海新聞がこの問題を取り上げたことから、これを受けて日本海テレビは『モーニングショー』を打ち切って、本番組の放送時間を時差ネットから読売テレビとの同時ネットに変更した。 [8]。また、テレビ朝日系新局開局に伴わずにテレビ朝日制作平日朝のワイドショー自体を打ち切って本来の系列(クロスネット局に関してはメイン系列)の番組の同時ネットに切り替えたケースは前述のテレビ岩手に続いて2例目となった。

1992年10月には秋田朝日放送の開局に伴い、秋田放送が放送時間を時差ネットから日本テレビとの同時ネットへ変更。またこの時期になると、日本テレビ系新局(テレビ金沢長崎国際テレビ鹿児島読売テレビ)開局や、『モーニングショー』→『スーパーモーニング』(テレビ朝日)のテレビ朝日系新局開局に伴う放映権移行で本番組を同時ネットで開始する系列局(青森放送山形放送テレビ信州山口放送)が増加していく。

1994年1月には長年に亘り放送してきた『朝の連続ドラマ』終了と同時に『朝の連続ドラマ』を先行放送していた西日本のNNS系列8局が日本テレビとの同時ネットに再度移行され、日本海テレビと長崎国際テレビの2局は初めて日本テレビとの同時ネットとなった。同年4月にはそれまで金曜日のみ9:55までの放送となっていた青森放送が平日フルネットでの放送となり、鹿児島読売テレビ開局による鹿児島県におけるネット再開と合わせて平日における放送時間が完全に統一された。1994年4月1日、翌週から『ザ・ワイド』を放送するため、9:30飛び乗り放送をしていた北日本放送が打ち切りとなった。1995年3月には最後まで9:30飛び乗り放送を行っていた福井放送が本番組の飛び乗りネットを終了したのに伴い、NNS系列局における飛び乗り放送も廃止された。

1995年4月3日から、長年に亘り完全ローカルセールス枠だったものを、前半の30分のみネットワークセールス枠に移行した(この流れは2006年4月から当該枠で放送している『スッキリ』まで生かされており、9:00台前半にネットセールス枠を設けている)。同時に愛媛朝日テレビ開局に伴い、南海放送が同時ネットで放送を再開したと同時に、前述の飛び乗り放送廃止に伴い、2011年3月31日までの本枠(『レッツ!』→『ザ!情報ツウ』、2011年3月までの『スッキリ!!』も同様)はNNS23局での放送となった。

放送時間の変遷

期間 放送時間
月曜 - 木曜 金曜
同時ネット局 飛び乗りネット局・TBS系列局
(1時間遅れで一部コーナーをカットして放送)
東日本 西日本
1979年4月2日 - 1986年4月18日 8:30 - 10:25(115分) 9:30 - 10:25(55分) (月曜日 - 木曜日と同じ)
1986年4月21日 - 1993年12月24日 8:30 - 10:00(90分) 8:55 - 10:25(90分)
1994年1月4日 - 1995年3月31日 8:30 - 10:25(115分)
1995年4月3日 - 1995年9月29日 (放送終了)
1995年10月2日 - 1996年9月27日 8:30 - 10:55(145分)
1996年9月30日 - 2001年3月30日 (月曜日 - 木曜日と同じ)

  1. ^ 「85年テレビドラマの行方は」『映画情報』第50巻第1号、国際情報社、1985年1月1日、70頁、NDLJP:2343811/70 
  2. ^ 司会候補には岸部と同郷、かつ当時本番組にレポーターとして出演していた上岡龍太郎を司会に昇格させる事も検討されたが、上岡の「宇治は京都とは認めない」との発言が宇治出身のプロデューサーの怒りを買い、最終的に岸部が選ばれた。ただし、上岡は生前、その周辺の自治体に関しては好意的だった。
  3. ^ 「ワイドショー料理人の"たかが・されど"論――土足云々・・は今は昔 / 仲築間卓蔵」『月刊政治と経済』第22巻第2号、政治と経済、1996年2月1日、38 - 41頁、NDLJP:2877858/20 
  4. ^ 岸部4億借金「ルックルック」降板 - ウェイバックマシン(1998年7月3日アーカイブ分)
  5. ^ 岸部四郎「心中考えたことも」 - ウェイバックマシン(1998年7月3日アーカイブ分)
  6. ^ 独走「とくダネ!」 合い言葉は「打倒!小倉」,ENAK,2006年7月11日
  7. ^ a b 『モーニングショー』を1979年12月で打ち切って、本番組のフルネットに切り替えた。なお、テレビ岩手は『2時のワイドショー』(読売テレビ製作)に関しては初回からネットしていたほか、1980年3月にANNを脱退、同年4月からNNSフルネット局になっている。
  8. ^ a b c 日本海テレビは1972年9月までの放送エリアは鳥取県のみ。鳥取・島根の電波相互乗り入れ後も山陰放送と2局同時放送していたテレビ朝日の『モーニングショー』を1989年9月で打ち切って、1989年10月より読売テレビと同一の編成に切り替えると同時に、同じく山陰放送と2局同時放送していた14:00から時差ネットしていたテレビ朝日系平日正午枠も同時に打ち切って『2時のワイドショー』(読売テレビ製作)のネットを開始した。なお、『モーニングショー』並びにテレビ朝日系平日正午枠は、1989年10月から山陰放送に放送局が一本化された。
  9. ^ ニュースコーナー担当者は全員『NNNニュースジパング』を兼務。
  10. ^ 後を受けている『レッツ!』→『ザ!情報ツウ』→『スッキリ!!』にも続投。
  11. ^ テレビ朝日系列とのクロスネットだった1991年9月までは『モーニングショー』の同時ネット並びに9:30から『金曜ワイドあおもり』を放送していたため未放送だった。なお、前身の「ミセス&ミセス」は、9時30分からの時差放送を実施していた。
  12. ^ (株)テレビ新潟放送網『写真でつづる テレビ新潟10年のあゆみ』(株)テレビ新潟放送網、1991年11月、29頁。 
  13. ^ 1991年4月1日 信濃毎日新聞 テレビ欄
  14. ^ 1988年頃に月曜日 - 木曜日のみ放送していた期間があった(『北國新聞』1988年4月4日 - 4月8日付朝刊、テレビ欄より)他、「ytv帯ドラマ」放送期間中に、日テレより1時間遅れとなる9:30 - 11:00に時差でフルネットしていた時期あり。
  15. ^ 1994年4月4日から『ザ・ワイド』を放送するための編成見直しで打ち切り。
  16. ^ 富山新聞 1994年4月1日付朝刊テレビ欄(28面)
  17. ^ テレビ朝日系列(サブ)とのクロスネット局でもあるが、テレビ朝日系列の一般番組供給部門には非加盟で、日本テレビの公式ウェブサイト上でも単独ネット扱い。
  18. ^ a b c 編成の見直しで打ち切り。
  19. ^ 昭和天皇の病状によっては日本テレビと同一の編成としていた。
  20. ^ 打ち切り後は本来の系列局の番組である『モーニングジャンボ奥さま8時半です』に切り替えた。
  21. ^ 『南日本新聞』1994年3月24日・25日付朝刊テレビ欄。
  22. ^ ただし、日本テレビでは第2作『花姉妹』のみ11:00 - 11:25に放送されていた。
  23. ^ a b 時期によって編成が異なっていた。最初は日本テレビと同一、次に読売テレビと同一、その次には日本テレビと同一に戻った。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルックルックこんにちは」の関連用語

ルックルックこんにちはのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルックルックこんにちはのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルックルックこんにちは (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS