ビートたけしのオールナイトニッポン 主な事件簿(略年表)

ビートたけしのオールナイトニッポン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 09:39 UTC 版)

主な事件簿(略年表)

1981年

  • 1月
    • 1月1日、「元旦やモチで押し出す2年グソ!」の第一声で番組開幕。木曜1部の前任者であったダディ竹千代がオープニングのみゲスト出演
  • 2月
    • 松鶴家千とせ生活保護事件、「伊丹幸雄コーナー」で松鶴家千とせ生活保護を受けていると冗談で言ったところ、真に受けた女性誌記者が本人に取材に行き騒動に
  • 3月
    • 幻の同時発射事件、スケジュールの都合で当番組が録音である事を、ロケ先で生放送していた『セイ!ヤング』に乱入して暴露した事件
  • 5月
    • 村田英雄が番組に登場
    • ホラッチョ宮崎が話題に、その他にもオッペン木村、チョンベ高橋、スタコラ小泉、アーモンドカランチョなどの面白い名前の芸人がいた
  • 6月
    • 初の番組本「三国一の幸せ者」発売、ベストセラーに
  • 7月
    • 初のビアガーデンをニッポン放送屋上で開催するも雨天だった
    • 社長表彰5万円事件
  • 8月
    • 聴取率記録樹立
    • 過労でたけしが倒れ、番組を初めて欠席。「ビートたけしのいないオールナイトニッポン」を放送。塚越孝、ビートきよし、片岡鶴太郎、山田邦子が出演した。

1982年

  • 2月
    • 札幌の女事件
    • 松尾憲造(現:松尾伴内)弟子入り、ニッポン放送入り口で挙動不審者と間違われる
  • 4月
    • 和田アキ子乱入&放送禁止語連発事件
  • 9月
    • ラロトンガ島ニセ生放送事件
  • 11月
    • 菊地マネージャー札幌カニばさみ事件、この頃から「ジキル菊地」として話題になり始める
    • 松岡さんのカニの店事件、高田文夫の友人で放送作家の松岡孝経営のカニの店のプレオープンイベントに行くが、冗談で食中毒を装ったところシャレにならない事態に
  • 12月

1983年

  • 1月
    • フィリピン自由恋愛事件、たけし・高田・景山の3人でフィリピン旅行。避妊具なしで自由恋愛に励む高田が「軍神・高田」と話題に
  • 2月
  • 3月
  • 5月
    • 映画『戦場のメリークリスマス』カンヌ落選、落胆の生放送
  • 6月
    • ポコチン露出事件、『タモリのANN』にゲストに行きポコチンを露出して騒動に
  • 8月
    • ジキル菊地209(ツー・ゼロ・キュー)事件
  • 9月
  • 12月
    • 松岡さんのカニの店より忘年会

1984年

  • 1月
    • ロケ企画で軍団がニッポン放送屋上から氷上タップを中継
    • 北野菊次郎の職業暴露事件、ペンキ屋の前は弓屋・ラオ屋などをやっており、叔父の右吉と共に泣き売をやろうとしていた事などが発覚
  • 2月
    • 暁のたけし倒れるウソ電話事件、たけしが病で倒れたというニセ情報で軍団を招集、反応を見た
    • フロッグマン初登場
  • 3月
    • TBSの桂さん」初登場
    • 新幹線で横井英樹(当時ホテルニュージャパン社長)に遭遇
  • 6月
    • この頃から「殿」の敬称を用い始める
    • カノックス久世さん」による『学問ノススメ25時間連続収録事件
  • 9月
    • 大学受験表明
  • 10月
    • 太田プロ社歌事件、以前から話題になっていた副社に因んで、ハガキ職人・小泉せつ子から「利権が絡めば私もカラむ、そこのけそこのけコルセットが通る!」との歌詞が送られ評判に
  • 12月
    • 28日の放送中、『オールナイトニッポン』の初代パーソナリティだった糸居五郎の死去を伝える一報が飛び込む。

1985年

  • 1月
    • 映画『夜叉』のロケで高倉健と出会う、高倉が田中邦衛と組んで漫才をやろうとした事などが話題に
  • 3月
    • 「悪魔の館」仮装パーティー事件、堀切ミロ主催の仮装パーティーで、軍団が股旅やクリの着ぐるみで来ようとして職務質問を受ける
  • 4月
    • 森谷初代ディレクターから鳥谷ディレクターに交代
    • ハガキ職人・道上ゆきえのニセ引退事件、すぐに復帰
  • 5月
    • チェック安原」初登場
  • 7月
    • ハガキのポイント制が始まる
  • 8月
  • 10月
    • 北の屋開店
  • 12月
    • 北の屋から忘年会中継、たけしが体調不良で途中ダウン

1986年

1987年

  • 3月
    • 3月26日、代理パーソナリティーに大竹まことが就任。大竹は「たけしさんの番組なら俺は代打でいい」と快く引き受ける。同年6月18日の放送でも来週からはがきを読まれたリスナーにオリジナルノベルティグッズプレゼントなど来週の告知をしていたが、6月25日以降は以下のようになったことで代理はこの6月18日が最後となり、最後のあいさつなども出来ないままピンチヒッターの役目を終えた[32]
  • 6月
    • 6月25日、『たけし軍団のANN』ラスト30分にたけし乱入。また、ディレクターも3代目の安岡に交代
  • 7月
  • 8月
    • 軽井沢おかまツアー開催、参加者全員がニッポン放送集合時からオカマの扮装だったため、バス移動の道中に周囲から奇異の目で見られる
  • 12月

1988年

1989年

  • 2月
    • 鬼瓦権造の名前で電話帳に名前を掲載していた男性に生電話事件
  • 3月
    • 跳び箱オリンピックの続編、逆上がりオリンピック開催
  • 4月
    • ウッチャンナンチャン自身のANN(金曜1部)を開始する前日、当番組でPRが放送された。事前に収録したもので、緊張の為か「たけしさんのオールナイトは2人ともファンでした、宜しくお願いします。」と笑いゼロの内容だった。
  • 7月
    • 内田裕也をゲストに迎えるが、たけしがドタキャン。怒り狂った裕也だったが最後には「たけちゃん、頼むから来てくれよ」とボヤいて去っていった。
  • 10月
    • 白いマンション強盗事件
  • 12月
    • 経営不振からお好み焼き店となった北の屋から忘年会中継

1990年

  • 2月
    • 日本アカデミー賞で「順番を守れ森繁」事件
  • 8月
    • たけしがカミさんの生理を暴露して一族から大顰蹙を買う
  • 9月
    • 9月6日伊集院光が名古屋のCBCラジオから代理出演。たけしが過労で声が出なくなったための起用。
    • 番組内で禁煙を試みるも挫折
  • 10月
    • この頃からドラマ『浮浪雲』撮影の為TBS緑山スタジオでの録音が多くなる
    • 10月26日爆笑問題が太田プロ独立後に代打で出演した。この時太田光が、番組の冒頭で「実はですね、たけしさんがとうとうですね、死んじゃいました」「フジテレビウッチャンナンチャンB21は嫌いです」などと発言し大問題に。後日談として、爆笑問題がニッポン放送社員全員に謝罪をした事、ニッポン放送を一時出入り禁止になった事、浅草キッドと一時仲が悪くなった事、そのまんま東が爆笑問題を絶賛した事が語られている。
  • 12月
    • 12月27日最終回、「まさか最後の最後まで欠席では?」との不安の声もある中で、たけしは予定通りスタジオ入りし周囲を安堵させた。初代ディレクターの森谷によると「赤絨毯でキャストを迎えるのは、フリオ・イグレシアス以来」との事だった

  1. ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、49頁。 
  2. ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、49-50頁。 
  3. ^ a b 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、50頁。 
  4. ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、50-51頁。 
  5. ^ a b c d 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、51頁。 
  6. ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、51-52頁。 
  7. ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、52頁。 
  8. ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、52-53頁。 
  9. ^ a b たけし、オールナイトニッポン参入の理由は“ほかの漫才師への不満”「ブームももう終わりだなと…」」『スポーツニッポン』、2019年9月17日。2019年9月18日閲覧。
  10. ^ a b c 柳澤健『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』集英社、2016年、319-321頁。ISBN 978-4-08-781610-5 
  11. ^ 1984年1月〜1985年10月は水曜未明にあたる火曜1部を担当している。
  12. ^ 実際の番組終了は1982年7月31日。
  13. ^ 1987年10月からは夜ワイド『巨匠・高田文夫のラジオで行こう!』、1989年4月からは昼ワイド『文夫と明子のラジオビバリー昼ズ』と兼務。
  14. ^ “堀切ミロさん死去/スタイリスト”. 四国新聞. (2003年9月2日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20030902000429 2019年10月25日閲覧。 
  15. ^ プロレスラージャンボ鶴田がデビュー当時に歌った『ローリング・ドリーマー』から。
  16. ^ 『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、pp.123。玉袋筋太郎インタビュー
  17. ^ 西条昇『トウキョウコメディアンの逆襲』光文社文庫、1998年、p.120
  18. ^ 『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、pp.46-47。水道橋博士インタビュー。
  19. ^ ナンシー関「文庫版あとがき」『ビートたけしのおもわず幸せになってしまいました』扶桑社文庫、2001年、pp.238-241
  20. ^ 「関直美/ナンシー関 <余談だらけの>年表」『ナンシー関大全』文藝春秋、2003年、p.234
  21. ^ 2000年5月1日東京新聞夕刊「俳優・コメディアン・構成作家「マルチ才能」売り出し中 宮藤官九郎さん」
  22. ^ 伊藤愛子『視聴率の戦士 テレビクリエイター伝説』ぴあ、2003年、p.115
  23. ^ さくらももこ『(漫画版)ひとりずもう』第3回。小学館、集英社。
  24. ^ 『ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、p.2
  25. ^ 西村賢太「東京者がたり 第11回 六本木」『小説現代』2013年2月号、p.204
  26. ^ 北野武『時効』ロッキング・オン、2003年、p.38
  27. ^ 小林信彦『笑学百科』新潮文庫、1985年、pp.22-30,314-317
  28. ^ 小林信彦「一九九〇年・<笑い>の十代ニュース」『コラムにご用心 エンタテインメント評判記 1989〜92』筑摩書房、1992年、p.117
  29. ^ a b c “たけしが漫才をやめた理由「あれが出なくなった時に…」”. スポーツニッポン. (2017年4月6日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/04/06/kiji/20170406s00041000469000c.html 2017年4月7日閲覧。 
  30. ^ a b c “たけし 漫才やめた理由「言葉が出なくなった」”. デイリースポーツ. (2017年4月6日). https://www.daily.co.jp/gossip/2017/04/06/0010072594.shtml 2017年4月7日閲覧。 
  31. ^ 北野武『余生』ロッキング・オン、2001年、p.176
  32. ^ 【1980年代ラジオ伝説】第十五回 「計算尽くの暴れん坊 大竹まことの濃くて短い、深夜放送時代」”. Nicheee! (2009年11月10日). 2020年10月9日閲覧。
  33. ^ ANN50周年記念で「ビートたけしのオールナイトニッポン」が一夜限りの復活!





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