安康天皇
允恭天皇の崩御後、太子の木梨軽皇子と穴穂皇子との間に皇位を巡り兵力を結集して争いが起きた。
しかし、木梨軽皇子が不倫の恋で人望を失い、人々は木梨軽皇子から離れた。
この後木梨軽皇子は物部大前宿禰の屋敷で自殺した。
穴穂皇子は即位して宮を大和の石上穴穂宮に移した。
しかし、安康天皇は根使主の偽計により大草香皇子を殺したためその子眉輪王の恨みを買い殺された。
安康天皇は「宋書倭国伝」のいわゆる「倭の五王」のうちの「興」にあてる説がある。
第20代天皇 | |
天皇名 | 安康天皇 |
読み方 | あんこうてんのう |
名・諱等 | 穴穂皇子 |
読み方 | あなほおうじ |
時代区分 | 古代 |
天皇在位 | 453?年から456?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 允恭天皇 |
母 | 忍坂大中姫命 |
兄弟 | 木梨軽皇子・大泊瀬稚武尊 |
配偶者 | 中蔕姫 |
皇子女 | □□□ |
即位宮 | 石上穴穂宮 |
天皇陵 | 菅原伏見西陵 |
所在地 | 奈良県奈良市宝来町古城 |
安康天皇
穴穂皇子(あなほのみこ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 08:25 UTC 版)
「軽王子と衣通姫」の記事における「穴穂皇子(あなほのみこ)」の解説
軽王子の弟宮。心荒い。天皇が崩御して一か月後、兄宮を捕えて、伊余に湯に流し、自身が皇位に就く。安康天皇。
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