くち‐づて【口▽伝】
く‐でん【口伝】
くでん 【口伝】
口伝
口伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 20:47 UTC 版)
活法 元々は11の型からなる体系であったが、ロバート・レイシュによって35まで拡大された。
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口伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 15:39 UTC 版)
カヤカベ教では一切文書を用いず、口伝で経文や由来を伝えている。 口伝の一つ「オツタエ」によれば、その始祖は薩摩伊集院生まれの宮原真宅(みやはらしんたく)という人物であるという。宮原は元は山伏で神道にも通じていたが、京都の本願寺へ入り、22年間修行し、「宗教坊(すうきょうぼう)」という名前を与えられた。修行を終えた宗教坊は本願寺から経典を持って薩摩に帰り、地下で浄土真宗の教えを布教していたが、密告されて捕らえられ、処刑された。 その弟子の中から「親元」と呼ばれる教祖が選ばれ、代々隠れ念仏の教えが伝えられた。宗教坊から数えて10代目の親元が吉永親幸(市蔵)という人物で、以後、親元は世襲制に変わる。親幸は厳しい弾圧から逃れるために、京都の本山(本願寺)とのつながりを絶ち、浄土真宗の教えに、地元に伝わる霧島山岳信仰を取り入れ、現在のカヤカベの基礎を作ったという。 口伝には「オツタエ」のほか浄土真宗の正信偈、和讃、領解文などがそろっているが語句が誤って伝わったりしているという。
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口伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 20:04 UTC 版)
「ガリシア・ポルトガル語」の記事における「口伝」の解説
ガリシア・ポルトガル語地区には有史以前に遡る共通の民間伝承がある。ガリシア・ポルトガル語がレコンキスタで南に拡大したことで、この古代の共通民間伝承は、強まった。2005年、ポルトガル政府とスペイン政府は、共同でガリシア・ポルトガルの口伝が人類の無形文化財登録に登録されるよう申し入れた。共通の文化を記録し後世に伝える作業が、数大学などの機関により行われている。 ガリシア・ポルトガルの民間伝承は、口伝が豊富である。ここにはcantigas ao desafioやregueifas、即興曲の掛け合い、多くの伝説、物語、詩、英雄譚、民謡、諺やなぞなぞ、今も辞書や音声上、形態論的、統語論的な同一性がある話し方がある。 共通の口伝遺産に含まれるものは、古代の舞踊や伝承とともにマゴストやエントロイド)、聖体の祝日のような宗教上の祝典である守護聖人や行進の市場やお祭りでもあり(ドラゴンの姿をしたクコがゲオルギオスと戦う場所のように)、伝統的な衣服や装飾品、技能、工具、野菜を象った提灯、迷信、動植物に関する伝統的な知識もある。こうしたものは全て伝統的な生活様式が現代の生活に取って代わることで消滅の危機に瀕しているとみなされる共通の文化遺産であり、漁師の隠語、伝統的な技能における工具の名前、祝賀の形式がゆっくりと忘れ去られる口伝である。 ガリシア・ポルトガル語の「baixo -limiao」は、数個の村で話されている。ガリシアではエントリーモとロビオスで話され、ポルトガル北部ではテラス・デ・ボウロ(ブリの土地)やカストロ・ラボレイロで話されている。
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口伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 15:21 UTC 版)
祖父常吉は晩年、一人前となった父楢光と常一に西岡家に代々伝わる口伝を教えた。これは一度しか口移しで教えることができない秘中の教えで、一つずつその意味となる要点を教え、十日後に質問して一語一句違わず意味を理解するまで次に進まなかった。 内容神仏を崇めず仏法を賛仰せずして伽藍社頭を口にすべからず。 伽藍造営には四神相應の地を選べ。 堂塔の建立には木を買はず山を買へ。 木は生育の方位のままに使へ。 堂塔の木組は木の癖組。 木の癖組は工人たちの心組。 工人等の心根は匠長が工人への思やり。 百工あれば百念あり。一つに統ぶるが匠長が裁量也。 百論一つに止まるを正とや云う也。 一つに止めるの器量なきは謹み惧れ匠長の座を去れ。 諸々の技法は一日にして成らず。祖神の徳恵也。 西岡の述懐「法隆寺の棟梁がずっと受け継いできたもんです。文字にして伝えるんではなく、口伝です。文字に書かしませんのや。百人の大工の中から、この人こそ棟梁になれる人、腕前といい、人柄といい、この人こそが棟梁の資格があるという人にだけ、口を持って伝えます。(丸暗記してしまうと)それではちっともわかってない。…そういうのはいかんちゅうので、本当にこの人こそという人にだけ、口を持って伝える。これが口伝や。…どんな難しいもんやろかと思っていましたが、あほみたいなもんや。何でもない当然のことやね」 のち、明仁上皇(当時皇太子)に「口伝」について御進講したとき、いつのころから伝わるかとお尋ねがあり、返事に困った西岡は先祖から代代伝わってきたので「年代はわかりまへん。」と奉答するのがやっとであった。
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