いんぎょう‐てんのう〔‐テンワウ〕【允恭天皇】
允恭天皇
忍坂大中姫命を皇后とし、子には穴穂皇子(第20代安康天皇)、大泊瀬稚武尊(第21代雄略天皇)、木梨軽皇子らをもうけた。
天皇の事績としては記すべきものはない。
允恭天皇は「宋書倭国伝」のいわゆる「倭の五王」のうちの「済」にあてる説がある。
第19代天皇 | |
天皇名 | 允恭天皇 |
読み方 | いんぎょうてんのう |
名・諱等 | 雄朝津間稚子宿禰尊 |
読み方 | おあさづまわくごのすくねのみこと |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 412?年から453?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 仁徳天皇 |
母 | 磐之媛命 |
兄弟 | 多遅比瑞歯別尊・大兄去来穂別尊 |
配偶者 | 忍坂大中姫命 |
皇子女 | 穴穂皇子・大泊瀬稚武尊 |
即位宮 | 遠飛鳥宮 |
天皇陵 | 惠我長野北陵 |
所在地 | 大阪府藤井寺市国府 |
允恭天皇 惠我長野北陵
(いんぎょうてんのう えがのながののきたのみささぎ)
允恭天皇
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允恭天皇(いんぎょうてんのう、仁徳天皇64年? - 允恭天皇42年1月14日)は、日本の第19代天皇(在位:允恭天皇元年12月 - 同42年1月14日)。『日本書紀』での名は雄朝津間稚子宿禰天皇。乱れた氏姓の改革を行ったと伝えられる。
注釈
- ^ 「句驪無道,圖欲見吞,掠抄邊隸,虔劉不已,每致稽滯,以失良風。雖曰進路,或通或不。臣亡考濟實忿寇讎,壅塞天路,控弦百萬,義聲感激,方欲大舉,奄喪父兄,使垂成之功,不獲一簣。居在諒闇,不動兵甲,是以偃息未捷。」
出典
- ^ 『古事記』では藤原琴節郎女(ふじわらのことふしのいらつめ)と同一人物とされる。
- ^ 『日本書紀(二)』岩波書店 ISBN 9784003000427
- ^ 外池昇『事典陵墓参考地 : もうひとつの天皇陵』吉川弘文館、2005年、49-52頁。ISBN 4642013458。 NCID BA72468588。国立国会図書館書誌ID:000007815714 。
- ^ 前之園亮一『王賜銘鉄剣と五世紀の日本』(岩田書院、2013年)
- ^ 新古代史の会 2022, p. 39.
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