クレディ・スイス
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沿革
※1988年のファースト・ボストン買収まで、クレディ・スイス史は左列、ファースト・ボストン史は右列。
- 1856年 - クレディ・スイスがチューリッヒで設立。
- 1869年 - チューリッヒ保険の原点、スイス運送保険会社の設立を主導した[12]。
- 1910年前後 - AEG・ドイツ銀行・ベルリン商事 (Berliner Handels-Gesellschaft) と合弁の電力事業銀行(Bank für elektrische Unternehmungen)を設立[13]。
- 1940年 - 初の国外支店をニューヨークに設置。
- 1944年 - バランスシートの1/3がスイス連邦債となる。
- 1967年 - スイスの貴金属精錬会社 (Valcambi) を買収。
- 1971年 - クリフォード・アーヴィング、エディス・アービング夫妻の訴訟事件をめぐり、マグロウヒル社の訴えにより裁判所より口座情報の開示を求められる[14]。
- 1977年 - クレディ・スイス銀行東京支店を設置。スイス国内ではイタリアのコモで国境を接するキアッソ (Chiasso) の支店で、店長エルンスト・クールマイヤーがイタリア人顧客と通じ、巨額の保証をつけリヒテンシュタインの金融専門会社テクソン(1861年創業)へ融資[注釈 2]。これをテクソンがイタリア系の企業群に転貸し焦げつかせた[15]。すぐにスイス国立銀行などが30億フランをベイルアウト。しかしかえって信用不安を煽りスイスフランは下落した。
- 1932年 - チェース銀行とファースト・ナショナル・バンク・オブ・ボストンがグラス・スティーガル法を適用され、投資部門のファースト・ボストン・コーポレーションを独立させた。本体はバンクボストンと称した。3年後にSCE (Southern California Edison) へ巨額融資。
- 1946年 - メロン・フィナンシャルの子会社メロン証券を吸収。承継した事業と顧客がファースト・ボストンにオファーをもたらした。世界銀行とイドロ・ケベック仲介の公債発行と、ガルフ・オイルの株引受である。
- 1959年 - ファースト・ボストン・コーポレーションが日本戦後初の外債を引受ける。
- 1970年 - ボストンのホワイト・ウェルド商会 (White Weld & Co.) と提携しユーロ債発行市場を牽引してきた結果、バルジ・ブラケットに数えられる。モルガン・グレンフェル (Morgan Grenfell)、クラインワート、パリバ、ソジェンなどと英仏海峡トンネルのコンソーシアムに参加[16]。
- 1978年 - ホワイト・ウェルドがメリルリンチに買収されてしまい、代わりにクレディ・スイスと提携するようになった。JPモルガンとともにユーロ債取引をリード。
- 1987年 - ブラックマンデー
- 1988年 - 米大手投資銀行ザ・ファースト・ボストン・コーポレーションを買収(#世界での事業)。ブラックロック創業。
- 1989年 - ジャンク債市場崩壊。マイケル・ミルケンが起訴される。
- 1990年以降 - 傘下においた米証券会社BEAアソシエーツと公式に提携。
- 1997年 - 200家族で有名なオタンゲル銀行のフランス事業を買収。バークレイズのBZW (Barclays de Zoete Wedd) 市場調査部門に参加したり、ヴィンタートゥール保険 (Winterthur Insurance) を95億ドルほどで買収したりした[17]。
- 1998年 - ロングターム・キャピタル・マネジメントの救済融資に参加。
- 1999年 - フリートバンクがバンクボストンを買収してフリート・ボストンとなる。クレディ・スイスは同年にウォーバーグ・ピンカス (Warburg Pincus) の投信部門を買収して、BEAと併せ自行の投信部門に統合した。
- 2000年 - ドナルドソン・ラフキン&ジェンレットを買収し、投信部門へ統合した。
- 2003年 - ヴィンタートゥール傘下のチャーチル保険 (Churchill Insurance) がロイヤル・バンク・オブ・スコットランドに売却された。ヴィンタートゥールのイタリア事業もユニポール (Unipol) へ売却。
- 2006年 - グループ内の銀行部門の完全統合により、新生クレディ・スイスが発足。グレンコアと提携。懸案のヴィンタートゥールをアクサへ売却した。イラン等の中東諸国と闇取引をした嫌疑について5億ドル強でアメリカ当局と和解。
- 2007年 - バンク・ロイを買収。同行バハマ支店は1980年代前半にドレクセル・バーナム・ランバートのデニス・レヴィーン (Dennis Levine) がインサイダー取引に利用していた。
- 2007年~2010年 - 連邦準備制度から2620億ドルのベイルアウトを受ける。
- 2013年 - 12月、ABNアムロ銀行の子会社ベスマンバンクにドイツのプライベート・バンキング事業を売却。
- 2014年 - 米国人顧客による所得税の脱税をほう助のために共謀した罪で略式起訴される[18]。
- 2015年 - HSBC 他多数の大金融機関と共に貴金属取引における価格カルテルの疑いで米司法省などに捜査される。ブロックチェーン開発コンソーシアムのR3CEV LLC を結成した。
- 2016年 - スイス銀行のサラジン (J. Safra Sarasin)) が、クレディ・スイスのモナコ支店とジブラルタル支店を買収[19]。
- 2017年 - 危険な住宅ローン証券を証券化・商品化および発行・流通させた責任で米司法省と和解し58億ドルの支払に同意[20]。
- 2021年3月上旬に、イギリスのグリーンシル・キャピタルと提携して運用するファンドを運用資産の価値が不透明になったとして閉鎖した。グリーンシルは経営破綻して同社へ融資が一部焦げ付いた。3月下旬に米投資会社アルケゴス・キャピタル・マネジメントの運用失敗で44億スイスフラン=時価約5200億円の損失が生じ、経営幹部が辞任した[21]。
- 2022年11月15日に、証券化商品と関連業務をアメリカのファンドであるアポロ・グローバル・マネジメントに売却した[22]。
- 2023年3月中旬に、財務報告で内部管理の問題が報道されたことで株価が31%下落[23]。同3月19日にUBSはクレディ・スイスを買収することで合意したと発表した[24]。
注釈
出典
- ^ “NEW YORK - Credit Suisse -Großaktionär Harris Associates hat seine Beteiligung an der schweizerischen Großbank fast verdoppelt.” (2022年8月10日). 2022年8月10日閲覧。
- ^ “Credit Suisse Pleads Guilty to Conspiracy to Aid and Assist U.S. Taxpayers in Filing False Returns”. Department of Justice (2014年5月19日). 2016年6月19日閲覧。
- ^ “Credit Suisse fined $2.6bn in US tax evasion case”. Switzerland News.Net. オリジナルの2014年5月21日時点におけるアーカイブ。 2014年5月20日閲覧。
- ^ “Media Release Zurich, April 22, 2021 : First quarter 2021 financial results”. Credit-suisse.com. 2022年1月17日閲覧。
- ^ “クレディS、東京の上級プライベートバンカー退社-20数人と共に移籍”. ブルームバーグ (2021年4月30日). 2023年3月20日閲覧。
- ^ “3分でわかる「クレディ・スイス問題」、これまでの経緯と影響について解説”. ロイター (2023年3月16日). 2023年3月20日閲覧。
- ^ “クレディ・スイス、中銀から7兆円余り借り入れへ ”. CNN (2023年3月16日). 2023年3月20日閲覧。
- ^ “UBS agrees $3.25bn rescue deal for rival Credit Suisse”. Financial Times. (2023年3月19日) 2023年3月19日閲覧。
- ^ “UBS Agrees to Buy Credit Suisse for More Than $3 Billion”. The Wall Street Journal. (2023年4月19日) 2023年3月19日閲覧。
- ^ 寺西和男 (2023年6月12日). “UBS、クレディの買収完了 「AT1債」の損失、日本から返還請求”. 朝日新聞. 2023年6月13日閲覧。
- ^ "Zurich Insurance Group Ltd.", International Directory of Company Histories, Vol.189.
- ^ Handbook on the History of European Banks, Edward Elgar, 1994, p.1090.
- ^ ロバート・キンズマン 佐藤隆夫訳 『スイス銀行のすべて』 日本経済新聞社 P18-22
- ^ C・ビュッヘンバッハ 織田正雄/倉田勝弘訳 『スイス銀行の秘密』 東洋経済新報社 1979年 クレディ・スイス、キアッソ事件
- ^ Lord Harcourt-J. Barber (MT), 15 July 1970, enclosing letter to Minister of Transport, n.d., and subsequent documentation, MT144/159. PRO.
- ^ "Credit Suisse Group History", International Directory of Company Histories, Vol.59. St. James Press, 2004.
- ^ ブルームバーグ クレディS、顧客の脱税ほう助で有罪認定-26億ドル支払いへ 2014/05/20 10:24 JST
- ^ J. Safra Sarasin, J. Safra Sarasin Group signs agreement to acquire Credit Suisse (Monaco) S.A.M. and Credit Suisse (Gibraltar) Ltd. 22.03.2016
- ^ Department of Justice, "Credit Suisse Agrees to Pay $5.28 Billion in Connection with its Sale of Residential Mortgage-Backed Securities", Wednesday, January 18, 2017
- ^ https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR068940W1A400C2000000/
- ^ 「クレディ・スイス、証券化商品業務の大半をアポロに売却へ」『Reuters』、2022年11月15日。2022年11月15日閲覧。
- ^ “世界株安、クレディ・スイス危機が国境越えて飛び火-銀行不安が再燃”. bloomberg.co.jp. ブルームバーグ. (2023年3月15日) 2023年3月20日閲覧。
- ^ 板東和正 (2023年3月20日). “UBS、クレディ・スイス買収合意 世界的な金融危機防止に期待”. 産経新聞. 2023年3月20日閲覧。
- ^ “金融機関経営 スイス・ドイツ金融グループの投資銀行業務の展開”. 2013年7月29日閲覧。
- ^ “クレディ・スイス HSBCの日本におけるプライベート・バンキング事業を買収” (PDF). クレディ・スイスAG (2011年12月21日). 2014年2月20日閲覧。 “クレディ・スイス HSBCの日本におけるプライベート・バンキング事業の買収を完了” (PDF). クレディ・スイスAG (2012年6月11日). 2014年2月20日閲覧。 ともにリンク切れ
- ^ “クレディ・スイスめぐる内偵スキャンダル”. スイス放送協会. (2019年9月27日) 2023年3月16日閲覧。
- ^ a b “今度は元取締役員 クレディ・スイスに別の内偵スキャンダル”. スイス放送協会. (2019年12月23日) 2023年3月16日閲覧。
- ^ “クレディ・スイス、ティアムCEOが辞任 内偵問題で混乱”. Reuters. (2020年2月7日) 2023年3月16日閲覧。
- ^ “クレディ・スイス・グループ等に対する行政処分に関連する検査結果について”. 金融監督庁. (1999年7月29日) 2014年2月20日閲覧。
- ^ 山一証券社内調査報告書第Ⅰ部第Ⅲ章 および 日経新聞 『日本が震えた日』 1998年
- ^ “クレディ・スイス信託銀行株式会社に対する行政処分について”. 金融庁. (2005年4月8日) 2014年2月20日閲覧。
- ^ 四国新聞 五菱会のヤミ金融事件判決要旨 2006/03/22 12:31
- ^ https://www.fsa.go.jp/news/27/syouken/20160425-1.html
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