さき‐もり【防=人】
読み方:さきもり
《「崎(さき)守(もり)」の意》古代、筑紫・壱岐・対馬(つしま)など北九州の防備に当たった兵士。663年の白村江(はくそんこう)の戦い以後制度化され、初め諸国の兵士の中から3年交代で選ばれ、のちには東国出身者に限られるようになった。その後数度の改廃を経て、延喜(901〜923)のころには有名無実となった。
ぼう‐じん〔バウ‐〕【防人】
防人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/12 01:14 UTC 版)
防人(さきもり / ぼうじん)は、古代中国や、日本の飛鳥時代から平安時代、律令制度下で行われた軍事制度である。
- ^ 直木孝次郎 他訳注『続日本紀1』平凡社(東洋文庫457)1986年、323頁の注
- ^ 唐津市・中原遺跡 防人存在記す木簡(佐賀新聞) ― 「戍人」の文字
- ^ 防人が作った食器用土器か 唐津の中原遺跡で出土
- ^ 「正倉院文書」正集第十七巻所載
- ^ 「駿河国正税帳」天平11年(739年)条によれば、同年中に甲斐国の防人39人のほか朝廷へ献上する貢馬を輸送した小長谷部麻佐、山梨郡散事小長谷部練麻呂の三者がそれぞれ東海道の支路である古代官道の甲斐路を通過したことを記している。
- ^ 喜田貞吉は論文『東人考』において武蔵、上野よりそれぞれ250人、他の4国よりそれぞれ150人合わせて1100人と算出している。(『東人考』、喜田貞吉著作集9巻「蝦夷の研究」、520頁、平凡社、1980年、〔初出『歴史地理第二三巻第六号第二四巻第二、四号』1914年6.8.10月〕
- ^ 自衛隊の広報誌MAMORのグラビア記事「防人たちの女神」、西部航空方面隊ウェブサイトのコーナー名称「防人の休息」、「平成の防人たちへ―元幹部自衛官の心からの諫言(展転社 2005年・著/真田左近)」など
- ^ 白鵬関「防人の像」除幕 篠栗町、警察官らたたえる - 西日本新聞2012年11月5日(47NEWS)
防人(さきもり)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 03:54 UTC 版)
「護神像」に選ばれ、護神像と合体することで得た強大な力で機械から人々を守る役目を担った黒い血の人間を、作中では「防人」と呼んでいる。防人は7人存在し、作中では尊敬の対象である。防人は死ぬか瀕死の重傷を負った後、自分が今まで習得してきた技術を「護神像」に保存して次の防人に継承する「引き継ぎ」のために、自らの護神像に食われる。
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防人
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シオ 主要人物を参照。 カーフ 護神像はクシャスラ。着物を着た青年で肩に刺青がある。クシャスラと合体していない状態でも巨大な機械を蹴り技で破壊するなど、高い身体能力を持っている。松田を狙ってシオ達に襲いかかる。後にヨキの襲撃を受け、敗北してクシャスラを奪われる。 レオ / レオナルド・エディアール 護神像はアシャ。目に大きなクマがあり、刀を所持している。かつて伍の村で暮らしていたが、両親を目の前で機械に殺され、その憎しみから偏頭痛に苛まれることになる。アシャに選ばれて防人となり、機械を壊すことで一時的に偏頭痛が治まるが、すぐに再発する。顔つきも変貌し、機械が全て消えないと偏頭痛が治らないと考え、無差別に機械を破壊し続けている。シオに敗北してアシャを失った後、松田の血を受けたことで偏頭痛とクマが完治した。以降はアシャを取り戻すため、シオと行動を共にする。 ドレクセル 護神像はアムルタート。六の村を支配している防人。巨漢で頭部に王冠を載せている。傍若無人な性格で、自分のためだけに護神像の力を利用しており、住民からも忌み嫌われている。 アラン・イームズ 護神像はウォフ・マナフ。眼鏡をかけた青年。知的好奇心が高く、世界のすべてを知るために旅をしている。カーフの襲撃を受け、ウォフ・マナフを奪われる。 ノール 護神像はハルワタート。女性のような顔立ちをしている青年で、アランやフランは女性だと勘違いした。レオとは面識がある。ネガティブで思い込みの激しいところがあり、弟であるミールの機械病を治すために防人になった。シオに襲い掛かるが、返り討ちに遭う。 ヨキ 七の村の医者で、アルの親友。その正体は参賢者の一人「黒き血の賢者」であり、スプンタ・マンユに選ばれた最初の防人でもある。作中の2000年前、赤き血の人間によって作られた黒い血の人間の中で、最初に自我が芽生えた。赤き血の人間や彼らが作り出した機械と戦い、先史文明の崩壊から生き延びた後にコトとキクに出会い、彼らの持ちかけた防人と護神像と蜘蛛の糸を使った世界再建計画に疑いを持ちつつもあえて乗り、三賢者を名乗るようになる。
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防人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 14:00 UTC 版)
楠 芽吹(くすのき めぶき) 声 - 田中美海 年齢(学年):14歳(中学2年生) / 誕生日:神世紀286年5月9日 / 身長:159㎝ / 血液型:B型 / 出身地:香川県玉藻市 / 趣味:日曜大工、プラモデル / 好きな食べ物:うどん / 大切なもの:自分の誇り 本作の主人公。防人番号1番で、32人の「防人」のリーダー。気が強く真面目な少女。努力家で負けず嫌いな性格であり、どんなことでも平均以上にそつなくこなせる。一方で、他人との馴れ合いを「甘い」と切り捨てるなど、極端なまでに己を殺し、他人を遠ざけるストイックな一面を持つ。 勇者候補生の中でもトップクラスの成績を誇っていたが、最終的に三好夏凜に敗れて勇者の座を奪われた過去を持ち、今回の新たなお役目を通じて大赦の人々を見返したいと考えている。シズクには「『勇者になる』ことに固執しすぎている」と指摘されており、「他人の芝生を見てヨダレ垂らしてるガキ」「格好悪い奴」と酷評されている。 加賀城 雀(かがじょう すずめ) 声 - 種﨑敦美 年齢(学年):14歳(中学2年生) / 誕生日:神世紀286年7月22日 / 身長:152㎝ / 血液型:A型 / 出身地:愛媛県 / 趣味:おしゃべり / 好きな食べ物:みかん / 大切なもの:自分の命 防人番号32番。芽吹の同級生で、芽吹のことは「メブ」と呼んでいる。自分に自信の持てないネガティブな性格で、何事も悲観的に考えてしまう。なぜ自分が勇者候補生に選ばれたのかも理解できていない。唯一好きなのがおしゃべりで、特に人の噂話が大好き。 防人の中で唯一、個人的な興味から讃州中学勇者部に接触した事があり、その際「どうすれば勇気を持てるか」という相談を「勇者部への依頼」として持ち込んだ。 戦闘では基本的に前方へは出たがらず、主に防衛を任される。 山伏 しずく(やまぶし しずく) 声 - 石上静香 年齢(学年):13歳(中学2年生) / 誕生日:神世紀287年2月4日 / 身長:156㎝ / 血液型:A型 / 出身地:徳島県 / 趣味:なし / 好きな食べ物:ラーメン / 大切なもの:自分 防人番号9番。芽吹の同級生。両親が心中するなど、複雑な家庭環境で育った少女。あまり感情を表に出さず、他人とのコミュニケーションもうなづく程度で済ませてしまうため、何を考えているのかが読みづらい。 実は二重人格者であり、前述の性格は表の人格のもの。生命の危機に陥るともうひとつの人格「シズク」が目覚める。こちらは一人称が「俺」であり、非常に好戦的であったり、「自分より弱い奴には従えない」と吐き捨てたりと、表の人格とは正反対である。 かつては神樹館小学校に通っており、鷲尾須美・乃木園子・三ノ輪銀の隣のクラスに所属していた。シズクは当時の須美たちに対して「カッコよかった」「尊かった」と憧れにも近い感情を抱いており、「勇者になる」ことに固執する芽吹のことは快く思っていない。 弥勒 夕海子(みろく ゆみこ) 声 - 大空直美 年齢(学年):15歳(中学3年生) / 誕生日:神世紀285年4月27日 / 身長:163㎝ / 血液型:O型 / 出身地:高知県 / 趣味:ティータイム / 好きな食べ物:かつお / 大切なもの:家の繁栄 防人番号20番。芽吹たちの先輩。プライドが高く目立ちたがり屋で、功績を上げようとする気概は人一倍強い。しかし、運動神経はそこそこあるものの頭が弱く、全体的な能力は凡庸であるため気持ちが空回りしがち。 彼女の実家である弥勒家は、神世紀72年に四国全土で発生した大規模テロ事件の際、赤嶺家と共にその鎮圧に大きく貢献しており(この事件は大赦の情報操作によって隠蔽され、カルトの集団自殺事件とされている)、それが『英雄の血筋』として夕海子の自尊心に繋がっている。なお、赤嶺家はこの事件における功績を評価され、瀬戸大橋跡地の石碑に家名が刻まれているが、弥勒家はその後何らかの事情で没落したらしく、家名が刻まれていない。
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防人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:52 UTC 版)
防人の配置は、九州倭国制圧のために東国の蝦夷を利用したヤマト王権による「夷を持って夷を制する」政策であったと考えられるということにする。
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