ディアトロフ峠事件 ディアトロフ峠事件の概要

ディアトロフ峠事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/14 11:14 UTC 版)

ディアトロフ峠事件の位置
ロシア・ディアトロフ峠の位置

ディアトロフ峠事件(ディアトロフとうげじけん)とは、1959年2月2日の夜、当時のソ連ウラル山脈北部でスノートレッキングをしていた男女9人が不可解な死を遂げたことで知られる事件である。事件は、ホラート・シャフイルKholat Syakhl山(Холат-Сяхылマンシ語で「死の山」の意[1])の東斜面で起こった。事件があった峠は一行のリーダーであったイーゴリ・ディアトロフ(ジャートロフ、ジャトロフ、Игорь Дятлов)の名前から、ディアトロフ峠(ジャートロフ峠、ジャトロフ峠、Перевал Дятлова)と呼ばれるようになった。

当時の調査では、一行はマイナス30度の極寒の中、テントを内側から引き裂いて裸足で外に飛び出したとされた。遺体には争った形跡はなかったが、2体に頭蓋骨骨折が見られ、別の2体は肋骨を損傷、1体はを失っていた[2]。 さらに何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の放射能が検出された。

事件は人里から隔絶した山奥で発生し、生還者も存在しないため未だに事件の全容について不明な点が残されている[3][4]。当時のソ連の捜査当局は“抗いがたい自然の力”によって9人が死に至ったとし[3]、事件後3年間にわたって、スキー客や探検家などが事件の発生した地域へ立ち入ることを禁じた[2]

事件発生まで

一行は男性8名女性2名からなり、スヴェルドロフスク州内のウラル山脈北部においてスキーでのトレッキングを計画していた。グループの多くはウラル科学技術学校(Уральский Политехнический Институт, УПИ)、現在のウラル工科大学の生徒か卒業生だった。メンバーは次の通りである。

  1. イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ(Игорь Алексеевич Дятлов)、一行のリーダー、1936年1月13日生まれ。
  2. ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ(Зинаида Алексеевна Колмогорова)、1937年1月12日生まれ。
  3. リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ(Людмила Александровна Дубинина)、1938年4月12日生まれ。
  4. アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ (Александр Сергеевич Колеватов)、1934年11月16日生まれ。
  5. ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン (Рустем Владимирович Слободин)、1936年1月11日生まれ。
  6. ユーリー(ゲオルギー)・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ(Юрий (Георгий) Алексеевич Кривонищенко)、1935年2月7日生まれ。
  7. ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ(Юрий Николаевич Дорошенко、1938年1月29日生まれ。
  8. ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ (Николай Владимирович Тибо-Бриньоль)、1935年7月5日生まれ。
  9. セミョーン(アレクサンドル)・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ (Семен (Александр) Александрович Золотарёв)、1921年2月2日生まれ。
  10. ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン(Юрий Ефимович Юдин)、1937年7月19日生まれ、2013年4月27日[5]

一行の最終目的地は事件発生現場から10キロメートル北のオトルテンロシア語版山に設定された。そこまでのルートは、事件当時の季節では踏破の難易度は極めて高いと推定されたが、一行の全員が長距離のスキー旅行や山岳遠征の経験を有しており、この探検計画に表立って反対するものはいなかった。

1月25日、スヴェルドロフスク州北部の中心地イヴデリ英語版に一行の乗った列車が到着した。彼らはトラックをチャーターしてさらに奥地に入り、イヴデリから約80km北方にある最後の有人集落ヴィジャイロシア語版に到着、そして1月27日いよいよヴィジャイからオトルテン山へ向け出発した。しかし翌日ユーリー・ユーディンが急病に侵され途中離脱、一行は9人になった。

ユーディンと別れて以降、生前の一行と遭遇した人間は現在に至るまで見つかっていない。ここから先の一行の行動は、最後のキャンプ地で発見された日記やカメラに撮影された写真などを材料に推定されたものである。1月31日、未開の原生林を北西方向に進んできた一行はついに山麓まで到達し、本格的な登山準備に入る一方で下山するまでに必要と考えられる食料や物資を取り分け、余剰となった分を帰路に備えて周囲に残置した。翌2月1日、一行はオトルテン山へ続く渓谷へと分け入った。適した場所で渓谷を北に越え、そこでキャンプを張ろうとしていたようだが、悪天候と吹雪視界の減少によって方向を見失い、西に道を逸れ、オトルテン山の南側にあるホラート・シャフイル山へ登り始めてしまった。彼らはやがて誤りに気づいたが、1.5キロメートル下って森林地帯に入って風雪を凌ごうとせず、何の遮蔽物もない山の斜面にキャンプを設営することにした[2]。たった一人の生存者であるユーリー・ユーディンは、「ディアトロフは既に登っていた地点から降りることを嫌ったか、この際山の斜面でのキャンプ経験を積むことに決めたのではないか」と述べている[2]

捜索と発見

ディアトロフは、一行がヴィジャイに戻り次第、速やかに彼のスポーツクラブ宛に電報を送ることになっていて、おそらく2月12日までには電報が送られてくるだろうと予想されていた。しかしディアトロフがユーディンに、もう少し遠征が長引くかもしれないと話していたこともあり、2月12日が過ぎて連絡がなかったにも関わらず、誰もこの事に特に反応しなかった。こうした遠征には、数日の遅れは付き物だったのである。2月20日になってようやく、一行の親族達の要請で、ウラル科学技術学校が、ボランティアの学生や教師からなる最初の救助隊を送った[2]。その後、警察が腰を上げ、救助活動はヘリコプターや航空機を投入した大規模なものとなった。

2月26日、捜索隊がホラート・シャフイル山で酷く損傷して放棄されたテントを発見した。テントを発見した学生、ミハイル・シャラヴィンは「テントは半分に引き裂かれ、雪に覆われていました。中には誰もおらず、荷物はテントに置き去りにされていました」と述べている[2]。調べによると、テントは内側から切り裂かれていた。8つないし9つの、靴下の足跡、片足だけ靴を履いた足跡、そして裸足の足跡が、近くの森(谷の反対側、1.5キロメートル北東)に向かって続いていたが、500メートル進んだところで、雪に覆われて見えなくなった。森のはずれで、捜索隊は大きなヒマラヤスギの下で、下着姿で靴を履いていないユーリー・クリヴォニシェンコと、ユーリー・ニコラエヴィチの遺体、そして焚き火の跡を発見した。木の枝が5メートルの高さまで折られていたことは、恐らく一行が木の上に登って、何か(おそらくキャンプ)を見ていたことを示していた。ヒマラヤスギとキャンプの間で、捜索隊は更にディアトロフ、ジナイダ・コルモゴロワ、そしてルステム・スロボディンの三人の遺体を発見した。遺体はそれぞれ木から300メートル、480メートル、630メートル離れた位置から別々に見つかり、その姿勢は彼らがテントに戻ろうとしていた状態で亡くなったことを示唆していた。

残り4人の遺体を探すのには、更に2ヶ月を要した。残りの遺体は、ヒマラヤスギの木から更に森に75メートル分け入った先にある渓谷の中で、4メートルの深さの雪の下から発見された。4人は他の遺体よりまともな服装をしており、これはどうやら最初に亡くなったメンバーが、自分たちの服を残りの者達に譲ったらしいことを示していた。ゾロタリョフはドゥビニナの人工毛皮のコートと帽子を被っており、同時にドゥビニナの足にはクリヴォニシェンコのウールのズボンの切れ端が巻かれていた。


  1. ^ 「死者の山」と解釈する人もいるが、野生動物の生息数が乏しく、この地域では狩りの獲物が見込めないところから来ている名前である。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n Svetlana Osadchuk (2008年2月19日). “Mysterious Deaths of 9 Skiers Still Unresolved”. セントピーターズバーグ・タイムズ (ロシア). http://www.sptimes.ru/story/25093 2008–02–28閲覧。 
  3. ^ a b c d Гущин Анатолий: Цена гостайны – девять жизней, изд-во "Уральский рабочий", Свердловск, 1990 (Gushchin Anatoly: The price of state secrets is nine lives, Izdatelstvo "Uralskyi Rabochyi", Sverdlovsk, 1990)[要高次出典]
  4. ^ a b Матвеева Анна: "Перевал Дятлова", "Урал" N12-2000, Екатеринбург (Matveyeva Anna: "Dyatlov pass", "Ural"#12-2000, Ekaterinburg) [1][要高次出典]
  5. ^ Дарья Кезина (2013年4月27日). Умер последний дятловец. Rossiyskaya Gazeta. http://www.rg.ru/2013/04/28/reg-urfo/yudin.html 2013年4月27日閲覧。 
  6. ^ “"Paradoxical undressing" in fatal hypothermia”. J. Forensic Sci. 24 (3): 543–53. (July 1979). PMID 541627. 
  7. ^ New Scientist (2007). “The word: Paradoxical undressing – being-human”. New Scientist. http://www.newscientist.com/channel/being-human/mg19426002.600-the-word-paradoxical-undressing.html 2008年6月18日閲覧。. 
  8. ^ Wedin B, Vanggaard L, Hirvonen J (July 1979). “"Paradoxical undressing" in fatal hypothermia”. J. Forensic Sci. 24 (3): 543–53. PMID 541627. 
  9. ^ Dunning, Brian. “Mystery at Dyatlov Pass”. Skeptoid. 2012年9月1日閲覧。
  10. ^ Schomberg, Jessie. “Hypothermia Prevention: Survival in Cold Water”. Minnesota Sea Grant. University of Minnesota. 2012年9月1日閲覧。
  11. ^ Dyatlov Pass – Some Answers”. Curious World. Curious Britannia Ltd.. 2012年9月1日閲覧。
  12. ^ Avalanches”. National Geographic. 2012年9月1日閲覧。
  13. ^ The mystery of "fireballs" resolved (ru)”. Alpklubspb.ru. 2012年11月16日閲覧。
  14. ^ Яровой Юрий: Высшей категории трудности, Средне-Уральское Кн. Изд-во, Свердловск, 1967 (Yarovoi, Yuri: Of the highest rank of complexity, Sredneuralskoye knizhnoye izdatelstvo, Sverdlovsk, 1967)[要高次出典]
  15. ^ Иванов Лев: "Тайна огненных шаров", "Ленинский путь", Кустанай, 22–24 ноября 1990 г. (Ivanov, Lev: "Enigma of the fire balls", Leninskyi Put, Kustanai, Nov 22–24 1990)[要高次出典]
  16. ^ Перевал Дятлова: форум по исследованию гибели тургруппы И. Дятлова”. Pereval1959.forum24.ru. 2012年12月27日閲覧。
  17. ^ Dyatlov Pass Incident, The”. A Company Filmed Entertainment. 2013年4月2日閲覧。
  18. ^ City of Exiles”. Publishers Weekly. 2013年2月閲覧。
  19. ^ The disappearence of the nine hikers. (in Greek) http://www.dete.gr/news.php?article_id=62198


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