ビートたけしのオールナイトニッポン
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主な事件簿(略年表)
1981年
- 1月
- 2月
- 3月
- 幻の同時発射事件、スケジュールの都合で当番組が録音である事を、ロケ先で生放送していた『セイ!ヤング』に乱入して暴露した事件
- 5月
- 村田英雄が番組に登場
- ホラッチョ宮崎が話題に、その他にもオッペン木村、チョンベ高橋、スタコラ小泉、アーモンドカランチョなどの面白い名前の芸人がいた
- 6月
- 初の番組本「三国一の幸せ者」発売、ベストセラーに
- 7月
- 初のビアガーデンをニッポン放送屋上で開催するも雨天だった
- 社長表彰5万円事件
- 8月
- 聴取率記録樹立
- 過労でたけしが倒れ、番組を初めて欠席。「ビートたけしのいないオールナイトニッポン」を放送。塚越孝、ビートきよし、片岡鶴太郎、山田邦子が出演した。
1982年
- 2月
- 札幌の女事件
- 松尾憲造(現:松尾伴内)弟子入り、ニッポン放送入り口で挙動不審者と間違われる
- 4月
- 和田アキ子乱入&放送禁止語連発事件
- 9月
- ラロトンガ島ニセ生放送事件
- 11月
- 菊地マネージャー札幌カニばさみ事件、この頃から「ジキル菊地」として話題になり始める
- 松岡さんのカニの店事件、高田文夫の友人で放送作家の松岡孝経営のカニの店のプレオープンイベントに行くが、冗談で食中毒を装ったところシャレにならない事態に
- 12月
- 小田和正がゲストに登場
1983年
- 1月
- 2月
- 3月
- 桑田佳祐がゲストに登場
- 5月
- 映画『戦場のメリークリスマス』カンヌ落選、落胆の生放送
- 6月
- ポコチン露出事件、『タモリのANN』にゲストに行きポコチンを露出して騒動に
- 8月
- ジキル菊地209(ツー・ゼロ・キュー)事件
- 9月
- 12月
- 松岡さんのカニの店より忘年会
1984年
- 1月
- 2月
- 暁のたけし倒れるウソ電話事件、たけしが病で倒れたというニセ情報で軍団を招集、反応を見た
- フロッグマン初登場
- 3月
- 「TBSの桂さん」初登場
- 新幹線で横井英樹(当時ホテルニュージャパン社長)に遭遇
- 6月
- この頃から「殿」の敬称を用い始める
- 「カノックス久世さん」による『学問ノススメ』25時間連続収録事件
- 9月
- 大学受験表明
- 10月
- 太田プロ社歌事件、以前から話題になっていた副社に因んで、ハガキ職人・小泉せつ子から「利権が絡めば私もカラむ、そこのけそこのけコルセットが通る!」との歌詞が送られ評判に
- 12月
- 28日の放送中、『オールナイトニッポン』の初代パーソナリティだった糸居五郎の死去を伝える一報が飛び込む。
1985年
- 1月
- 3月
- 「悪魔の館」仮装パーティー事件、堀切ミロ主催の仮装パーティーで、軍団が股旅やクリの着ぐるみで来ようとして職務質問を受ける
- 4月
- 森谷初代ディレクターから鳥谷ディレクターに交代
- ハガキ職人・道上ゆきえのニセ引退事件、すぐに復帰
- 5月
- 「チェック安原」初登場
- 7月
- ハガキのポイント制が始まる
- 8月
- 日航機墜落事故を受けて落胆しながら生放送
- 10月
- 北の屋開店
- 12月
- 北の屋から忘年会中継、たけしが体調不良で途中ダウン
1986年
- 1月
- 発売したばかりのアドベンチャーゲーム『ポートピア連続殺人事件』をスタジオに持ち込み、たけしがプレーする様子を延々実況。犯人をたけしが言い当ててしまった。
- 2月
- 3月
- 4月
- 5月
- 井手らっきょカラ出張事件
- ロールス・ロイスお騒がせ事件、ロールス・ロイスで銀座に買い物に行った際、当時来日していたダイアナ妃一行と勘違いされパニックに
- キドカラー大道・ノックバット殺人未遂事件裁判
- 8月
- 「TBSの桂さん」が『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』の功績で副部長昇格
- 12月
1987年
- 3月
- 6月
- 6月25日、『たけし軍団のANN』ラスト30分にたけし乱入。また、ディレクターも3代目の安岡に交代
- 7月
- 7月2日正式に復帰、ニッポン放送3階に待機する報道陣に自らお茶を振る舞う
- プロ野球オールスター戦のゲスト解説に出演、屋鋪要(当時大洋ホエールズ)から「もう出所されたんですか」と言われる
- 8月
- 軽井沢おかまツアー開催、参加者全員がニッポン放送集合時からオカマの扮装だったため、バス移動の道中に周囲から奇異の目で見られる
- 12月
- たけしプロレス軍団で両国国技館に乱入
1988年
- 1月
- 2月
- 俳優の芦田伸介と遭遇、「やっぱり鶏だ」と呟く姿が番組内で話題に
- 3月
- 8月
- 12月
- たけしの跳び箱オリンピック開催
1989年
- 2月
- 鬼瓦権造の名前で電話帳に名前を掲載していた男性に生電話事件
- 3月
- 跳び箱オリンピックの続編、逆上がりオリンピック開催
- 4月
- ウッチャンナンチャンが自身のANN(金曜1部)を開始する前日、当番組でPRが放送された。事前に収録したもので、緊張の為か「たけしさんのオールナイトは2人ともファンでした、宜しくお願いします。」と笑いゼロの内容だった。
- 7月
- 内田裕也をゲストに迎えるが、たけしがドタキャン。怒り狂った裕也だったが最後には「たけちゃん、頼むから来てくれよ」とボヤいて去っていった。
- 10月
- 白いマンション強盗事件
- 12月
- 経営不振からお好み焼き店となった北の屋から忘年会中継
1990年
- 2月
- 日本アカデミー賞で「順番を守れ森繁」事件
- 8月
- たけしがカミさんの生理を暴露して一族から大顰蹙を買う
- 9月
- 10月
- 12月
- 12月27日最終回、「まさか最後の最後まで欠席では?」との不安の声もある中で、たけしは予定通りスタジオ入りし周囲を安堵させた。初代ディレクターの森谷によると「赤絨毯でキャストを迎えるのは、フリオ・イグレシアス以来」との事だった
- ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、49頁。
- ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、49-50頁。
- ^ a b 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、50頁。
- ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、50-51頁。
- ^ a b c d 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、51頁。
- ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、51-52頁。
- ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、52頁。
- ^ 亀渕昭信『秘伝オールナイトニッポン 奇跡のオンエアはなぜ生まれたか』小学館、2023年、52-53頁。
- ^ a b 「たけし、オールナイトニッポン参入の理由は“ほかの漫才師への不満”「ブームももう終わりだなと…」」『スポーツニッポン』、2019年9月17日。2019年9月18日閲覧。
- ^ a b c 柳澤健『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』集英社、2016年、319-321頁。ISBN 978-4-08-781610-5。
- ^ 1984年1月〜1985年10月は水曜未明にあたる火曜1部を担当している。
- ^ 実際の番組終了は1982年7月31日。
- ^ 1987年10月からは夜ワイド『巨匠・高田文夫のラジオで行こう!』、1989年4月からは昼ワイド『文夫と明子のラジオビバリー昼ズ』と兼務。
- ^ “堀切ミロさん死去/スタイリスト”. 四国新聞. (2003年9月2日) 2019年10月25日閲覧。
- ^ プロレスラージャンボ鶴田がデビュー当時に歌った『ローリング・ドリーマー』から。
- ^ 『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、pp.123。玉袋筋太郎インタビュー
- ^ 西条昇『トウキョウコメディアンの逆襲』光文社文庫、1998年、p.120
- ^ 『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、pp.46-47。水道橋博士インタビュー。
- ^ ナンシー関「文庫版あとがき」『ビートたけしのおもわず幸せになってしまいました』扶桑社文庫、2001年、pp.238-241
- ^ 「関直美/ナンシー関 <余談だらけの>年表」『ナンシー関大全』文藝春秋、2003年、p.234
- ^ 2000年5月1日東京新聞夕刊「俳優・コメディアン・構成作家「マルチ才能」売り出し中 宮藤官九郎さん」
- ^ 伊藤愛子『視聴率の戦士 テレビクリエイター伝説』ぴあ、2003年、p.115
- ^ さくらももこ『(漫画版)ひとりずもう』第3回。小学館、集英社。
- ^ 『ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』太田出版、2008年、p.2
- ^ 西村賢太「東京者がたり 第11回 六本木」『小説現代』2013年2月号、p.204
- ^ 北野武『時効』ロッキング・オン、2003年、p.38
- ^ 小林信彦『笑学百科』新潮文庫、1985年、pp.22-30,314-317
- ^ 小林信彦「一九九〇年・<笑い>の十代ニュース」『コラムにご用心 エンタテインメント評判記 1989〜92』筑摩書房、1992年、p.117
- ^ a b c “たけしが漫才をやめた理由「あれが出なくなった時に…」”. スポーツニッポン. (2017年4月6日) 2017年4月7日閲覧。
- ^ a b c “たけし 漫才やめた理由「言葉が出なくなった」”. デイリースポーツ. (2017年4月6日) 2017年4月7日閲覧。
- ^ 北野武『余生』ロッキング・オン、2001年、p.176
- ^ “【1980年代ラジオ伝説】第十五回 「計算尽くの暴れん坊 大竹まことの濃くて短い、深夜放送時代」”. Nicheee! (2009年11月10日). 2020年10月9日閲覧。
- ^ ANN50周年記念で「ビートたけしのオールナイトニッポン」が一夜限りの復活!
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