パチスロ パチスロの概要

パチスロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 15:29 UTC 版)

ゲームセンターに並べられたパチスロ機

カジノで稼働するスロットマシンは、回転するリールが自動的に停止するのに対し、パチスロでは基本的には遊技者がストップボタンでリールを停止させる。これは、パチンコと同様に、遊技結果に対する遊技者による技術介入を求める法的要件を満たすためである[注釈 1]

当初のパチスロ機は、カジノ向けに生産されていた「アップライト型」のスロットマシンの筐体を流用していたが、既存の第7号営業店舗に導入する際の利便性のために、パチンコ台を設置する枠にそのまま設置できる筐体が開発された。

概要

スロットマシン『Tequila Sunrise』
Aristocrat社(オーストラリア)

パチスロは、スロットマシンをパチンコ台の空間に入るよう製造されたもの(ただし0号機の時代はその限りではなく、筐体はそのまま外国のスロットマシンと同じものだった)。そのため当初からパチンコを設置している店の一角にパチスロのコーナーが設けられていて、賞品との交換方法もパチンコの方式を準用しているところがほとんどである(同一事業者がパチンコ専門店、パチスロ専門店を隣接して法的には別店舗として営業を行っている場合もある)。

また、2012年以前はパチンコとパチスロの交換率が異なったり、極端な場合では同一店内のパチスロでも機種やコーナー、イベント内容によって交換率が異なるということも見受けられた。現在では一物一価の徹底が求められ、イベント自体も規制された影響もあり、パチスロコーナー間での交換率が異なるという営業はほぼ見られなくなっている。(徹底されていない地域では低貸しコーナーと20円貸しコーナーでの交換率に差がある場合もある)

遊技に使用するメダルの借り賃は1枚20円以下(消費税分は除く)と定められている[2]。2014年より以前の一般的な20円スロットの営業では1000円でメダル50枚を1単位として貸出を行う店が多かったが、消費税率の上昇に伴いメダル代への消費税転嫁が問題となったため、2014年4月に「貸玉料金に消費税相当分の上乗せを認める」旨の改正が行われており、以後は1000円でメダル47枚(21.27円/枚)や46枚(21.74円/枚)の貸出とする店が増えている。またパチンコ同様に、2000年代以降貸メダル料金を低く抑えるサービスが広まっており、当初は1枚あたり10円、低くても5円が主流であったが、現在では1〜2円/枚での貸出を行っている例もある。

パチンコとの遊技性の違いは、「ある程度の技術介入」要素が明確であり、出玉を左右しやすい点にある。つまり打ち手のレベルやテクニックによって目に見えて差が開きやすい。しかしながらシステムや遊技方法にある程度の理解が無いと遊技する上での楽しみや興奮が少なく、始めるにあたりハードルが高い、と思う者も多い。特にパチンコとの顕著な違いは「あらゆる役が当選しても、遊技者がその絵柄を決められた位置に止めないと払い出しを受けられない」という部分である(ただし本来は、パチンコでも、役が当選しても、開放した入賞口に玉を入れられなければ払い出しを受けられない部分は同じである)。そのため、ボーナスや小役は基本的に遊技者が止める必要がある。

4号機が発売されていた時期はパチンコのホールをパチスロ専用のホールとして改装する店が多くあった。これはパチスロの演出の変化により店内のBGMや放送及び照明がパチンコのものと両立しなくなってきたためである。もちろん当時のパチスロ人気の高騰も原因の一つだった。これはパチンコの出玉に関する規制が一時厳しくなったために、より爆発力の大きいパチスロに客が流れたことに原因があった。しかし5号機の時代に入りパチスロの出玉規制が強化されたため、一旦はパチスロブームが下火になったが、2010年頃からART機種の台頭により再度人気が盛り返しつつある。

このことからもわかるように、遊技者は大量のコインを短時間で獲得できるような仕様のパチスロ機を求め、設置するホールも客の求める機種を多く設置するため、メーカーもそのような機種を発売する。そのために常にギャンブル性(射幸性)の高さが問題となり、そのたびに当局より規制を受けることになる(後述参照)。

三重県では全国的にパチスロが普及した後も、公安委員会がパチスロの導入を認めないという理由でパチスロ台が1台も稼動していない状況が続いていたが、2000年にはパチスロの導入を認める方針に転換し、同年7月より三重県内でもパチスロが一斉に導入された。

2005年、これまでのメダルではなく、パチンコ玉にて遊技するパチスロ機(通称「パロット」)がSANKYOから登場。メダル3枚に相当するパチンコ玉15発が一回の遊技代となる。しかし、設置台数はほとんど増えず、パロットはほとんど見ることがなくなった。また、筐体の変化も様々で、床置きタイプの筐体なども少ないながら存在した(箱型以外のパチスロ機はホールには現存しない)。

パチンコにも共通する内容ではあるが、ホールから撤去されたパチスロ台を一般ユーザー向けに再販を行う市場が存在する。これらは一般的に家スロと呼ばれる物であり、個人のユーザーが過去に設置されていた台を収集して遊技を行ったり、インテリアとして設置が行われている場合がある。

進化と変遷

パチスロを遊技する人々
(東京都新宿区)

前史

1964年[注釈 2]、日本初の回胴式遊技機が風俗第7号営業の認可を受け、ホールに設置された。スロットマシン型のこの遊技機は、日本で同年に開催された東京オリンピックに因んで「オリンピア」と名づけられた[3]。ゲーム機メーカーのセガは、同業の太東貿易(現タイトー)と共同会社である「株式会社オリンピア」を設立、セガがかねてより製造していたスロットマシンを応用した製品の製造を担当し、販売営業を分け合った。なお、この会社は現在は存在せず、現存するパチンコ・パチスロメーカーの株式会社オリンピアとは関係がない。

オリンピアでは、1ゲームに投入できるメダルは1枚、絵柄の組み合わせの有効ラインは1つで、ボーナスゲームはなかったが、後続機種であるニュー・オリンピア以降は、特定の絵柄が揃うと、以降の7ゲームは、第1リールに特定の絵柄が出現するだけで10枚のメダルが払い出されるボーナスゲームが付加された。

以下、代表機種については検定審査通過順に記載する

0号機

オリンピアに始まる回胴式遊技機の人気はほどなくして下火となるが、1977年7月、マックス商事より「ジェミニ」が発売され、アメリカンパチンコ(アメパチ)と言う呼び名で再び台頭し始めた。

「ジェミニ」では、1ゲームに投入できるメダルは最大3枚、絵柄の組み合わせが有効となるラインは、メダル3枚を投入した場合、上段、中段、下段、右下がり、右上がりの5ラインとなった[1]

「ジェミニ」の筐体や主要部品には、米国のゲーミング機メーカーであるバリー社の製品が流用されており[4]、それらの部品は、同業者の組合を作って業界を成立させる目的から同業他社にも供給された[5]。そのため、当時のパチスロは、従来のパチンコ店の事情を考慮したサイズになっておらず、パチンコ店がパチスロを新規に導入する場合は、パチンコ台を設置する枠を撤去する必要がままあった。パチンコ台の枠に設置できるパチスロ筐体は、1980年のパチスロパルサー尚球社)あたりから確立[要出典]し始める。

この頃、すなわち1985年に施行された風適法以前に作られたパチスロ機は、後に0号機と呼ばれるようになる。基準など無かった時代なので、極端にスベリの有るものや、反対にスベリの少ないものがあり[要出典]目押しの出来るプレイヤーにとっては攻略の対象になった。リールもギアで動くものだった機種では、窓を押さえることでリールを止めることができたものもあった。

役は、ボーナスゲームと小役ゲームのみで構成され、一度ボーナスゲームが当たると次回のボーナスゲームが高率で当たるようになっていた。ただし、機種や絵柄によっては、単発で終わるボーナスゲームが存在したり、抽選などの要因により打ち止めに達する前に通常状態に戻る(パンク)場合もあった。また、連チャンの規制も無かったので荒い波を持った機種もあった。

当時の営業方法は定量制で、一定数のメダルを払い出すと「打ち止め」とされ、強制的に遊技を終了させるのが一般的であった。賞品との交換率も、10枚交換などというホールが珍しくなかった。メダルサンドもまだなく、紙で棒金状に包装した50枚のメダルをカウンターで1000円で貸し出していた。今でも高年齢の人が1000円を1本と呼ぶことがあるのはこのときの名残である。[要出典]また、メダル貸し出し単価や機械仕様が統一されておらず、都道府県ごとに異なるレートが適用されていたり、それに合わせて打ち止め枚数などの仕様が異なっていたりした。都道府県ごとに規制が異なったため、0号機では、同一機種でも隣の県では異なるゲーム内容となっていた。

1号機

1985年、パチスロに新風営法に基づいた全国統一認定基準が定められ、1号機が登場。現在のボーナスシステムと同等のゲーム性を搭載した。

1.5号機

不正改造対策により登場。Aタイプのみ存在。純増方式のみで、約360枚で打ち止めとなる。ボーナス終了時に打ち止めとなるのは0号機時代の名残である。

2号機

1988年に2号機が登場。ボーナスの抽選方法が完全確率方式に統一され、吸い込み方式などは全廃された。コインを50枚まで貯留できるクレジット機能が採用されて操作性が向上したうえに、シングルボーナスや集中役など新しい遊技機能が許可されたことにより、ゲーム性が従来と比較して格段に向上した。その一方で、1ゲーム4秒(3号機以降は4.1秒)の規制が加わり、スピーディなプレイが難しくなった。

3号機

1990年に3号機が登場。2号機のギャンブル性を抑えた仕様であり、人気のあった集中役に対する規制が強化された。しかしゲーム性が画一化されたことにより、結果的に基板の交換やRAMの書き換え(いわゆる「注射」)などによる違法な状態(裏モノ)での営業が蔓延し、一部の機種を除いてほとんどが裏モノ化される地域もあった。それへの対処として大規模な基板改修や再封印が行われた結果、パチスロ人気は急落した。また検定取り消しになった機種もあったが法的な拘束はなく、4号機から5号機への移行のように即時に撤去されることはなかった。末期にはCR機の試作機も作られたが、さまざまな障壁により、製品化は2006年に発売された『CSスロ原人』(アビリット)まで待つことになる。

  • 検定取り消し機種:コンチネンタル、ワイルドキャッツ、セブンボンバー(バルテック

4号機

1992年に4号機が登場。3号機よりもコイン持ちをよくするために、再遊技(リプレイ)が新たに搭載されるようになった。フラグ告知機能も許可されたが、当初はあまり活用されなかった。他にも、オートリセット機能(3号機まではビッグボーナス終了のたびに店員を呼んでリセットをしてもらう必要があった)の搭載、払い出しに関係のない絵柄(多くの機種における中・右リールのチェリーなど)も4号機から認められている。さらに、ビッグボーナスに「期待値方式」を採用し、獲得枚数が毎回変化するようになったことも特筆される。また、3号機までは1メーカーにつき2機種までしか販売が許可されなかったが、4号機からは何機種でも販売できるようになっている。ビッグボーナス中に3回のJACゲームが入賞可能なAタイプ、同じくJACゲームが2回ないし1回まで入賞可能なBタイプ、ビッグボーナスを搭載しない(レギュラーボーナスもしくは、後に登場するCTやATによって出玉を獲得する)Cタイプの区分が生まれた。

4.0号機

4号機の規定の盲点をついた「小役回収打法パチスロ情報誌の命名により、一般にDDT打法やKKK打法と呼ばれる)」「リプレイはずし」など、打ち手の技術介入度が高い機種が続々登場。「目押し全盛時代」と言われる。一方で、3号機の終焉と共に消滅したと思われた裏モノは、ギャンブル性を求めた客側と利益を上げたい店側の利益が合致し、『キングガルフ』『ビガー』『エイトマン』などが裏モノ化され、長期に渡って鉄火場を演出した。

1998年にチャレンジタイム(CT)が許可され、『ウルトラマン倶楽部3』(サミー)をはじめとしたCT機が流行。その一方で、『ジャグラー』(北電子)に代表される、リーチ目がわからなくても特定のランプが点灯すればボーナスが確定する完全告知マシンが高齢者や初心者を中心に人気を集める。

沖縄では沖スロと呼ばれる独自の機種が人気を集め、『トリプルクラウン』『シオサイ』『ハナハナ』などは、後期まで根強い人気を誇った。なお、沖スロは日本本土にも設置されたが、それらは裏モノに基板が交換されるものが多く、沖スロが完全告知であることでさらに興奮を煽っていた。

4.1号機

完全確率をベースとした規制を受け登場した4.0号機であったが、拡大解釈により大幅な変貌を遂げることになった。2001年に初のストック機ブラックジャック777』が登場。また、リール以外の手段を用いて演出を表示できる筐体が登場する。当初は簡易なドット絵やフラッシュが主流であったが、その後4thリールや液晶搭載機(『ゲゲゲの鬼太郎』で初搭載)の登場などで筐体そのものも大きな進化を遂げた。

その中で、最大711枚の出玉が獲得できる大量獲得機の登場やアシストタイム(AT)がブームになり、1日で数万枚(等価交換なら1万枚=20万円)以上という、異常なまでの出玉性能を持つ機種が登場するなど、射幸心を煽る流れは加速していった。過激化する一方の出玉性能が世間で問題視され始め、『灼熱牙王』(ロデオ)が発売中止になるなど公安委員会も動きを見せる中、2002年7月に日電協は規制を自主的に改定し、「適度な射幸性を超えるおそれがあると認められる遊技機」と判定した4.0号機の一部機種を4.1号機と呼称することとした。さらに2003年には同じく改定前の「著しく射幸性が高いと認められる遊技機」と判断された機種は検定を取り消され、撤去された。

4.5号機

前述の通り射幸心を抑えるために日電協は2002年7月自主規制を改定、これ以降に審査を通過した機種を4.5号機と呼称することとした。

それまで人気を博していたAT機は事実上、審査がほぼ通らなくなり、『スーパーリノ』で初搭載されたサイレントストック型のストック機がメインとなった。4号機におけるビッグボーナスの最大獲得枚数である711枚のビッグボーナスがストック機能によって連チャンする吉宗の登場以降、同様の大量獲得&連チャン機種が多数発売されるなど、長時間では及ばないものの短時間での出玉性能は4.1号機に負けない機種も多かった。

4.7号機

射幸心を抑えるために導入された4.5号機であったが、それでも十分ではないと判断され、2004年1月に規制を強化し、以降に審査を通過した機種を4.7号機と呼称することとした。

総じて4.5号機より出玉性能が抑えられているが、短期的な爆発力は登場当初の5号機と比べれば依然勝っていたため客のニーズは高く、多くの機種が検定期間満了まで設置された(全ての4号機が撤去されたのは2007年9月30日である)。また、パチンコ店からは撤去されたものの、人気の高かった4号機の多くは若干の改造を加えられるなどしてゲームセンターなどで新たにメダルゲーム機として転用された(いわゆる七号転用機)。

5号機

2005年登場。事実上、射幸性が高くなりすぎた4号機への規制を意図した要件改定のため、検定基準も厳しくなり出玉性能が大幅に制限された。

短時間での出玉制限やボーナスのストック機能が禁止されるなど出玉の波が穏やかになり、4号機時代のような大量獲得も不可能になったように思えたが、2006年5月発売の『ボンバーマンビクトリー』に初めて搭載され、その後流行したリプパンはずしや、ノーマルタイプに代わり主流となったART機種、AT機種など波の荒い機種が次々と開発され、4号機と比較して引きに左右されるほか獲得に時間はかかるものの、万枚、果ては2万枚クラスも獲得可能な機種も登場している。

6号機

2018年登場。5号機より検定基準が厳しくなり、短期~長期出玉率各項目の上限が抑えられ、出玉性能が更に制限された。

一方で、5号機にはなかった短期~中期の出玉率の下限も設定されたことから、吸い込み速度は幾分抑えられ[注釈 3]、その代わりとしてART/AT中の純増が3枚/毎ゲームという自主規制が撤廃、瞬間的な出玉速度は4号機のAT時代に並ぶ純増10枚という機種も実際に複数登場した。

6号機初期より、有利区間の制限や解釈変更などが繰り返されて非常に流動性が高い状況となっていたが、6.5号機が登場した2022年以降は出玉性能が評価されて、人気が確立された状況になりつつある。

スマスロ

2022年登場。遊技にメダルを使用しない「メダルレス機」であることが特徴だが、それ以外にも出玉性能などが6.5号機と比べても向上している。


注釈

  1. ^ 時間経過による自動停止が行われる場合は全てのボーナス及び小役の入賞が回避されるが、遊技者によって既にリールが一部停止されており小役の払い出しが確定している場合は回避されず入賞が成立する
  2. ^ 日本電動式遊技機工業協同組合公式サイトの「パチスロとは?」では、誕生を「1965年」としている。
  3. ^ しかしながら通常のゲーム性という意味では下限に抵触する事自体が困難であり、ゲーム性に大きな影響は与えていない
  4. ^ 等価交換禁止の理由の一つとして交換時の手数料を明確にするという意図があるが、三重県のように特殊景品の買い取り時に手数料が発生するという地域も存在する
  5. ^ 2022年現在でもイベントなどで営業時間前に入店を行うことがあるが、法的には開店時間以降の入店となっており遊戯開始時間をホール側が調整している
  6. ^ 4号機は無制限営業様に作られたスペックが多かった
  7. ^ 通称5スロや10スロと呼ばれている
  8. ^ 貸出枚数を下げた営業形式自体はイベントで下がる場合や常に低いレートでの貸出を行う店舗を含め4号機時代から存在していたが、全国的に広く普及した時期が5号機時代となる
  9. ^ 20円以外の低レートでの営業については4号機時代から存在していたが、あくまでもイベントや極めて一部店舗でありそれが全国的に広まったのが5号機時代となる
  10. ^ ドリスタ -ミントのヒロイン救出大作戦-』のミントボーナスでは、SIN成立で終了するため獲得枚数0という可能性がある。また、『島育ち』のレギュラーボーナスの払い出しは14枚と小役と同等で、さらに絵柄を揃えるまでに1ゲーム必要なので実質的な獲得枚数は11枚となる。

出典

  1. ^ a b 「月刊Amusement Japan別冊 PACHSLOT 2001」P.73
  2. ^ 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行規則・第三十六条 二-ロ(2)
  3. ^ 遊技機産業の歴史|会社概要|株式会社オリンピア”. オリンピア. 2016年4月10日閲覧。
  4. ^ 「月刊Amusement Japan別冊 PACHSLOT 2001」P.81
  5. ^ 「月刊Amusement Japan別冊 PACHSLOT 2001」P.82
  6. ^ 大阪府遊協、来店告知を全面禁止”. 2022年9月7日閲覧。
  7. ^ 帝国データバンク;パチンコ業界の倒産動向調査
  8. ^ 法律改正が痛手に パチスロ機の市場規模が半減 Business Media 誠 2009年8月19日
  9. ^ ■ パチスロ4号機を無承認で設置、役員逮捕
  10. ^ ■ 新宿・歌舞伎町でまたも「地下スロ」摘発■ 相次ぐ「地下スロ」摘発、今度は神戸で
    街から消えたはずのパチスロ「4号機」が……浮かぶ“闇の市場” Business Media 誠 2009年6月22日
  11. ^ ■ 「地下スロ」に暴力団が組織ぐるみで関与か
  12. ^ 店舗数、パチスロ設置台数が増加に転じる-全日遊連(遊技日本、2010年5月24日)
  13. ^ 全日遊連加盟店、1万1300店割れに(@グリーンべると、2012年5月2日)
  14. ^ かつてあった「韓国パチンコ」の実態とは… 「掛け持ち遊技」「店員のガン飛ばし」日本とは異なるダークな雰囲気に戦々恐々”. 2022年5月2日閲覧。
  15. ^ めんそーれ台湾(エマ)
  16. ^ イミソーレ台湾(エマ)





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