キートン山田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 05:44 UTC 版)
きーとん やまだ キートン 山田 | |
---|---|
プロフィール | |
本名 |
山田 俊司[1][2] (やまだ しゅんじ)[3][4][5] |
性別 | 男性 |
出生地 | 日本・北海道空知郡北村(現・岩見沢市)[5] |
出身地 | 日本・北海道勇払郡穂別町(現・むかわ町)[5]、三笠市[6] |
生年月日 | 1945年10月25日(78歳) |
血液型 | A型[7] |
職業 | 声優、俳優、ナレーター[8] |
事務所 | リマックス(最終所属)[9] |
配偶者 | あり |
公式サイト | キートン山田|+-- REMAX --+(アーカイブ) |
公称サイズ(時期不明)[7] | |
身長 / 体重 | 176 cm / ― kg |
スリーサイズ | 95 - 82 - 89 cm |
靴のサイズ | 26.5 cm |
声優活動 | |
活動期間 | 1970年代 - 2021年 |
ジャンル | アニメ、吹き替え、ナレーション、CM |
デビュー作 | タイガーマスク[要出典] |
俳優活動 | |
ジャンル | テレビドラマ、舞台 |
北海道出身。本名および旧芸名は山田 俊司(やまだ しゅんじ)[1][3][4]。最終所属はリマックス[9]。
経歴
声優・俳優になるまで
1945年、北海道空知郡北村(現在の岩見沢市)で誕生し、4歳で養子になり勇払郡穂別町(現在のむかわ町)へ引っ越す[5]。一時生家に戻った後、中学3年生で三笠市に移住[5][6]。
1963年に北海道三笠高等学校卒業[12]後、就職のため上京、建設会社に就職しサラリーマン生活を始める[13][14]。しかし、「一生この会社にいるのかな?」と思い、「ほかに何か自分に向いている道があるのでは」と半年くらい考えていたという[13][14]。同時に「劇団員募集」の広告を見つけて、憧れだった俳優も目指して日本児童芸能学園を経て[4]、劇団日本児童[15][16]に入る[13][14]。子供の頃に映画を観て「面白いな」と思っていたことはあったが、「役者になるんだ」という強い意志は持っていなかったという[14]。もしそこで入団オーディションに落選していたら、断念していたと語っている[14]。
サラリーマンと俳優の掛け持ちを4年間続けた後、22歳くらいの時に退職して役者に専念するようになる[13][14]。それまで昼間は会社、夜は劇団という生活を続けてきたという[14]。しかし劇団の公演があると夜だけの活動というわけにはいけず、その時は会社を休んだり、誰かに仕事を代わってもらったりしていたという[14]。そういうことも次第にしづらくなっていたため、思い切って退職したという[14]。親にはものすごく猛反対され、黙って会社を退職しまっていたため、僕を連れ戻すために伯父が上京してきたくらいだったという[14]。しかし辞める気はなく、夢に破れて地元に帰って「ほら見たことか」と言われるのが悔しく、「とにかく一人前の役者になろう」と余計にのめり込んでいたという[14]。
キャリア
アルバイトをしながら役者生活をしていた中、アルバイト先のスナックの店主と知り合いで常連だった柴田秀勝から「声専門のプロダクションができるから」と紹介され、創立したばかりの青二プロダクションに預かりで所属となった[13][14]。所属事務所はその後、ぷろだくしょんバオバブ[17]→賢プロダクション[3]→リマックスと変遷。バオバブ所属者の劇団であるすごろくにも所属していた[18]。第二次アニメブームの昭和50年代(1970年代後半から1980年代前半)には声優業が中心になり、一番ファンの人に知られたのは『ゲッターロボ』の神隼人の役だと雑誌のインタビューで答えている[4]。その後、青二プロダクションを退所し[2]、アニメブームの終息と共に声優の仕事もなくなり、妻からも転職を促され[19]、安全なサラリーマン生活に戻ろうかとも考えたこともあった[20]。生活のために日雇いのバイトや封筒貼りの内職などをしたが、それでも3人の子供を養いながらローン返済をすることは難しかったため、事務所や親族から借金をしていた[21]。また、電車賃を浮かすために当時住んでいた千葉県松戸市からスタジオのある浅草まで、徒歩で移動していたこともあった[22][20]。「カラオケの司会の仕事が一番つらかった。食べていくためには何でもやった。勉強になり無駄になってない」と辛かった当時のことを回想している[20]。
デビューから10数年間は本名の山田俊司で出演していたが、声優の仕事がほぼなくなっていた時期に1時間番組のナレーションの仕事を受けた際に、「本格的なナレーションの経験はないが、ありのままの自分で仕事に臨む」という思いのもと[21]、改名を決意[2]。当初はプロダクションから「仕事に影響する」との理由で反対を受けたが、アルバイトや内職を全て辞め背水の陣を敷き裸一貫出直す覚悟[22]で1983年に[19][10]芸名を「キートン山田」に改名。芸名の由来は、当時読んだ本の影響で喜劇役者のバスター・キートンに肖ったもの[22]。その一方で、学生のころに「聞いとんのか、山田!」と先生から何度も注意されたのが印象的で、「聞いとんのか山田」を縮めてこの芸名にしたとも語っている[23]。名前からは、「誰も二枚目風の演技を想像しない」と思うことも狙いだったと述べている[2]。本人いわく、ナレーターの道を歩み始めたのはこの時から[21]。
1990年には、『ちびまる子ちゃん』のナレーションを担当。当初は番宣だけで、本編は別のナレーターが担当する予定だった[24]。しかし、原作者のさくらももこは、ナレーターのキャスティングには納得がいっておらず選考は難航していた。そんな中、山田が番宣を吹き込んだテープが当時ニューヨークにいたさくらの元に送られ、「この声としゃべりが欲しかった」ということで本編も担当することになった[22]。本作でのナレーションが「キートン節」[22]と呼ばれ代名詞となり、代表作[21]に数えられるようになる。
声優活動の傍ら、1995年に創設した自らの劇団「劇団ふりぃすたいる」も主宰した。きっかけは、自身が講師を務める声優養成所で在校期間2年で卒業する生徒たちが、どこにも所属することができず、過去の自分の経験もあって何とかしたいという気持ちが膨らみ、生徒たちの中から団員を募り結成された[25]。ふりぃすたいるは創立20周年記念公演を終えた2015年5月をもって解散し、同年7月3日にマンモス八木と2人で「きぃとん劇場」を創立した[26]。
若いころから「できれば東京に住みたくない」という気持ちが強く、1999年には静岡県伊東市に家を構えて生活しており、仕事の度に東京などへ出かけている[10][27]。
芸能活動以外にも、株式会社ペルソンが依頼代理となって講演活動も行っていた[10]。
引退まで
2020年12月5日、2021年3月末日をもって声優業から引退することを発表[29]。同時に、『ちびまる子ちゃん』のナレーションも本人の申し出から2021年3月28日放送回で降板した。放送開始から31年だが、1992年9月から2年半は番組自体を中断していたので、担当期間は28年半である[30]。なお、同作品で共演するさくらももこ(まる子)役のTARAKOは発表される前から引退することを本人から聞いていたとTwitterにて明かしている[31]。『ちびまる子ちゃん』の降板については「75歳で『ちびまる子ちゃん』を卒業すると心の中で決めていた」と語っている[32]。また、ナレーションを担当していた番組のうち、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』は2020年12月26日放送回をもって[33]、『ポツンと一軒家』も2021年3月28日放送回をもってそれぞれ降板した[34]。
人物・エピソード
元々主人公を周囲で支える脇役の演技に引かれていたという[2]。二枚目役が来たら引き受けていたが、演じても「性に合わないな」と思っていたという[2]。
『超電磁ロボ コン・バトラーV』の浪花十三役など、クールでニヒルな感じの役を演じることも多かったが、自分では少しわからなかったという[11]。ただし、クールな役を演じるのは、自分でも気に入っていた[11]。普段はあんな話し方はしないことから、映画を見たりして、「クールな男はどういうふうにしゃべるか」と研究したりしていたという[11]。
クールな悪役、アウトローの役など自分にないものをもっている役のほうが、演じて面白いという[2]。自分にはもっていないものを想像し、その役の魅力を自分らしく表現するというところに惹かれているという[2]。脇役のほうが、そういった表現したいものを出せる余地が多いため、演じていて楽しいと感じることが多いという[2]。
ナレーションを務めることが多く、特にアニメだけではどんどん新人に役を取られ、いずれ干されることを懸念し、ナレーションもできる声優に絶対になることを望んでいた。それに伴い、「自分らしいナレーション」を確立させるべく、旅番組の中で落語を採り入れる。
初めてのレギュラーアニメ『一休さん』の上様こと将軍足利義満は、約7年かなり自由奔放に演じられた作品で、様々なアドリブにも挑戦できたという。「『一休さん』のおかげで、少しだけアニメの仕事に自信が持てた」とも語っている[36]。また将軍様の笑い声は、当初台本では「あっはっはっは……」と記述されていたが、外見や高貴な身分から不相応であったため、山田が「のっほっほっほっ…!」に差し替えた(中盤からは「のほほほほほ…」で概ね定着した)。
自身にとって転機となったのは『ちびまる子ちゃん』のナレーションだと述べている。キートン山田に改名してからは、自分らしい表現に試行錯誤していたが、その1つがナレーションだと語っている。できるだけ作らず自分らしくナレーションをしたらどうなるだろうとずっと考えたと言う。やはりどこかに無理をかけて作ったものは長続きできない、またそれまで色々な仕事を受けていたが、キートン山田として、ピッタリの仕事、代表作になるような仕事があるはずだと思っていたという。『ちびまる子ちゃん』の仕事が来た時「これだ」と感じ、決して無理をせず、しかし思いを込めたナレーションをするという望んでいた形の仕事ができたと述べている[37]。『ちびまる子ちゃん』での台詞「後半へつづく」はCMに入る際にちょっとした間があったので、第25話「まるちゃん学校でお腹が痛くなる」の巻でアドリブで入れたところ、スタッフ・キャスト・作者に思いのほか受けて採用された[24][22]。同作品では、基本的に演者のアドリブが認められていないため珍しいケースだが、場面切り替え時に「翌日」と入れたりイントネーションを工夫したりするなどしている[21]。また、『ちびまる子ちゃん』ではナレーションだけではなく、本人役として登場したことが何度かある[38]。
2006年10月、自分が講師を務めていた声優学校の学生として知り合った、当時29歳のストリートミュージシャンをしていた女性と再婚した[39]。32歳差の年の差婚である。
趣味はマラソン。59歳の時にホノルルマラソンに初参加[27]し、以降も5回参加・完走しており、他のマラソン大会にも多数出場している[40][10]。
関東周辺に住む北海道三笠市出身者の集まり「東京三笠会」の会員である。「東京三笠会」が母体となり、三笠の文化・芸術・スポーツの振興を図るための活動を行う団体「ふるさと楽校」の代表代行を務めている[6][41]。
注釈
シリーズ一覧
出典
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- 1 キートン山田とは
- 2 キートン山田の概要
- 3 後任
- 4 脚注
固有名詞の分類
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