陵墓参考地
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陵墓参考地(りょうぼさんこうち)とは、広義の陵墓のうち、被葬者が特定出来ないが陵墓である可能性が高いため、宮内庁により管理されている墳墓等のこと[1]。1882年にできた「御陵墓見込地」に始まり[2]、様々な変遷を経て1993年3月現在で46基を数える[3]。狭義の陵墓と同様に立ち入りなどは認められていないが、祭祀の対象とはなっていない[2]。
注釈
出典
- ^ 外池昇 2005, pp. 71–72.
- ^ a b c 外池昇 2005, pp. 62–69.
- ^ a b 外池昇 2005, pp. 70–71.
- ^ 外池昇 2005, pp. 75–156.
- ^ 外池昇 2005, pp. 156–167.
- ^ 外池昇 2005, pp. 167–174.
- ^ 外池昇 1985, pp. 76–77.
- ^ a b 外池昇 2005, p. 14.
- ^ 外池昇 2005, pp. 14–16.
- ^ a b c 外池昇 2005, pp. 16–19.
- ^ 外池昇 2005, pp. 110–113.
- ^ a b 外池昇 2005, pp. 19–21.
- ^ 外池昇 2005, pp. 21–22.
- ^ a b 外池昇 2005, pp. 22–23.
- ^ a b 外池昇 2005, pp. 23–25.
- ^ 外池昇 2005, pp. 25–27.
- ^ 外池昇 2005, pp. 27–30.
- ^ 外池昇 2005, pp. 30–32.
- ^ a b 外池昇 2005, pp. 33–35.
- ^ a b 外池昇 2005, pp. 35–42.
- ^ a b c d 外池昇 2005, pp. 42–53.
- ^ a b c 外池昇 2005, pp. 53–58.
- ^ 外池昇 2005, pp. 69–71.
- ^ 外池昇 2005, pp. 174–178.
- ^ 外池昇 2005, pp. 178–179.
陵墓参考地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:22 UTC 版)
上記の治定に強い反論があり、宮崎県日南市宮浦には鵜戸神宮もあることなどから、明治29年(1896年)、宮内省は宮崎県北川町俵野可愛を「御陵伝承地」、西都市西都原を「御陵墓参考地」と定めた。 日向の埃の山陵は日向国臼杵郡長井村俵野門(かど)にある。「可愛山陵」は神代、ニニギノミコトの崩御で、筑紫の日向の可愛(可愛は埃(え)と読む)の山陵に葬ったもので、「諸陵式」には日向国にあって、陵戸(墓を守る人)はない、とある。日向の人々より日向国臼杵郡長井村俵野門に1つの古墳があって、これが御陵に「射当(あたる)」と反論があった。 この塚から約550メートル北に15・16戸の集落がある。以前は可愛村といい、村の産土神(うぶすなかみ)である可愛神社はニニギノミコトを祭る。可愛村は今は俵野門と合併して存在しない。 地勢をみると、可愛山東面から3筋の尾根が延び、中央の地は字で「可愛良」、山は可愛山とも、「エン嶽(えんだけ)」とも呼んでいる。「エン」は、可愛の地方なまりである。 このことは、日本書紀や延喜式に見える「可愛(え)」地名が明らかに存在していたことを示し、諸書の記述とも符合する。
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陵墓参考地
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「宮内庁治定陵墓の一覧」の記事における「陵墓参考地」の解説
1949年(昭和24年)10月の『陵墓参考地一覧』による陵墓参考地の一覧(ただし鵺塚陵墓参考地・秘塚陵墓参考地は、その後の指定解除のため不記載)。 参考地名称所在地被葬候補者(該当御方)陪冢備考西三川陵墓参考地 新潟県 佐渡市西三川 順徳天皇皇子彦成王 宇治山田陵墓参考地 三重県 伊勢市倭町 垂仁天皇皇女倭姫 遺跡名:尾部古墳 安曇陵墓参考地 滋賀県 高島市安曇川町田中 応神天皇玄孫宇非王王子彦主人王継体天皇御父 飛地い号飛地ろ号飛地は号域内陪冢 遺跡名:田中王塚古墳 下坂本陵墓参考地 大津市木の岡町 天智天皇皇后倭姫 飛地い号飛地ろ号飛地は号飛地に号飛地ほ号 遺跡名:木の岡本塚古墳(飛地い号:木の岡御前塚古墳)(飛地ろ号:木の岡首塚古墳)(飛地は号:木の岡茶臼山古墳)(飛地に号:木の岡車塚古墳)(飛地ほ号:木の岡新塚古墳) 沓塚陵墓参考地 京都府 京都市伏見区深草田谷町 天智天皇六(七)世皇孫聖宝(醍醐寺開基)(皇族ニ非ズ) 大亀谷陵墓参考地 京都市伏見区深草大亀谷古御香町 桓武天皇 浄菩提院塚陵墓参考地 京都市伏見区竹田小屋ノ内町 後鳥羽天皇皇女尊称皇后昇子内親王春華門院 後宮塚陵墓参考地 京都市伏見区竹田東小屋ノ内町 未詳 中宮塚陵墓参考地 京都市伏見区竹田東小屋ノ内町 未詳 東山本町陵墓参考地 京都市東山区本町16丁目 仲恭天皇 天王塚陵墓参考地 京都市左京区岡崎入江町 後三条天皇火葬塚 御室陵墓参考地 京都市右京区御室大内 光孝天皇 円山陵墓参考地 京都市右京区嵯峨大覚寺門前登リ町 淳和天皇皇后正子内親王 遺跡名:大覚寺円山古墳 入道塚陵墓参考地 京都市右京区嵯峨大沢柳井手町 淳和天皇皇子恒貞親王 遺跡名:入道塚古墳 大塚陵墓参考地 大阪府 松原市西大塚1丁目 雄略天皇 遺跡名:河内大塚山古墳 藤井寺陵墓参考地 藤井寺市津堂 允恭天皇 遺跡名:津堂城山古墳 東百舌鳥陵墓参考地 堺市北区百舌鳥西之町 反正天皇 遺跡名:ニサンザイ古墳 百舌鳥陵墓参考地 堺市北区百舌鳥本町 応神天皇 遺跡名:御廟山古墳 檜尾塚陵墓参考地 河内長野市寺元 後醍醐天皇女御尊称皇太后藤原廉子 コウボ坂陵墓参考地 河内長野市寺元 後醍醐天皇女御尊称皇太后藤原廉子 玉津陵墓参考地 兵庫県 神戸市西区玉津町吉田 用明天皇皇子当麻皇子妃舎人姫王 飛地い号飛地ろ号 遺跡名:王塚古墳 市陵墓参考地 南あわじ市市十一ケ所 淳仁天皇初葬地 雲部陵墓参考地 丹波篠山市東本荘 開化天皇皇孫彦坐王王子丹波道主命 飛地い号飛地ろ号 遺跡名:雲部車塚古墳 畝傍陵墓参考地 奈良県 橿原市五条野町 天武天皇・持統天皇 遺跡名:丸山古墳 宇和奈辺陵墓参考地 奈良市法蓮町 仁徳天皇皇后八田皇女 飛地い号 遺跡名:ウワナベ古墳 小奈辺陵墓参考地 奈良市法蓮町 仁徳天皇皇后磐之媛命 飛地い号飛地ろ号飛地は号飛地に号飛地ほ号飛地へ号飛地と号 遺跡名:コナベ古墳 黄金塚陵墓参考地 奈良市田中町 天武天皇皇子崇道尽敬皇帝舎人親王 遺跡名:帯解黄金塚古墳 郡山陵墓参考地 大和郡山市新木町 桓武天皇尚蔵阿倍古美奈 遺跡名:郡山新木山古墳 富郷陵墓参考地 生駒郡斑鳩町三井 聖徳太子王子山背大兄王 遺跡名:三井岡原古墳 磐園陵墓参考地 大和高田市築山 顕宗天皇 飛地い号 遺跡名:築山古墳(飛地い号:茶臼山古墳) 陵西陵墓参考地 大和高田市池田 顕宗天皇皇后難波小野女王 飛地い号飛地ろ号飛地は号飛地に号飛地ほ号 遺跡名:狐井塚古墳(飛地ほ号:領家山1号墳) 大塚陵墓参考地 北葛城郡広陵町大塚 武烈天皇 遺跡名:新山古墳 三吉陵墓参考地 北葛城郡広陵町三吉 敏達天皇皇子押坂彦人大兄皇子舒明天皇御父 遺跡名:新木山古墳 川上陵墓参考地 吉野郡川上村高原 後醍醐天皇女御尊称皇太后藤原廉子 宇倍野陵墓参考地 鳥取県 鳥取市国府町岡益 安徳天皇 遺跡名:岡益の石堂 岩坂陵墓参考地 島根県 松江市八雲町日吉 伊弉冉尊 西市陵墓参考地 山口県 下関市豊田町地吉 安徳天皇 大井陵墓参考地 愛媛県 今治市大西町宮脇 後醍醐天皇皇子尊真親王 妻鳥陵墓参考地 四国中央市妻鳥町 允恭天皇皇子木梨軽皇子 遺跡名:東宮山古墳 越智陵墓参考地 高知県 高岡郡越知町越知 安徳天皇 勾金陵墓参考地 福岡県 田川郡香春町鏡山 天武天皇皇孫長親王王子河内王 遺跡名:外輪崎古墳 佐須陵墓参考地 長崎県 対馬市厳原町久根田舎 安徳天皇 花園陵墓参考地 熊本県 宇土市立岡町 安徳天皇 北川陵墓参考地 宮崎県 延岡市北川町長井 瓊瓊杵尊 男狭穂塚陵墓参考地 西都市三宅 瓊瓊杵尊 遺跡名:男狭穂塚古墳 女狭穂塚陵墓参考地 西都市三宅 木花開耶姫 遺跡名:女狭穂塚古墳 鵜戸陵墓参考地 日南市宮浦 鸕鷀草葺不合尊
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