磐之媛とは? わかりやすく解説

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いわのひめ〔いはのひめ〕【磐之媛/石之日売】

読み方:いわのひめ

仁徳天皇皇后葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の娘。履中反正允恭天皇の母。万葉集・巻2にその作とされる歌を収める


磐之媛

読み方:イワノヒメ(iwanohime)

葛城襲津彦の女で、仁徳天皇皇后となり、履中反正允恭天皇生んだ


磐之媛命

(磐之媛 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/12 08:32 UTC 版)

磐之媛命(いわのひめのみこと、生年不詳 - 仁徳天皇35年6月)は、古墳時代の皇妃。『日本書紀』では磐之媛、『古事記』では石之日売、その他、いはのひめ、磐姫とも記す[1]仁徳天皇の4人の后妃、2人の皇后のうちのひとり[2]。仁徳天皇2年に立后。葛城襲津彦の娘で、武内宿禰の孫にあたり、皇族外の身分から皇后となった初例とされる[1]孝元天皇男系来孫古事記では玄孫)。仁徳天皇の男御子5人のうちの4人(履中天皇住吉仲皇子反正天皇允恭天皇)の母[2]。記紀によるととても嫉妬深く、仁徳天皇30年に、彼女が熊野に遊びに出た隙に夫の仁徳天皇が八田皇女(仁徳の異母妹。磐之媛命崩御後、仁徳天皇の皇后)を宮中に入れたことに激怒し、山城の筒城宮(現在の京都府京田辺市多々羅付近[3])に移り、同地で没した。


  1. ^ a b 磐之媛/石之日売 イワノヒメKotobank
  2. ^ a b c d e f 大久間喜一郎「仁徳天皇記の構想」『明治大学教養論集』第418号、明治大学教養論集刊行会、2007年3月、83-99頁、ISSN 03896005NAID 120001969947 
  3. ^ 筒城宮伝承地(つつきのみやでんしょうち)京田辺市観光協会
  4. ^ 劉佩宜、「中日両国古代における離婚及び嫉妬について」 『修平人文社會學報』 2008 p.169-194
  5. ^ とよのあかり豊の宴Toyonoakari万葉神事語辞典、國學院大学デジタルミュージアム
  6. ^ a b 藤澤友祥「石之日賣命の嫉妬:「嫉妬」による排除」『国文学研究』第161巻、早稲田大学国文学会、2010年6月、1-10頁、ISSN 03898636NAID 120005482067 


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