映画監督・出演者情報 |
光GENJI | |
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光GENJI
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/10 13:57 UTC 版)
| 光GENJI | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP |
| 活動期間 | GENJI (1987年3月 - 1987年6月25日) 光GENJI (1987年6月25日 - 1994年8月31日) 光GENJI SUPER 5 (1994年8月31日 - 1995年9月3日) |
| レーベル | ポニーキャニオン |
| 事務所 | ジャニーズ事務所 |
| メンバー | |
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GENJI 諸星和己 (1987年 - 1995年) 佐藤寛之 (1987年 - 1994年) 山本淳一 (1987年 - 2002年) 赤坂晃 (1987年 - 2007年) 佐藤敦啓 |
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| 旧メンバー | |
| GENJI 田代秀高 (1987年) |
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光GENJI(ヒカルゲンジ)は、1980年代終盤から1990年代前半に活動していたローラースケートを履いて歌い踊る男性アイドルグループ。ジャニーズ事務所所属。1987年6月25日に、「GENJI」と「光」の2つのグループが合体されて結成。1995年9月3日解散。グループ名は『源氏物語』の主人公・光源氏に由来する。おニャン子クラブが解散した1987年にデビューし、1980年代末期を代表する男性7人組。テレビ等では伝説のアイドル・最後のスーパーアイドル・などと称される。
目次 |
メンバー
光
GENJI
- 諸星和己(もろほし かずみ、1970年8月12日 - )
- 佐藤寛之(さとう ひろゆき、1970年11月2日 - )
- 山本淳一(やまもと じゅんいち、1972年2月28日 - )
- 赤坂晃(あかさか あきら、1973年5月8日 - )
- 佐藤敦啓(さとう あつひろ、1973年8月30日 - )
光GENJI SUPER 5
- 内海光司
- 諸星和己
- 山本淳一
- 赤坂晃
- 佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ)
SAY・S (内部ユニット)
- 佐藤寛之
- 山本淳一
- 赤坂晃
- 佐藤敦啓(現・佐藤アツヒロ)
AKIRA & KOHJI (内部ユニット、別名「とんがりーず」、1994年結成。)
- 赤坂晃
- 内海光司
「GENJI」元メンバー
- 田代秀高
- (GENJIの結成メンバー。10月12日生まれ。長崎県出身。血液型:O型。愛称は「たっちゃん」。MBS『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』にレギュラー出演し、「今、君と歌いたい」という曲を毎週歌っていた。 まもなくして赤坂晃と交替で脱退。 元々は、1986年5月にジャニーズ事務所に入り、「桜隊」のメンバーとして活動していた。ジャニーズ退所後は、太平サブロー・シローと同じ事務所へ移籍した。)
来歴
- 1987年3月に、諸星・寛之・敦啓・田代の4名で「GENJI」を結成。同年4月5日より、MBSの視聴者参加の歌合戦番組『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』のレギュラーになる。 この番組のオープニングで、初のオリジナルソング「今、君と歌いたい」を毎回披露していた。まもなく山本が参加して5名に。その後、田代が脱退して再び4名に。さらにその後、赤坂が参加して再び5名に。
- 結成当初には「ライト・イン・シャドウ」というグループ名でも呼ばれていた。
- 同年の来日ミュージカル『スターライト・エクスプレス』のキャンペーンに合わせ、同年6月25日に、既存グループだった5人組の「GENJI」と、元・イーグルスの2人による「光」の2つのグループを合体して、「光GENJI」が結成された。同年6月25日(木曜)に、後楽園ローラースケートリンクにてデビュー会見&公開レッスンを行った。
- 1987年8月19日にポニーキャニオンから「STAR LIGHT」でレコードデビュー。その時のキャッチコピーは、“超新星からのメッセージ”だった。
- デビューしてすぐに80年代のアイドルブームの波に乗り、人気は爆発的なもので社会現象として一般紙にも取り上げるほどであった。特に「パラダイス銀河」の頃はその人気の絶頂で、歌番組に出演した際はファンの大歓声により、司会キャスターの声が掻き消されるほどまでになっていた(特にそれが顕著だったのが公開生放送の歌のトップテン。MCで会場の音を測定した際に約100ホンを記録した。これは電車が走行中のガード下の騒音に匹敵するレベルである。)
- 1988年6月、フジテレビ開局30周年&ニッポン放送開局35周年記念として、非売品のビデオ「あ・き・す・と・ぜ・ね・こ」が制作される。同ビデオは、10万本限定の抽選プレゼントだったが、応募総数は250万通にも達した。
- 1988年12月31日、「パラダイス銀河」で第30回日本レコード大賞を受賞。
- 光GENJIの瞬間的人気は現在までのところアイドル至上最大と言われる。
- 1980年代末には上記のような大ブームを巻き起こしたが、1989年下半期〜1990年にかけてアイドル向け番組や音楽番組が減少し、第二次バンドブームが到来した1990年頃からブームは沈静化してゆく。但し、一定多数の固定ファンは依然として存在し、1990年代に入っても光GENJIは安定した人気を誇った。
- 人気と売り上げのピークはデビュー直後からの2年程度だったが、後輩のSMAPやV6、KinKi Kidsが着実に成長して人気を得て台頭するまでの期間、1989年 - 1990年代前半のアイドル冬の時代において苦難の時代を過ごしていた当時のジャニーズ事務所の稼ぎ頭となり、近藤真彦以来の人気を博し、SMAPがブレイクする90年代後半まで活躍した。(なおデビューから解散までの8年間で総額1000億円を稼いだと言われている。)
- 1992年JOC日本オリンピック委員会広報アドバイザーに任命され、バルセロナオリンピックの応援ソングとして「リラの咲くころバルセロナへ」をリリース。
- 1993年頃からメンバーの個人活動も徐々に増え、それと同時にメンバーそれぞれに方向性の違いが生じてきた。諸星がCDソロデビューをした頃はファンやマスコミの間で光GENJI解散説も流れた。
- 1994年1月、バルセロナ夏季五輪に引き続き、リレハンメルオリンピックの応援ソングとして「BRAVO!Nippon〜雪と氷のファンタジー〜」をリリース。
- 1994年7月22日、『ミュージックステーション』にて大沢樹生・佐藤寛之の脱退を発表。
- 1994年8月31日、大沢樹生・佐藤寛之が脱退し「光GENJI SUPER 5」にグループ名を変更する。
- 1995年9月1日、解散コンサートの2日前、かつてレギュラー出演していた『ミュージックステーション』に出演する(光GENJI SUPER 5として最後のTV出演となる)。スタジオにファン数百人を入れ、歴代のシングルメドレーを披露し、最後に「Graduation」を熱唱(この「Graduation」は「ガラスの十代」のc/w曲で、卒業を意味する)。曲の終わりに、メンバー全員がローラースケートを脱いで、ステージ中央に置いた。
- 1995年9月3日、名古屋市総合体育館・レインボーホール(現・日本ガイシホール)でのライブを最後に解散する(なお、公の場では“解散”ではなく“卒業”と表現・表記している。また、この名古屋のライブは、当時展開していた全国ツアーの最終日にもともと組まれていたもので、最初から「解散コンサート」と設定されていたわけではない)。
- 現在は内海光司と佐藤アツヒロのみジャニーズ事務所に留まっている(退所者のうち赤坂は不祥事により解雇)。
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- ^ 明星編集部編/橋本治解題『「明星」50年 601枚の表紙』集英社新書 2002年。
- ^ エンタメ芸能新聞 【赤坂晃 光GENJI 元メンバー覚せい剤所持で逮捕】(記事内にメンバーのイメージカラーの記述がある。)
- ^ 山本淳一のブログ【milliondollar happy】の「光GENJI衣装の変遷?」記事(光GENJI時代の自分のイメージカラーについての記述がある。)
- ^ 2007年度 JASRAC寄附講座 音楽・文化産業論Ⅱ
- ^ さらに『忍たま乱太郎』の主題歌としての「勇気100%」は、2009年4月からはHey! Say! JUMPが受け継いでいる。
- ^ a b c 第147回国会 青少年問題に関する特別委員会 第5号 平成十二年四月十三日(木曜日) 衆議院会議録 2000年4月13日
- ^ 労働省労働基準局『労働基準法解釈総覧』労働調査会、第8版、2000年9月、ISBN 978-4897826271、pp.60
- ^ 「モー娘。だけが特別か」子役の労働時間問題(インターネット・アーカイブ) asahi.com・週刊朝日 2003年9月19日号
- 1 光GENJIの概要
- 2 概要
- 3 ディスコグラフィ
- 4 主な出演作品
- 5 受賞歴
- 6 関連項目
固有名詞の分類
- 元「光GENJI」赤坂容疑者 覚せい剤でまた逮捕J-CASTニュース
- 執行猶予中も「あぶり」!元・光GENJIまた覚せい剤(芸能)スポーツニッポン
- 元「光GENJI」赤坂容疑者また覚醒剤…実刑確実3年もスポーツ報知
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