中・後期とは? わかりやすく解説

中・後期(1809年 - )

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 10:01 UTC 版)

フリードリヒ・シェリング」の記事における「中・後期(1809年 - )」の解説

1809年出版された『人間的自由の本質』は、シェリング思想大きな転換点みなされている。 シェリングはこの著作人間的自由の根拠問い、悪への積極的な可能性人間のうちにみる。シェリングによれば人間は悪を行う自由をもっている、それが人間的自由の本質であり、もって人間すべての存在者の頂点においている。これはキリスト教また西洋思想における「悪をしない自由」としての自由把握とは正反対にある。そのような自由が人間に可能である根拠として、シェリング神の存在様態について考える(神はここで人間存在根拠他ならない)。神のうちには、神の部分であってそのものではない「神のうちの自然」があり、神自身対立している。自らを隠し閉ざそうとする神のうちの自然は、自らを現そうとする神自身にとっての「根底」(Grund) であって生まれ出ようとする憧憬隠れようとする力との二つ方向性が神のうちに相争う。神は、自身のうちなるこの対立を自ら克服し、愛をもってこれを覆う。かくして神とその被造物顕れ出る。そして被造物頂点である人間のなかに、この目もくらむ対立は自由の可能性として再び現れてくるのである。 ここでシェリングは、彼がそれまで積極的に肯定してこなかった神の人格性を強く主張している。また、いまやシェリングにとって、必然性と自由の対立は、同一期においてそうであったように、たんに絶対者において、したがって本質においては無差別である観念的対立とはいわれていない実在するもののうちにたしかに対立はあって、その対立可能にする場とそのありようさらにはそのような対立超えるものの可能性が、いまや問題とされてくるのである。 『自由論』は、シェリングがフリードリヒ・クリストフ・エーティンガーおよびカトリック神学者フランツ・フォン・バーダーを介して知ったヤーコプ・ベーメ思想大きく影響されているといわれる。『自由論』の術語「神のうちの自然」「根底」「無底(底なし)」はベーメ用語法由来するシェリング神秘思想には比較好意的で、すでに同一哲学期から新プラトン主義との近親性も指摘されている(『ブルーノ』など)。また1812年未発表対話篇クラーラ』では、エマヌエル・スヴェーデンボリ思想好意的に紹介している。しかしシェリングあくまでも神秘主義を全肯定しているのではなく悟性的・論弁理性主義把握できない理性的ないし非合理なものを神秘思想家保持していることを評価し、しかし同時にそのような表現自体哲学立場からみて限界があると考えていた。 シェリングは『世界世代』(未完)をはじめとする未刊行草稿の著述努めとともにいくつかの講義行っている。シュトゥットガルト講義エアランゲン講義などは、この時期シェリング体系を知る上で重要な意義をもつ。この時期シェリングは『自由論』の思想発展させ、神そのもの生成自己展開の歴史としての世界叙述という壮大な構想取り組んでいた。『世界世代』は世界の歴史をその原理である神の歴史として「神になる前の神」である「プリウス」(Prius) から説き起こす試みであり、過去・現在・未来三部構成からなる予定であったが、実際に書かれたのは過去篇だけであった過去篇草稿複数あることが現在知られている。いわば挫折したこの構想は、しかし後期哲学の『神話哲学』『啓示哲学』へとつながっていく。 1841年に、ヘーゲル死後空席となったベルリン大学哲学教授として招聘され同地で『啓示哲学』等を講じたシェリング保守的な思想家考えられており、ヘーゲル主義者による急進的思想対するいわば防壁となることをプロイセン王家は期待していたと考えられている。しかし思想界では実証科学隆盛向かいヘーゲル主義哲学広まっていた当時ベルリン思想界に、シェリング実質的な影響与えなかった。彼の啓示哲学』をフリードリヒ・エンゲルスセーレン・キェルケゴール聴講していたことが知られているが、二人とも違った観点から失望表明している。キェルケゴール失望に関しては、キェルケゴール関心をもっていたのは人間実存であるが、シェリング関心は神の実存にのみあった、とも評されるシェリング後期思想は、同時代人にはほとんど理解者をもたず、ベルリン彼の講義にはほとんど聴講者がいなかった。その後期思想が評価されるのは、ほぼ100年を待たねばならない

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中 - 後期(タモリ、2代目総合司会就任後から現在)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:06 UTC 版)

ミュージックステーション」の記事における「中 - 後期(タモリ2代目総合司会就任後から現在)」の解説

1987年昭和62年4月3日より、タモリ2代目総合司会就任したタモリテレビ朝日生放送歌番組司会就任は、『夢のビッグスタジオ以来5年ぶりであった。 これと前後して光GENJI、そして1990年代以降光GENJI所属していたジャニーズ事務所所属男性アイドルグループレギュラー出演定着したことなどにより、明確に若年層向け」の音楽番組へと路線転換した関口からタモリ総合司会交代後も、1989年放送回では二桁記録した回が6回のみと低空飛行続いた1989年に入ると、音楽自体多様化拍車がかかり、同年10月には『ザ・ベストテン』が、翌1990年3月には『歌のトップテン』が、10月には『夜のヒットスタジオ』が相次いで終了するも、ゴールデン・プライムタイムで唯一の歌番組として継続した。その理由について、新聞記事インタビュー当時三倉文宏プロデューサーは、「歌番組には、セット作り照明など、独特のノウハウが必要。一度絶やしてしまうと次の体制づくりが大変なので、できるだけ続けようという社内的コンセンサスがあった」と答え同じく山本たかおプロデューサーは「10代20代ターゲット絞った」ことが続いた理由語っている。1990年代中盤には、裏番組当時番組内から誕生したユニットであるポケットビスケッツ(略してポケビ)、ブラックビスケッツ(同じくブラビ)等の人気により、全盛期入っていた日本テレビ系列ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』に苦戦強いられた時期もあったものの、1999年後述宇多田ヒカル人気もあり、視聴率が再び20%台に乗った金曜20時台一時期日本テレビテレビ朝日2強状態が長らく続き最終的に2002年3月には最大相手であった番組終了追い込んでいる。また、同時に他局でもゴールデン・プライムタイムで歌番組復活するようにもなった。 金曜20時台末期2010年代後半)では、通常放送平均視聴率が6~9%台とやや低調傾向にあったまた、番組内容は、従来のスタジオライブ・トークのほか、バラエティテイストなVTR企画増えていった。 2019年令和元年10月18日から、放送時間21:00 - 21:54繰り下がった18日3時SP視聴率10%台であり、21開始となった最初放送である2019年10月25日視聴率は6.7%であった2020年1月以降は、移動前と同等の6~8%台で推移している。 2021年令和3年10月14日同年9月17日放送時点タモリ司会就任してからの在任期間34年168日、放送回数が1365回に達し、「同一司会者による生放送音楽番組最長放送」としてギネス世界記録に認定されたことが発表された。タモリとしては、フジテレビ森田一義アワー 笑っていいとも!以来2度目ギネス認定となる。

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中後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 18:09 UTC 版)

RADIO BERRY WEEKEND REQUEST」の記事における「中後期」の解説

改編期前に突如降板することになった栗原代わり当時ボキャブラ天国」で頭角表していたアリtoキリギリス2代目DJ就任リスナーからのネタハガキを募集するコーナーなどお笑い色の濃い内容となった。なお、ハガキネタ投稿し採用されリスナーには官製はがきの裏パーソナリティ似顔絵書かれたものなどが送られた(なお、イラストは「ミエノヒトミ」)アリtoキリギリスパーソナリティーの際には、「体育祭たいいくまつり)」や「文化祭(ぶんかまつり=お笑いライブ)」などを番組企画としてリスナー参加で行うなどした。なお、アリtoキリギリス石井正則結婚発表をしたのもこの番組内である。 RADIO BERRY開局15周年記念特番セレブレイト15」の企画として、2代目DJアリtoキリギリスパーソナリティ迎えて2008年12月6日一夜限りの復活(ただし19:00-20:55の2時間枠)をした。

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