統語論
統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 02:25 UTC 版)
統語的な特徴は、動詞が他の要素より先に来る語順や2種類の格の存在、また主要部標示型である点である。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 06:19 UTC 版)
古英語の文法は概ね現代英語に似ているが、いくつかの重要な違いがある。例えば名詞、動詞が活用するため語順はより自由であった。またそれ以外にも基本的な語順や否定、疑問、関係節、従属節の構成にも差異が存在する。 通常の語順はV2語順であり、現代英語よりも現代ドイツ語に近い。 疑問や否定に助動詞"do"を用いない。 文章中に複数の否定語を用いて否定の意を強調した。 現代英語における"When X, Y"のような従属節は wh-で始まる語を用いず、th-で始まる語を用いる。(例えば "When X, Y"はþā X, þā Y)
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 01:25 UTC 版)
ハンティ語はマンシ語と同じく、基本的には主格対格型言語であるが、 能格言語的な特徴を有している。他動詞の目的語を表す格と、自動詞の主語を表す格が同じ指標で表され、他動詞の主語は処格(具格)が使用されるのである。このような名詞変化は、「与える」などのいくつかの特定の動詞のある文で現れる。例えば「私はあなたに魚を与える」という文は、ハンティ語では「私によって(他動詞の主語/具格)・魚を(目的語/対格)・与える(他動詞)・あなたに(間接目的語/与格)」という構造になる。しかし、このような能格言語的な特徴は、常に形態素(格変化を表す指標)により表され、統語論的なものではない。加えて、このような文は受動態でも表すことができる。例えば、マンシ語で「犬が(他動詞の主語/具格)・あなたを(目的語)・噛んだ(他動詞)」という文は、「あなたは(目的語/対格)・噛まれた(受動態)・犬によって(他動詞の行為者/具格)」とすることもできるのである(どちらの文でも名詞の格は同じ)。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 19:23 UTC 版)
ツォツィル語の基本語順はVOS型(動詞-目的語-主語)である。主語や直接目的語は格としては表されない。述語は主語や直接目的語と共に人称や、数にも一致する。強調されない人称代名詞は常に省かれる。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/18 09:24 UTC 版)
自己認識論理の統語論は、命題論理に知識を表す様相作用素 ◻ {\displaystyle \Box } を追加したものである。 F {\displaystyle F} を論理式としたとき ◻ F {\displaystyle \Box F} は F {\displaystyle F} が既知であることを意味する。したがって ◻ ¬ F {\displaystyle \Box \neg F} は ¬ F {\displaystyle \neg F} が既知であることを意味し、 ¬ ◻ F {\displaystyle \neg \Box F} は F {\displaystyle F} を知らないことを意味する。 この統語論により、事実に関する知識に基づく推論が可能となる。例えば、 ¬ ◻ F → ¬ F {\displaystyle \neg \Box F\rightarrow \neg F} は、 F {\displaystyle F} が真であることが未知ならば、それを偽とみなすことを意味する。これは失敗による否定に他ならない。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:48 UTC 版)
動詞末尾型言語である。文中における名詞句の役割は格助詞により示される。主語と目的語の相対的有生性に従って目的語の格標示が決まる。他の東南アジア大陸部諸語同様、動詞連続を発達させている。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 06:07 UTC 版)
統語論について記述すると、日本語では、存在表現で主語が人間・動物などの場合「いる」、それ以外の場合「ある」というのも相補分布である。 また動詞を可能表現にする場合に、動詞の種類によって別の様式が分布し、五段活用動詞には可能動詞を、その他多くの動詞には可能の助動詞を接続した形を、「する」に対しては「できる」(補充形)を用いるが、これは形態統語論的な相補分布と言える。 動詞については、後に「せ~させ(る)」「れ~られ(る)」「な(い)」等が付く場合は未然形が現れ、後に「(ゼロ)」「ます」「て~で」「た~だ」等が付く場合は連用形が現れる。さらに、後に「(ゼロ)」「ます」等が付く場合は連用形の原形が現れ、後に「て~で」「た~だ」等が付く場合は音便形に由来する連用形が現れる。また、中古日本語の活用語については、名詞を修飾する場合と、左方(上方)に係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」もしくは疑問詞がある場合は連体形が現れ、後に「ば」「ど・ども」が付く場合と、左方に係助詞「こそ」がある場合は已然形が現れ、それらの条件がなく叙述する場合は終止形が現れる。未然形~連用形、中古語の終止形~連体形~已然形は、統語的な相補分布の関係にある。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 04:07 UTC 版)
もっとも普通の語順はSOV型であるが、動詞を強調するために前に出すことができる。 文の最初に来る要素(文を結ぶ接続詞などを含む)の後ろに、1つから6つまでの接語を加えることができる。したがって接語は文の2番目に置かれる(ヴァッカーナーゲルの法則)。接語には「そして、しかし」などの接続的な意味、「という」などの引用、代名詞の接語形、アスペクトを表すものなど、さまざまなものがある。接語の多用はヒッタイト語を含むアナトリア語派の特徴である。 ヒッタイト語は分裂能格言語であり、無生物(中性)名詞が他動詞の主語になる場合には能格形を取る。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 20:51 UTC 版)
基本語順はVSO型である。 文は拡大可能な述部と話題の2要素から成る。文には非動詞文と動詞文の2種類に分けられ、非動詞文はさらに、等位文、存在文、場所文、記述文、疑問文、所有文に分けることができる。動詞文は動詞の後に、話題格標識の小辞がつく名詞句、すなわち、行為者または動作者、目的または目標、受益者または、間接目的、場所、道具が起こりうる。話題として選ばれた句の機能は動詞に現れる接辞で明示される。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 09:21 UTC 版)
認識論理の基本の様相作用素は、通常 K と表記され、「-ということが既知である」、「-ということが認識論的に必須である」、「-でないということは既知のことと一致しない」と解釈される。知識を表現すべきエージェントが複数存在する場合、作用素に添え字を付与し( K 1 {\displaystyle {\mathit {K}}_{1}} 、 K 2 {\displaystyle {\mathit {K}}_{2}} など)、どのエージェントの知識を扱っているかを示す。したがって K a φ {\displaystyle K_{a}\varphi } は「エージェント a {\displaystyle a} は φ {\displaystyle \varphi } ということを知っている」と解釈される。以上のように認識論理は、知識表現に適用される多重様相論理の一種である。 ◊ {\displaystyle \Diamond } と ◻ {\displaystyle \Box } の関係のように K と双対をなす作用素には決まった表記法がないが、 ¬ K a ¬ φ {\displaystyle \neg K_{a}\neg \varphi } で表され、「 a {\displaystyle a} は φ {\displaystyle \varphi } でないということを知らない」または「 a {\displaystyle a} は φ {\displaystyle \varphi } という可能性を保持する」と解釈される。「 a {\displaystyle a} は φ {\displaystyle \varphi } か否かを知らない」という文は ¬ K a φ ∧ ¬ K a ¬ φ {\displaystyle \neg K_{a}\varphi \land \neg K_{a}\neg \varphi } と表せる。 共有知識や分散知識を表現するには、さらに3種類の様相作用素を追加する。 E G {\displaystyle {\mathit {E}}_{\mathit {G}}} は「グループ G に属する全エージェントが - を知っている」と解釈される。 C G {\displaystyle {\mathit {C}}_{\mathit {G}}} は「- は G に属する全エージェントの共有知識である」と解釈される。 D G {\displaystyle {\mathit {D}}_{\mathit {G}}} は「- は G に属する全エージェントの分散知識である」と解釈される。 φ {\displaystyle \varphi } をこの言語における論理式としたとき、 E G φ {\displaystyle {\mathit {E}}_{G}\varphi } と C G φ {\displaystyle {\mathit {C}}_{G}\varphi } と D G φ {\displaystyle {\mathit {D}}_{G}\varphi } もこの言語の論理式である。 K {\displaystyle {\mathit {K}}} の添え字はエージェントが1つしかない場合には省略できるが、同様に E {\displaystyle {\mathit {E}}} 、 C {\displaystyle {\mathit {C}}} 、 D {\displaystyle {\mathit {D}}} についても、全エージェントの集合となる唯一のグループしかない場合には添え字を省略できる。
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統語論(概要)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:07 UTC 版)
ロジバン文の統語論的利点は、自然言語の構文の曖昧さと比較するところで認識される。たとえば、以下は日本国憲法序文からの日本語文の引用である: われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。 主語「われら」にたいする述語は末尾の「信ずる」だが、その途上にまず「無視してはならない」という別の述語が介在しており、また他の語句や読点による不規則的な区分が交わってきて文の仕組がやや煩雑となっている。そこでは、パーサなどが「われらは~無視してはならない」と「政治道徳の法則は~と信ずる」などの誤った区分に基づいて解析してしまうのを免れるのが困難となっている。これは自然言語の曖昧さである。このような曖昧性を越えて文の真意を推しはかるには一定の抽象化(たとえば「われら」と「無視してはならない」の間にある文法的引力を恣意的に看過しながら文末の「信ずる」を結びとして優先し、これを受け取ったところで前半の節を参照し直す過程)が要されるが、それと引き換えに文成分の合理的な流れが犠牲となる。ロジバンの統語論は、自然言語にみられる文法上のこのような多義性を根本から回避している。また、上記のような長文の記述においては、統語論的一貫性を維持しながら語順を自在に変化させて認知的に易しい表現を模索することができる。曖昧でない構文はまたコンピュータにとっても扱いやすい記述につながり、この形式言語的な性格からロジバンはプログラミング言語の一つとしても使用できるという潜在性を持っている(ロジバン用のコンパイラが現在存在するわけではない)。[要出典] ロジバン文の中核をなすのは、事物と事物との関係を表す selbri である。 .i do mamta mi .i do patfu mi この二つの表現の差は、{do} と {mi} とがどういう関係にあるのかを表す selbri {mamta} と {patfu} の違いにある。 selbri によって取り結ばれている {do} や {mi} は terbri であり、 selbri と terbri のまとまりが bridi である(つまり {do mamta mi} というまとまりは一つの bridi である)。 selbri は全て、どのような terbri をどのように取り結ぶのかについて公式に定義されている。これを place structure (以下 PS ) という。 mamta と patfu は異なる PS を有する。 PS の違いが命題の違いを成す。或るロジバン文を理解するということは、どの terbri がどの selbri の PS によって取り結ばれているのかを把握することである。取り結ばれ方は非曖昧であり、文法的に正しい bridi の構造の解釈は一通りに決まる。 .i lo ti mamta cu mamta lo ta mamta {mamta} という言葉が三つ登場しているが、そのうちの一つが主要の selbri である。他の読み方はなされえない。文法的に正しい認識は次のようである: .i lo ti mamta cu mamta lo ta mamta terbri selbri terbri bridi 文 つまり中央の {mamta} がメインの selbri で、他の {mamta} は terbri の一部であるということ。 西洋言語における文法概念との比較においてしばしば取り上げられる「象は鼻が長い」という日本語の題述構造の文は、ロジバンにおいて次のように忠実に再現される: .i lo xanto zo'u lo nazbi cu clani sumti terbri selbri li'erpau bridi 文 {lo xanto} (象)を話題として {zo'u} が区切り、続いて terbri {lo nazbi} が selbri {clani} と結びつく。 {cu} は terbri と selbri の区切を示す。この区切が無いと、1) {nazbi} は {clani} に流れて {nazbi clani} という一つの selbri をまず形成する、2) これを冠詞 {lo} が取り込んで terbri 化する、3) 結果、この文から selbri が消失する。 (terbri は sumti の一種である。 sumti のうち、 bridi の部品であるものが terbri。 sumti は項として扱えるもの全般を指し、そのうち selbri が取るものを特に指すのが terbri。) 英語の「Elephants have long noses.」は次のように再現される: .i su'o lo xanto cu ponse lo clani nazbi terbri selbri terbri selbri が替わるほか、 terbri が二つになる。 上の二例を折衷するかたちでより一般的なロジバン表現に書き換えると次のようになる: .i lo xanto cu nazbi clani terbri selbri あえて日本語に訳し返せば「象は鼻長である」といった趣に近い。ここでは terbri は {lo xanto} 一つであり、これが selbri {nazbi clani} と結びついている。 命題の生成には関与しないところで感情や態度を表すことができる。これには ma'ovla の一種 cnima'o (心態詞)を用いる。 .i .ui lo pendo cu klama terbri selbri cnipau bridi 文 文の論理性に寄与しないことから cnima'o の文法空間 cnipau は基本的に li'erpau と bridi から独立している。それでも cnima'o が修飾するのはあくまで文の特定の内容物であり、実際の文面ではしばしば基本の垣根を越えて li'erpau や bridi 中に入り込むことになる。ここでは文の開始を意味する {i} に係っているので文全体を修飾している。 {lo pendo cu klama} (友達が来る)という事象全体について {.ui} で嬉しさが表されている。左の語に係るというこの原理は恒常である: .i lo .ui pendo cu klama terbri selbri bridi 冠詞に係っているので冠詞の中身全体を修飾する。 .i lo pendo .ui cu klama terbri selbri bridi 「友達」の部分だけに係っている。 .i lo pendo ku .ui cu klama terbri selbri bridi terbri の終わりを示す語に係っているので terbri 全体に係る。 .i lo pendo cu klama .ui terbri selbri bridi 前者三例は「友達」にたいする嬉しさの微妙な違いを表し分けている。後者は「来る」という事象についての嬉しさを表している。このように cnima'o の対象範囲は常に明確である。また必要があれば対象範囲は特定の処方によって自由に拡張させられる。 語順は自由に変えることができる。要となる原理は PS である: .i mi ra ti ta ciska x1 x2 x3 x4 x1 x2 x3 x4 は selbri {ciska} の PS の変数項である (このような変数項は結合価として他の自然言語にも存在し、ロジバンはそれを辞書で明文化しているにすぎない)。それぞれに {mi} {ra} {ti} {ta} という terbri が収まっている。「私は・あれを・ここに・あれで、書く」という日本語表現の語順すなわち SOCV をそのまま反映させた形となっている。厳密にはロジバンの selbri は動詞でも形容詞でもなく、また terbri は主語でも目的語でもないので、 S や O や V とのアナロジーはあくまで擬似的なものでしかない。英語の SVOC を模せば次のようになる: .i mi ciska ra ti ta x1 x2 x3 x4 selbri の位置を移すだけでなく、 terbri 同士を入れ換えることもできる: .i ra se ciska mi ti ta x2 x1 x3 x4 .i ta ve ciska ra ti mi x4 x2 x3 x1 .i fe ra fi ti ciska fa mi ta x2 x3 x1 x4 結果として如何なる言語の訳においても本来の語順を正しく反映させることができるようになっている。 先ほどはあった {cu} がこれらの例に無いのは、 {mi} {ra} {ti} {ta} といったものがここではそれぞれ terbri としてしか解釈しえないので selbri との区切を明示する必要がないからである。このように、文成分の境界を示すために用意されている境界子は条件に応じて省略されうる。言い換えれば、解析上の曖昧さが危惧される場合には相応の境界子で対処する。これらによって解決できない構文の曖昧性は実質的に無い。 一般の言語では文の境界を句点や終止符で示す。これは書言葉の産物であり、口言葉における直の対応音声を持たない。たとえば「僕は町に行く。君が僕を待っている。」における二つの句点(。)は音声化されない。文が分かれていることはイントネーションによって漠然と示される。一方、言文の一致に基づくロジバンでは、文の区切を無音の記号ではなく有音の言葉で表す: .i mi lo tcadu cu klama .i do tu'a mi denpa {i} に付いている点は音韻論上のものであり、これ自体が文の区切を示しているわけではないことにまず注意されたい。 文の接続を意味するものなので、文の間だけに置く。英語の終止符などと違い、文が続かない場合には必要とされない。このことから、「以上/完」よりも「そして」という語感を帯びやすいが、もっぱら論理的な「そして/AND」や時間的な「そして/THEN」を表す言葉は別に用意されている。 文の繋がりに論理性や時間性などを含める処方としてまず相応の言葉をそのまま {i} と組み合わせるものがある: .i mi lo tcadu cu klama .imu'ibo do tu'a mi denpa .iju lo nu go'e cu mutce nandu 左項右項とある接続部のうちの一つを出したあとに接続を開始することからこの例は後置接続(afterthought connective)と呼ばれる。 両接続部よりもまず先に接続の言葉を出しておくという用法もある: .i gu semu'igi mi lo tcadu cu klama gi do tu'a mi denpa gi lo nu go'e cu mutce nandu これは前置接続(forethought connective)と呼ばれる。 {i} が併用されていないが、接続されているものは文である。 ウィキブックスにロジバン/統語論関連の解説書・教科書があります。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 09:48 UTC 版)
基本的には、主語-述語動詞-目的語という語順だが、強調の為に倒置される事がある。
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 10:41 UTC 版)
グルジア語は接置詞 (Adposition) が名詞の後ろに付着する形の言語である(多くの場合は接尾辞として付着し、またいくらは別々の単語として配置される)。後置詞はドイツ語の前置詞のようにそれぞれに対応する格支配を要求する。 接置詞の例格接置詞意味მწვრთნელი(コーチ)単数複数与格-ზე 〜の上に、〜のために、〜に関する მწვრთნელზე მწვრთნელებზე -თან 〜と共に、〜の近く მწვრთნელთან მწვრთნელებთან -ში 〜の中に მწვრთნელში მწვრთნელებში -ვით 〜のように მწვრთნელივით მწვრთნელებივით 属格-თვის 〜のために მწვრთნელისთვის მწვრთნელებისთვის -ებრ 〜のように მწვრთნელისებრ მწვრთნელებისებრ -კენ 〜のほうへ მწვრთნელისკენ მწვრთნელებისკენ -გან 〜のほうから მწვრთნელისგან მწვრთნელებისგან 具格-დან 〜のときから მწვრთნელიდან მწვრთნელებიდან -ურთ 〜と共に მწვრთნელითურთ მწვრთნელებითურთ 副詞格-მდე 〜へ、〜まで მწვრთნელამდე მწვრთნელებამდე 基本的な構文の形式はSVOであるが、英語やフランス語のような統語法における厳格さは要求されない。全ての文で可能な訳ではないがSOV構文も存在する。 文法的には性が存在せず、代名詞においても中性である。 冠詞は存在しないが、関係詞の中においていくつかの不変化詞を用いることで定冠詞と同様の意味をもたせることが可能である。 動詞は主語と目的語の両方の人称によって変化し、主語や目的語を表す名詞は動詞の時制によって変化する。また、主語と目的語の格の取り方により、動詞は4つの種類に分けられる。 I類動詞:大部分の他動詞。 II類動詞:主に受け身、動作、状態の変化を表す自動詞。 III類動詞:主に進行中のこと、天気、音声などを表す自動詞。ごくまれに他動詞がある。 IV類動詞:知覚、感情、存在を表す動詞。 格と動詞動詞の類型時制・相主語直接目的語間接目的語I類動詞、III類動詞現在・未来主格 与格 与格 アオリスト(過去)能格 主格 与格 完了与格 主格 接尾辞 -თვის II類動詞全般主格 与格 IV類動詞全般与格 主格 特殊(იცის)現在能格 主格 未来与格 主格 したがって、以下のような文が作れられる。 დედამ გამოეღვიძა შვილი.(母親は息子を起こした。) შვილმა გამოეღვიძა.(息子は目覚めた。) შვილს ეძინა.(息子は眠っていた。)
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:13 UTC 版)
マーシャル語は多くのミクロネシア諸語と同様に動詞述語文と名詞述語文がある。動詞述語文では動詞を伴いSVO型で表される: E-j kajan̄jan̄ kita. 3rdS-PRES play guitar. 「彼はギターを弾く」 (Willson 2002) 一方、名詞述語文では主部と述部が共に名詞句となる: Nuknuk eo e-aibujuij. Dress DET 3rdS-beautiful. 「そのドレスは美しい」 (Willson 2002)
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 15:37 UTC 版)
以下、文法事項の説明に際して特に断りのない限り南部方言を対象とする。 キリバス語はVOS型言語であるが、しばしば文頭に主格人称代名詞が置かれ、動詞の人称接辞のような役割を果たす。また、pro-drop言語(英語版)であるため必ずしも主語(動作主)を明示する必要はなく、例文(1b)のような表現が可能である。 (1a) E nakonako teuaarei 3sg 歩く あの男 あの男は歩く (1b) E nakonako 3sg 歩く 彼は歩く またコピュラは存在しないため、2つの名詞の同値関係を述べたい場合は名詞をそのまま連続に並べる。ただし、日本語とは語順が逆になることもある。 (2) Te tia mmwakuri teuaarei art 者-労働 あの男 あの男は労働者だ 接続詞 ao「かつ」、ma「かつ / しかし」、ke「または」は、名詞と名詞、動詞と動詞、文と文の並列に使用することができる。 (3a) A nakon te titooa Tiaon ao Meere 3pl 行く art 店 ジョン と メアリー ジョンとメアリーは店に行った (3b) E kakarianau ma n tikiraoi 3sg 背が高い しかし 〜において 顔立ちがいい 彼は背が高いが顔立ちがいい (3c) E na kabooaki te iriko ke N na nako n akawa 3sg fut 買う art 肉 または 1sg fut 行く 〜において 釣りをする 彼が肉を買うか、私が釣りをしに行く
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統語論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 07:16 UTC 版)
基本語順はSVOをとる。否定語は動詞に先行する。修飾語:名詞が修飾語としてかかる場合、主要語である方の名詞は、有生名詞であれば左に、無生名詞であれば、少数の例外を除き右に来ることが多い。形容詞類として登場する動詞が名詞に対し修飾語としてかかる場合、その語順はその形容詞類の語彙的性質による。あるものは前置し、あるものは後置する。動作動詞が修飾語としてかかる場合、原則として複合名詞にかかるばあいは主要語である名詞が左に、そうでない場合は右に現れる。接続詞は節の最初か、動詞句の直前に現れる。類別詞が存在し、物を数えるときには〈数詞+類別詞+名詞〉の形を取る(ただし物が一つの場合数詞1は省略される)。
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