防空識別圏
別名:防空識別区域、アディズ、エイティズ
英語:Air Defense Identification Zone、ADIZ
防衛上の目的から領空および領空周辺に対し設定される空域。他国の未識別または目的不明の航空機が防空識別圏に侵入する姿勢を見せた時点で対応の構えを取り、それによって領空侵犯を未然に防ぐ目的がある。
防空識別圏への進入それ自体は、国際法上は不法行為には該当しない。しかしながら、未識別の航空機が防空識別圏に入って来きたとなればそのまま領空侵犯へ至る可能性は高い。そのため、一般的には防空識別圏に進入してきた未識別の航空機は哨戒の対象とされる。
防空識別圏内は、レーダーサイトや早期警戒機などによる常時監視の対象となっている。民間航空機の国際便などは、あらかじめ飛行計画を提出することで領空および防空識別圏への進入の許可を得る形をとっている。無許可で、あるいは飛行計画とかけ離れた航路で、防空識別圏へ進入した場合には、防衛当局による哨戒・警告・退去命令、果ては撃墜の措置を受ける可能性がある。
防空識別圏は、国家の主権が及ぶ領土・領海・領空の範囲とは直接の関係を持たず、その範囲の設定は国ごとの裁量に任されている。ただし、防空識別圏の設定が公海上空における飛行の自由を不当に侵害するものであった場合には、国際法の理念に反するとして非難の対象とされる。
時には、設定された防空識別圏が他国の防空識別圏、領土、係争地域などを含むことにより、防空識別圏が外交上の懸案事項となる場合もある。日本においては、日本最西端の島である与那国島が部分的に台湾の防空識別圏に設定されており防空上の懸案になっていた問題(与那国空港の防空識別圏問題)があった。また、北方領土がロシアの防空識別圏に、また竹島が韓国の防空識別圏内に含められてしまっている問題などを抱えている。
2013年11月23日、中国は領尖閣諸島を含む東シナ海の海域上空を防空識別圏として設定したと発表した。日本および米国がこれに抗議し、台湾をはじめ周辺国も懸念を表明するなど、各国に波紋を呼んた。米国は11月25日にB52戦略爆撃機を当該空域に飛行させているが、特に何の妨害も行われなかったとされる。
中国が尖閣諸島を含む空域を新たに防空識別圏に設定したことについて、今頃になって領尖閣諸島を防空識別圏に含めたということは、これまで領尖閣諸島を自国領として認識していなかったことの証左ではないか、と指摘する見解もある。
ぼうくう‐しきべつけん〔バウクウ‐〕【防空識別圏】
【防空識別圏】(ぼうくうしきべつけん)
Air Defense Identification Zone (ADIZ(アジズ))
国家が、防空上の要求から設定している区域。
その国家が領空として主張する区域、及びこれに隣接する公海上空の若干の空域が設定されるのが普通。
この空域へ、飛行計画書の提出や位置の通報などを行わずに航空機が侵入した場合、当該空域を支配する国の軍隊(防空部隊)による対領空侵犯措置を受ける可能性がある。
なお、民間機の運航についての防空に必要な情報は、管制機関から防空管制センターに随時送られる。
関連:飛行情報区 スクランブル
与那国島における問題
基本的に、防空識別圏はその国が領空として主張する区域に沿って設定されるものであるが、日本の最西端である沖縄県・与那国島では、かつて島の西半分が台湾(中華民国)の防空識別圏になっていた。
これは第二次世界大戦後、沖縄諸島がアメリカの統治下にあった時代、アメリカ軍が島を通る東経123度線を台湾との防空識別圏の境界に設定してしまったことの名残である。
そのため、日本の領空内であっても台湾空軍により対領空侵犯措置が取られる場合があり、沖縄県と与那国町から長年にわたって改正要望が出されていた。
2010年6月にようやく改正が行われ、島の西側の日本国領空と、その外側2海里までが日本の防空識別圏と改められ、この問題は解決をみた。
防空識別圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 23:58 UTC 版)
防空識別圏(ぼうくうしきべつけん、英語: Air Defense Identification Zone, ADIZ)とは、各国が国土防空上の必要性から領空とは別に設定した空域のことである。英称の頭文字から「アディーズ」と呼ばれることがある。
注釈
出典
- 1 防空識別圏とは
- 2 防空識別圏の概要
- 3 来歴
- 4 日本の防空識別圏
- 5 脚注
- 6 外部リンク
防空識別圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 16:48 UTC 版)
日本最西端の島である与那国島は、なんらの領土紛争も存在せず、国際的にも明らかな日本の領土である。しかし、沖縄占領時にアメリカ空軍が設定していた防空識別圏を、防衛庁(当時)が1969年(昭和44年)の訓令でそのまま継承した結果、島の上空は日本の領空だが、東経123度線を境に島の東側3分の1は 日本、西側3分の2は 台湾の防空識別圏として扱われるようになった。この領空と防空識別圏の不一致は、長く防衛上の懸案とされていた。 石垣島方面から飛来した旅客機は、与那国島の北を通って一度西側に出る。この段階で旅客機は中華民国の防空識別圏に進入しており、島の西側で進路を180度変え、東向きに滑走路へ降下して着陸する(離着陸は原則として全て東向きである)。防空識別圏が与那国島を分断していた場合、たとえば与那国空港へ向かう日本の民間機が、事前にフライトプランを中華民国空軍に提出しておかないと、島に近づいた途端に未確認飛行物体として同空軍機にスクランブル発進されかねない。 また、逆に台湾の航空管制区域から日本へ入ってくる不審機について日本側への通報が遅れた場合、日本側が認識した時点では、既に与那国島上空に所在するということにもなりかねない。このほか、海上自衛隊の航空哨戒任務や航空自衛隊の航空機は、通常は与那国島上空より西側へ出ることは無い[要出典]ため、島の西側を目視で哨戒することができなくなる。 ところが、2005年(平成17年)12月に、与那国町長の外間守吉と衆議院議員の西銘恒三郎が台湾を訪問した際に中華民国の安全保障機関である国家安全会議から入手した資料により、中華民国は与那国島から半径12海里(約22キロ)の半月状の地域を自国の防空識別圏からはずして運用しており、与那国島上空は中華民国の防空識別圏に含まれていないことが判明した。これにより、民間航空における問題が発生する可能性は低いことは判明したが、どのような経緯を経て日台間の認識相違が生じたのかは不明であった。 2006年(平成18年)2月9日に開かれた国会の予算委員会で西銘がこの問題を採り上げると、防衛庁長官(当時)の額賀福志郎も「初めて聞いた。今確認を急いでいる。」と述べ、見直しについては台湾との関係も考慮しながら検討していきたいと答弁。西銘は、防空識別圏は防衛庁長官の訓令で変更が可能であると指摘し、検証と検討を求めた、中華民国側からも「国防担当者と検討する」との表明がなされた。2009年(平成21年)7月には、与那国島を訪問した当時の防衛大臣浜田靖一に外間が改善を要望した。 防空識別圏に端を発するような問題はこれまでに発生していないが、1995年(平成7年)の第三次台湾海峡危機の時期に、台湾と与那国島の間の海域に台湾軍の射撃訓練区域が設定されたため、与那国島の漁業者が長期間にわたって操業できず、社会問題化したことがある。また、2006年(平成18年)8月には、台湾が当初設定した射撃訓練の区域設定に、与那国島の西半分が含まれていたことが判明。その境界線は、防空識別圏と同じ東経123度であった。こうした事態を踏まえ、与那国町議会では射撃訓練の区域設定問題の解決を求める意見書と、漁協からの安全操業確保を求める陳情を全会一致で採択し、町長や漁協組合長が県や国の関係省庁に対応を要請した。 2010年(平成22年)5月26日、日本国政府は防空識別圏をそれまでの東経123度線から、与那国島の陸地から台湾側洋上へ14海里分西側を半月状に広げる形で設定し直す方針を明らかにし、6月25日付けの防衛省訓令改正により実施された。なお、中華民国には外交ルートを通じて説明がなされたが、中華民国外交部は「事前に我々と十分な連絡をとらなかった」として遺憾の意を表明し、日本の決定を受け入れようがないと反発した。 後に台湾の外交関係者が、この問題を取り扱う方法について両当事者間で合意が得られ、実務面での変更はないと述べたことにより、問題が解決したことが明らかにされた。
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