死体消失
『漢武故事』16 漢の武帝に寵愛された拳夫人(鉤弋)の死後、その墓を開くと、棺の中は空で遺体がなく、着物と靴だけが残っていた。
『日本書紀』巻22推古天皇21年12月 飢えた人が倒れていたので、皇太子(ひつぎのみこ=聖徳太子)は自分の衣服を脱いで与えた。飢えた人はまもなく死んで、墓に葬られた。数日後、太子が使者を送って墓を開かせると、死体はなくなっており、与えた衣服が畳んで棺の上に置いてあった。太子はその衣服を以前のようにまた着用した〔*『日本霊異記』上-4・『今昔物語集』巻11-1などに類話〕。
『ヨハネによる福音書』第20章 イエスの死の翌々日、週の初めの日の朝早く、マグダラのマリアが墓に行くと、墓から石が取りのけてあった。イエスの遺体はなくなっており、遺体を包んだ亜麻布が、墓の中に置いてあった〔*『マタイ』第28章・『マルコ』第16章・『ルカ』第24章に類話〕。
*『マタイによる福音書』第27~28章では、祭司長たちが墓の番兵に、「イエスの弟子たちが死体を盗んで行ったのだ」と言わせる→〔盗み〕4。
『聊斎志異』巻5-186「西湖主」 陳弼教は、洞庭湖で矢傷を負った猪婆龍(鰐)を救ったことから、龍王の娘と結婚し裕福に暮らす。81歳で死んだが、棺を開くと空だった。
*堂の中にあるはずの死体が消える→〔密室〕3の『今昔物語集』巻15-20。
『変身物語』(オヴィディウス)巻3 美少年ナルキッソスが、自らの姿に恋い焦がれて死んだ。水の精たちも森の精たちも嘆き悲しみ、火葬堆(づみ)や松明(たいまつ)や棺が用意された。ところがいつのまにか、ナルキッソスの死体が消えていた。代わりに、白い花びらにまわりをとりまかれた、黄色い水仙の花が見つかった。
『日本書紀』巻7〔第12代〕景行天皇43年(A.D.113) 日本武尊が崩じたので、父景行天皇は、群卿に詔(みことのり)し百官に命じて、伊勢国の能褒野(のぼの)の陵(みささぎ)に葬った。その時、日本武尊は白鳥となって陵から出て、倭(やまと)の国をさして飛んで行った。群臣が棺を開いて見ると、屍衣だけあって遺体は消えていた。
『宇治拾遺物語』巻6-2 一条摂政殿(藤原伊尹)が世尊寺を領有し、堂を建てるために古塚を掘り崩す。すると石の棺が出てきて、25~26歳の美しい尼の死体があった。あざやかな着物を着て、唇の色も変わらず、眠るがごとくであった。人々が驚いて見るうちに、乾(いぬい。西北)から風が吹きつけ、尼の死体はいろいろの塵になって失せてしまった。摂政殿がその後まもなく亡くなったのは、このたたりかと人々は疑った。
*吸血鬼は太陽の光にあたると、塵や灰になってしまう→〔吸血鬼〕1の『吸血鬼ドラキュラ』(ストーカー)・『吸血鬼ノスフェラトゥ』(ムルナウ)。
『ほらふき男爵の冒険』(ビュルガー)「海の冒険」第10話 「ワガハイ(ミュンヒハウゼン男爵)」は、船に乗って月を訪れた(*→〔月〕1a)。月には、背丈が36フィート以上もある巨大な住民たちがいた。彼らは男女の別がない単一の性で、木の実から誕生する。高齢に達すると、死ぬのではなく、空中で解体し、雲散霧消する。
★5.死に近づいた人が姿を消す・行方知れずになるなどして、死体を残さない。
『最後の事件』(ドイル) シャーロック・ホームズがモリアティ教授の犯罪組織を壊滅させたため、モリアティ教授は復讐をくわだて、ホームズを殺そうとつけねらう。ホームズとモリアティは、スイスのライヘンバハ滝の断崖で1対1の決闘をする。格闘の末、2人とも滝壺に落ちたらしく、死体は見つからなかった。
『七王妃物語』(ニザーミー)第44章 バハラーム王は60歳に達し、菫(=黒髪)にジャスミン(=白髪)が生えた。ある日、王は貴族たちと狩に出かける。皆は荒野で野生驢馬(グール)を求めたが、王は孤独の墓(グール)を捜した。王は野生驢馬を追って洞窟の中へ姿を消し、家臣たちが捜索したが、見つからなかった。
*王に白髪が生えたら殺すという慣わし→〔王〕5の『金枝篇』(初版)第3章第1節。
*バハラーム王の死の物語は、天智天皇の死の伝承を連想させる→〔靴(履・沓・鞋)〕2aの『水鏡』中巻。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之53上第180勝回下編大団円 60歳をこした八犬士たちは、主君に暇を請うて富山にこもる。20年後、彼らの息子たちが訪れると、八犬士は教訓の言葉を述べ「他山に移らん」と告げて、その場で忽然と姿を消す。あとには異香が薫るのみだった。
*船出して行方知れずになる→〔女護が島〕1の『好色一代男』巻8「床の責道具」。
*神々の所へさらわれる→〔寸断〕1cの『英雄伝』(プルタルコス)「ロムルス」。
*死体を残さない猫→〔猫〕8aの『古今著聞集』巻20「魚虫禽獣」第30。
★6.死体が確認できなければ、どこかで生きているかもしれない。
『豹(ジャガー)の眼』(テレビ映画版) 藤原秀衡は宝の地図を源義経に贈り、「自分亡き後の奥州藤原家を護(まも)ってほしい」と言い遺した。しかし秀衡の息子・泰衡は鎌倉方へ寝返り、義経を襲ったので、義経は中国大陸へ逃れてジンギスカンとなった。だからジンギスカンの秘宝は日本にある。フビライが日本を攻めた元寇は、この宝を得ようとしてのことだった〔*第17回「悲劇の英雄」で、このことが明かされる〕→〔三つの宝〕4。
★7.たとえ埋葬された死体があっても、それが当人のものだという証拠はない。
『アーサーの死』(マロリー)第21巻第5~6章 瀕死のアーサー王が、貴婦人たちの乗る小船でアヴァロンの島へ運ばれて行くのを、ベディヴィア卿が見送る(*→〔島〕3)。しかし翌朝、礼拝堂の隠者から「昨夜、貴婦人たちの依頼で、ある方の遺体を埋葬しました」と聞かされて、ベディヴィア卿は「それはアーサー王の遺体だろう」と思う。ただし、それが本当にアーサー王の遺体だったかどうかは、確認できなかった。
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